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ネトフリから20年越しに再評価された平成の社会現象ドラマ【池袋ウエストゲートパークIWGP】

今更見たがカルチャーとしてリバイバルするほどの評価を受ける理由も分かる。感想と20年越しに再評価されている理由も併せて考えたい。

あらすじ
東京の池袋西口公園近くの果物屋の息子・真島 誠(マコト)は、“池袋のトラブルシューター”とも呼ばれ、依頼された難事件を次々と解決し、住民の幸福と秩序の維持を目指す。

今では考えられないキャスティングと生々しいシナリオ

長瀬智也をはじめ、窪塚洋介、渡辺謙、坂口憲二、妻夫木聡、サブ役にも高橋一生など今では主演級の俳優陣になる役者が若い時代に積極起用されていたり、

暴力団側の役には白竜など本格派のVシネ系の役者が配役されるなど、現代に観てもキャスティングのバランスが素晴らしく、見る側も演技にストレスなく作品に入り込める。

今のドラマは何かと役者の顔ぶれが変わらないことで窪塚氏はあるインタビューで「祭りのような部活みたいな感じがする」と表現していたが、今では中々考えづらい若手の育成や他分野の路線からも引っ張り出している熱のこもった作品作りはこの時点からも感じられる。

またシナリオもどこか混沌として怪しげのある池袋の裏側にいる西口を舞台にした原作を元にしたことで、薬物、暴力団、ギャング、ねずみ講、性犯罪、殺害など過激な要素がふんだんに盛り込まれている。

一人の少女を誘拐した組の利用や巨大なねずみ講のバックにいることで暗躍する暴力団の話や、序盤のりかの殺人からギャングの抗争までを操っていたフィクサーの伏線回収など、生々しいシナリオと予想しがたいディープな展開が毎話用意されており非常に面白かった。

この辺りの過激さはメロドラマばかり流行っていた当時も衝撃だったらしく、今より2倍ほどはいたとされる20代から30代の視聴者層を中心に一気に取り込んだと言われる。

現代に再評価されている理由もこの辺の背景は似ており、いい意味で「ネトフリ感のある」地上波では放送できない立ち位置のドラマとして若い子にもウケた。

また脚本の宮藤官九郎は「話しながら書いていた」と言われるような00年代の独特な言い回しセリフや、iモードのガラケー、その裏についているペアのプリクラやキーホルダー、Bボーイファッションなど、

Z世代には可愛くてエモいとされて再びカルチャー化している平成ノスタルジーが全て感じられるのも面白い。


原作のキングとは180度変えてカリスマ化した窪塚洋介

ファンの間で言われているのが原作とドラマ版のキングは全くキャラクターが違うとされ評価が別れている。

窪塚氏本人もそれを認めており、監督の意見を最後まで押し切りながら演じていたらしい。

原作の“寡黙なギャングのリーダー”を演じるのは無理だと思ったんだよね。これを俺が実写でやったらサムいと思ったの。だから堤幸彦監督を説得したんだよ。そしたら「ダメだよ、原作があるんだから」と言われて。「いやいや、でも原作通りにやったら絶対サムいですよ」って粘って。

そこから作品として花開き始めてクドカンからの充て台詞も増えたのは後半からだったようだ。確かに序盤のキングの登場はそこまで多くなかったが確かな存在感は後半から感情の起伏と共に大きくなっていった。

ちなみにドラマ版のキングは漫画『ウダウダやってるヒマはねェ!』アマギン(天草 銀)とコロ助をモデルに混ぜて構成していたらしい。「リーダー」というタイプではないが、クレイジーかつ頭はキレる天性の雰囲気とセンスで周りから信仰されるカリスマと化していった。

当時でも未来を示すリーダーというより「今ここ」で周りを巻き込むカリスマ論が定着していた時代観をも非常に象徴するキャラクターとなり、放送後も彼の髪形やファッションを真似をする若者は池袋に多く現れたらしいのもうなずける。

最近ではYouTuberが彼の真似をしている人も見かけたが、20年を経ても若者を変える彼のカリスマ性も非常に投影されたキャラクターだったと思える。

少し話が逸れるがその後彼のカリスマ性はネットが発達してきて「フェイク」とも言われるようになり悩み始める時期でもあったとか。

飛び降りてしまった後音楽活動が増えたのも作りものから外れた表現が欲しかったと言っていてその後の彼の活動を見ると勝手ながらカリスマからリーダーとして歩んでいるようにも見える。

最近はインスタライブの発言が色々取りざたされ個人的には好きだが役者の仕事が忙しくそういう活動ができないストレスから来てるのもあるらしいです。



当時は作中のようなギャングなどが治安の悪い街の象徴として存在もしていたと聞くが、最近はどの街も綺麗になり露骨なやばさを感じることは減ってきた。いや感じにくくなったと言った方がいいかもしれないが。

舞台となっている池袋西口も店や住人にも多国籍化が進みクリーンなイメージアップが宣伝されているが、いまだに怪しげな事件も報じられており昔から知る人は怪しさは中々ぬぐえない街でもありその辺も評価されるタイミングが回ってきたとも思える。

そういった街をテーマにした原作は多数あっても中々映像化には至らないのが今であり最近では東京リベンジャーズが流行ったがあの辺が限界なのだろうと思える。

あれも過激さは確かにあるが街や人が関わる社会における混沌さはあまりなくどうしても大人が読むと物足りなさを感じてしまう。

今は裏の人間や怪しさもどんどん見えづらくされており一般人が察知する感性を養う機会も一部の人間以外は少なくなっている。

地上波や邦画に期待することは殆どなくなったがIWGPにおけるネトフリっぽさを希望に、話が混沌としすぎて二元論で終わらない真の言う「めんどくせぇ」作品が増えてほしいばかりである。

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