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資本主義衰退で放される高齢者の行方はどこか【映画「ノマドランド」】

あらすじ
ネバダ州の田舎町の経済崩壊を受けて、ファーン(フランシス・マクドーマンド)はヴァンに荷物を積み込み、アメリカ西部の広大な景色の中で自由な放浪の旅に出る。道中、彼女はほかのノマド(放浪の民)たちと固い絆を育む。人間の打たれ強さを描いた心揺さぶる希望の物語。監督はクロエ・ジャオ。共演はデヴィッド・ストラザーン。

説明台詞もなく本人らに過去や心情を語らせることで半ドキュメント形式に物語が進んでいくロードムービーになっている。

エンパイアという城下町がゴーストタウンと化し主人公ファーンは荷物を車に詰め込んでいくところから始まっていく。

アメリカでは炭坑や工場の労働者で経済が成り立っていた街が多くあったが、デトロイトを始め廃業が進むと経済破綻どころか土地の価値も無くなり住人らは半強制的にワークキャンパーとして車内生活をしている。

若者から高齢者たちまでそれは急増しているらしい。今では年金だけで暮らせている人は2割にも満たないとか。

ファーンや周りの人物らもその一人であり廃墟になった安い土地に多く構えられているAmazonの工場で肉体労働を続け、Amazonは彼らに仕事と駐車場を提供することで大きな雇用は彼らの数で成り立っていたことも見える。

アメリカ社会の構造的に苦しい実情の背景が垣間見えると同時にそれをアメリカ人の根底にある探検心と移民の文化に重ねてノマドとしての新しい行方を見せようとした作品だったのだろうと思う。

後半では家から持ってきた物にこだわることで過去の夫婦生活に執着も見せるファーンと大きな家に住む妹への訪問や、ノマドコミュニティの仲間であり彼女に意中を示す男が再び家に戻ることによるシーンによって、物質や資本主義への対比的な演出が増えていく。

ファーンは彼らの家での居住の誘いを迷いながらも断り、一人自然と同化することによって彼女の根本的な意志の確認と現在に至る思想を見せる印象的なシーンになる。

最後はノマドの教祖的な人物と対話をし家に合ったものを全て手放すことによってノマドとして生きる本質を語らいながら終わっていく。

ノマドは放牧などの意味から非定住や自由のイメージで使われるが、この作品はアメリカの勇敢さや移民から根付かれる文化の根本的なDNAに重ねて「世界一体と同化できる」ことが本来の目的だと語って終わる。

一連見ていても彼らの生活に幸福度はあまり感じられず各々の喪失感から関係のない世界や自然に逃げることが半強制的に訪れたことが彼らの現状として描かれていた。

ファーンも勇敢でぎりぎりの生活でも人当たりの言いように見せられるが根本的には寂しさしか感じず、過去を手放した結果あの男の家に訪れた展開も考えられる。

ロードムービーとして雄大な自然と共に生きるような綺麗な演出は物質を手放す人間の行く幸福の先はノマドという形式ではなく、その本質として語られる自然や世界と同化していくぐらいでしか望みが感じられないというのが彼らの新たな行方として提示して見せた映画だったのだろうと思う。

現代ではインフレでワークキャンパーとしても生きられない人々も増えているが、衰退するアメリカと当時の労働者標準となりかけた彼らの幸福と思えない現状を描いたうえで映画的に彼らが向かう次の行方について繋ぐ話。

綺麗に見せられる演出だけで彼らの現状を正しい生き方と評している感想も多かったが個人的には一概にそうとは思えずそういうテーマとしても描いてはないだろう。アカデミー賞作品にしても年月が経つにつれ苦しい映画にもなりえる作品だった。





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