夏休み明けに思い出を話すとき、あれだけ怖い話は絶対にするなと言ったのに
8月と言えば僕の誕生日。
25日ですね。あざす。
さて、社会人になって夏休みというものはなくなったがやはり夏とは思い出づくりに勤しみたくなる時期なのではないだろうか。
小学生の頃、日々の1行日記は薄い内容しかないくせに
やけに濃い夏を毎年過ごしていた。
祭りにプール、海におばあちゃん家…。楽しい思い出ばかりが記憶に残り、あれもこれも友達に話したい事ばかり考えていたのを覚えている。もちろん宿題の話もだ。
夏休みが明け、教室の後ろに固まって友だちと思い出を投げ合う。
そこに投げ込まれる『この夏1番の恐怖体験』
それはさながら、池に投げ込まれたエサに群がる鯉たちの様に友だちらはその話題に食いつく。
そして、次は僕が!次はおれが!と怖い話を話し始めるのだ。やめろ、いや、怖い話やめてください。
ここで少し私の昔話をさせていただきたい。
小学生の頃、地域の公民館みたいなところで催されていた夏祭りで、一室を使い簡易的なお化け屋敷があった。
小学生には無料券が1枚配られていて、わなげ や 射的、
くじ引きなどを1度だけ無料でおこなえることになっていた。
みんなが笑いながら出てくるお化け屋敷ならいけるだろう。噂ではゴールにコンニャクが吊るされている。
そんなふうに、たかを括り
列に並び無料券をお化け屋敷使った僕は、
入り口直後のラジカセから流れているであろう、木魚の音にビビり散らかし、無料券は戻せないという条件を飲み、入り口から出た。恐怖に対して耐性が無さすぎるのだ。クソ雑魚とでも呼んでくれ。
話は戻るが、そんなクソ雑魚ナメクジの僕がみんなの怖い話についていけるわけがない。だが怖い話はヒートアップしていき、挙げ句の果てには体験談ではなく、自分の知ってる怖い話を披露する場になっていた。
クソ雑魚ビビりナメクジの僕は話を聞かず相槌をうつことに徹していた。
中でもタチの悪いのが『聞いたら呪われる』怖い話だ。
本当によくない。
クソ雑魚ビビりナメクジイクジナシにとって
聞くだけでも呪われる話なんて本当に嫌だった。
だが、怖いなんて友だちの前ではカッコつけて言えない
クソ雑魚ビビりナメクジイキリイクジナシの僕は決死の覚悟で話の輪の中に残ったのだった。
呪いとは元来、人や人ならざるもの、すなわち霊が
物理的手段に頼らず精神的、霊的な力で他人に厄災をもたらすという悪意の塊なのである。2年間掃除してないエアコンのフィルターも、開けたことのないおばあちゃん家の押し入れも、いわゆる呪いである。
違うか(´>∀<`)ゝ
そもそも、こんな素人が呪いなんて扱っていいはずがないのだ。
なぜそんなことを言うのかといえば、既に自分自身が、いくつかの呪いにかかっているからである。
そして今、まさにこれを読んでいるあなたにもその呪いをかけようとしている。嫌ならここで読むのをやめるべきだ。と先に言っておこう。
今からその呪いについて説明する。
僕のかかっている呪いは、
MONGOL800の小さな恋の歌を聴いていると
1回目のサビが終わった後の歌詞
永遠の淵 きっと僕は言う
思い変わらず 同じ言葉を
それでも足りず 涙に変わり…
の、「それでも足りず」の「足りず」の部分が
『タリーズコーヒー』の「タリーズ」に、聴こえる。
という呪いだ。
はい、あなたもたった今から
この呪いと共に人生を歩むことになりました。
では、また。ごきげんよう。
チョコしか買わん。