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イコライザーとは真逆の渋すぎサスペンス【映画「リトルシングス」】

イコライザーの後の主演にしてはかなり渋いサスペンス映画だった。

脚本はイーストウッド監督作品「パーフェクトワールド」と同じ作家が同じ時期に書いた原作。

スピルバーグやイーストウッドなど実写化の話も何度も持ち上がっていたが、映画としては暗すぎる上におそらく興行性も見えないため結局ここまで却下され続けていた作品だったらしい。

90年代に書かれた本なので事件や主人公の刑事らにも現代性もなければエンタメ性も少ないのは正直なところ。文芸性の方が高くわかりにくい部分もある大人向け映画だが、興行性の要素が低い中で制作された映画として一つ見ておいても良い映画ではある。

あらすじ
“ディーク”ことカーン郡巡査ジョー・ディーコン(ワシントン)は事件の証拠集めのために、ロサンゼルスに行くことを命じられる。その任務はすぐに片付くはずだったが、彼は街を恐怖に陥れる連続殺人犯の捜索に巻き込まれてしまう。

犠牲になりたくなければディークとは組むな。

ワシントン演じる「ディークとは組むな」という上司の忠告はバクスターの最後の結末により真実となる。

過去の事件により拭いきれない彼の取りつかれ方とバクスターを自分と同化して見ていくことで同じ道を歩んでいく過程は徐々に現実と化していく。

前半のサスペンス内容や演出も良かっただけに全く戦わないデンゼルワシントンそして事件の結末に拍子抜けさせられるが、容疑者含む三人の緊迫感と事件に取りつかれる三人の演技は見どころになる。

サスペンスとしてはかなり消化不良な内容だったので謎だった点を考察していきたい。


謎1 容疑者は結局犯人だったのか

あの容疑者の男は犯人ではなく「犯罪マニア」である。

彼の「犯人」としての演技をほめている人も多いが、それは少し見当違いだろう。

彼は「犯人のフリをしていた男」であり刑事二人をずっとおちょくっていただけである。

だからこそ「犯人に思わせるフリ」をしていた演技の演技が素晴らしかったのであり、観客でさえ騙されていた人も多かったということだ。

そういった意味でも最後のバクスターの結末は犯人でもない「ただの容疑者」を思わずあれしてしまったということで、ディーコンと全く同じ道を歩んでしまったということにも繋がるのである。

容疑者は知性も高くバクスターが感情的になることも見抜いた上での行動だった。そこもディーコンと重なる欠点でもあったのだ。


謎2 ディーコンが十字架を何度も見た理由

シンプルに言うとバクスターよりディーコンの方が信仰深いことがよく見える演出であるだろう。

それもディーコンに重い過去があるからそうさせている。

また最後にディーコンがバクスターあてに「天使はいない」という手紙を渡したのは、「悲劇には神は無関心である」という彼自身の経験による辛辣な意味が込められている。

バクスターの家族も信仰深く「祈る」という言葉が子供らに向けて出てくるが、祈ることで天使は傍にいてくれると信じられているからである。

その様子も見ていたディーコンだからこそ同じ目にあったバクスターに送った最後の言葉は「天使はいない」であり、十字架を目にするたびに見つめていた彼の姿と言葉の重みが繋がっていくのである。


謎3 最後の赤い髪留めの意味

書くまでもない意味合いだと思っていたが意外と理解していない人も多いので一応書いておく。

赤い髪留め自体は冒頭の女性が犯人に襲われる際につけていた物であり、重要な証拠品として捜査もしていた。

ディーコンが最後に髪留めセットを燃やしていたのは彼が買ってきたものであり証拠品となる赤い髪留めだけを外してバクスターに送った。

休暇中のバクスターに向け真犯人を見つけたという同じ立場を知る彼なりの優しい嘘だったということ。

ディーコンは自らの失敗に長らく孤独で救われなかったがゆえに最後は赤い髪留めを送り救いの手を差し伸べた。

あれを見てバクスターが何を思ったかは彼の中にしかわからない。しかし彼同様、ディーコン自身にも過去の自分にようやく祈りではなく自らで救いの手を差し伸べられるきっかけになり終わったのである。










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