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じっくりレリック | 2023.7.1

・こんにちは! 半年振りにnoteでキーボードを叩いています。

知性と力を兼ね備えた肉食恐竜博士の画像

・小学校高学年あたりでパーソナル・コンピュータに蠱惑された結果、QWERTY配列で文章を打つことに骨の髄まで慣れきってしまっているため、自分はスマホのフリック入力が未だに出来ない。小さい画面でぽちょぽちょと、非効率的な速度でローマ字入力をしている。

・しかしそれくらいで丁度良いなと思う。文字を打ち込むのにかける時間は、ある程度長いほうが確実に良い。
音声入力のその先、脳波制御のブレイン・マシン・インターフェースの時代が到来したとして、それはそれで俗に言う「脊髄反射テキスト」の量産が加速してしまいそうな気がしてならないからだ。
「ア」とか「ぷ〜ん」とか「ミン」とか意味をほとんど持たない、一回目の米の研ぎ汁みたいな本来はすぐに捨てるはずの濁りが軽率に出てきそうで恐ろしい。

・現代を生きる我々に必要なのは、これ以上の文字入力の楽さと速さではなく、打ち込み終わった文章を眺める推敲の時間である。退化は進化だ。

・例えば取引先か何かとのやり取りで、交渉はもう決裂も決裂、ピリピリをとうに通り越した地獄の業火のようなムードのなか、この人だけはもう確実に文章で打倒の意を示さなくてはならないのだ、という状況に陥ったとき
脳神経最短ルートで出力された「くたばりなさい」と、ゆっくり時間をかけて、それでもなお出力された「くたばりなさい」では、言葉に付加された意味がまるで異なってくる。深さが違う。


・長瀬有花の6ヶ月連続シングルリリースが本日を以て完了した。

・ライブとか次の楽曲制作とか、なんか多くのものの渦中に既に身を置いているので、一段落したなという感覚はどこにも無い。当たり前のように春が終わって、歳をとって、街は梅雨入りして、一年の半分が終わっている。終わっているんです。ちょっと信じられない。

・小学校のときのプール授業で、自分はどうにも "息継ぎ" が下手くそだった。たった二十五メートルの水中を前進することがアホほど難しくて、顔を水面に出して呼吸をする行為に全く意識が向かなかった。酸素が足りず、本当に死にそうになりながら二十五メートルを泳ぎ切って、通信簿になんとか◎をもらえた。

・協力してくれたアーティストさん、作家さん、エンジニアさんをはじめとする多くの方々のおかげさまです。皆さんに比べたら自分は特に何もしていないし偉くもなんともない。ありがとうございます。聴いてくれる皆さんも。


・作詞曲のいよわさんから、本楽曲について以下のコメントを頂いている。

「読んだ本の感想を自分の胸だけにしまっている間の特別なきもち」を主軸に、一曲の中にたくさんの展開を織り交ぜて、日常の安心感と非日常の高揚感を両方とも味わえるように作りました。

いよわさん楽曲コメント

・読んだ本の感想を自分の胸だけにしまっている間の特別なきもち。

・こういった自意識を生活のなかに遍在させることは、現代においてかなり大事なことなんだろうなと思う。

・自分自身への入力作業に対してじっくりすること、漫然としないこと、ただそれだけの難しさみたいなものがきっとあるんだろう。

・なんだかよくわからんが "とにかくはやく忙しなくインスタントな大きな流れ" に不関与でいられた、コピー&ペーストも倍速もスキップもながら観も存在しない次元を羨ましく思うこともたまにある。恵まれているからこそだけど。

・外気に触れていない、自分だけの内省的な感想を練り上げじっくり熟成させているときに感じる無限の喜びは単純に美しく、なにかを楽しむことの濃度を何倍にも引き上げるレリックでもある。
そのうえで色々わかってくることもあったりするわけで、それが自他問わずのこれからの人生をより豊かにしたり、次に出力される感想が内包した"無限の喜び"をもっと濃くしてくれるのだろう。

・じっくりレリック←「化物語」のサブタイトルってこんな感じだった気がするな……

・もちろん音楽を売っている側としては、感想をたくさん出力してたくさん広めてもらうほうが正しいしありがたい。どんどんそうしてほしい。しかし。

・出力の是非という話ではなく、入力したそれをどのように扱うかという話なのかもしれない。
読書を楽しむこと、読書を題材にしたコミュニケーショをとること、賞レースとしての読書感想文を書くことはそれぞれ全く別のものである。

・つまるところ、小さい画面でぽちょぽちょと、非効率的な速度でローマ字入力をしてみるのも悪くないという話です。
脳神経最短ルートで出力された「おもしろかったです」と、ゆっくり時間をかけて、それでもなお出力された「おもしろかったです」では、言葉に付加された意味がまるで異なってくる。深さが違う。

・という感じもありつつ、どのようなスタンスで作品と向き合い消費するのかに正解なんてものはなく、すべてが個々人に好きなように委ねられている。そこにあるのはもっと単純な押し付け合いだ。

・とにかく我々は自由だ。犬井ヒロシもギターをかき鳴らしながら、「エンタの神様」でそう言ってました。

・なのでインターネットをぶっ壊す会をそろそろ立ち上げて、マニフェストを実行しようと思います! さようなら


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