マイストーリー(ヒーラーへの道)#1
日本プロヒーラー協会 代表の町田和隆です。
1994年、奇跡のワンネス体験から、今年でヒーラー歴27年となりました。
1996年にコンサルタントとして独立し、起業家歴25年の私でもあります。
これから3回に分けて、人生のマイストーリー(ヒーラーへの道)を書き綴っていきます。
読んで頂けたら、とても嬉しいです。
バリバリ左脳派の青年
私は、子供の頃から、機械いじりが好きで、大学は情報工学を専攻し、学生時代は新宿のベンチャー企業でプログラマーをしていました。
今のプロヒーラーとは正反対の、バリバリ左脳派の青年だったのです。
新卒で入社した会社は、東証一部上場の通信ネットワーク会社。
理想の会社に入社したにも係わらず、私の心は晴れませんでした。
理由は、次のような内心のつぶやきです。
「ここで働き続けたら、やばいことになる」
同僚も先輩も、オタクだらけで、いやいや何より自分自身がオタクで(笑)
このままだとコミュニケーション能力のないビジネスマンに成り下がる……
そんな危機感を持った私は、自分の心の中である決意をします。
「脱オタク宣言!!」
2年足らずで、その会社を辞め、なんと不動産会社のコミッション営業マンに転身。
「営業の仕事で、対人スキルを磨こう!!」
これが転身理由でした。
気持ちは前向きでしたが、元オタクの私は、まるで売れませんでした。
「何千万円もするマンションを売るなんて、責任取れないな。それに、何十万円も歩合が貰えるなんて、極悪な仕事だ」
今では笑えますが、こんなつぶやきをしていました。
目の前に買いたそうなお客様がいても、こんな内心でいた私は、クロージングすることもなく、お客様を帰していました。
そのうち、成約しないまま、手持ちの見込客が溜まっていき、上司に怒られました。
「お前の見込客、いったいどうなってる?」
怒られたことで、恐る恐るフォローの電話を入れてみると、たびたび次のような言葉を聴くことになります。
「あら、町田さん、他社の物件に決めちゃったのよ~」
この言葉で、私の中で革命が起こります。
「あれ?買うんだ!! どうせ買うなら、私から買ってもらう方がいいよな」
他社の営業マンより、よっぽどこの誠実な私が担当してさしあげたい……
素直な気持ちでした。
販売は罪悪ではなく貢献だ
この体験以降、私の営業成績は、爆上がりすることとなります。
なぜなら、人に何かを売ることへの価値観が激変したからです。
その激変とは、「販売は罪悪ではなく、貢献だ」
この価値観は、30年以上も前に、私自身の体験から得た観点ですが、現在のヒーリングという目に見えないサービスを提供する今でも、私の活動の軸となっている価値観です。
そんなわけで、トップセールスマンとなった私の当時の月収は、ピーク時には250万円。
しかし、そんな良い時期は長くは続かず、ほどなくあの激震が日本経済を襲います。
そう、バルブ崩壊です。
私の月収は、一気にゼロ円に急降下したのでした。
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