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迷ったら挑戦を選ぼうは素敵なことだけど思考停止の始まりかなとも思う

2021年も上半期を終えて新たに下半期のスタートになりはや1週間このnoteを見てくれている方も挑戦するかどうかみたいな決断の選択を迫られている方もいるんじゃないかなと思っています。最近よくありがたいことに相談されることが何度かあり相談されている中で思っていることを書き出してみようと思った次第です。

やるかやらないか迷っている

新しいコミュニティに参加するときはいつでも不安です。僕も同じような経験が多くありました。その中で相談すると結構な頻度で言われる言葉がありました。

それは「やるかやらないかで迷っているってことはやりたいってことじゃないの?」という言葉いやぁ間違いないと思います。

俗にいう「やらずに後悔より、やって後悔」

基本的にそういう相談する場合、今までに自分が今迷っているものを経験した人に考えを共有する機会があると思います。その中で注意して欲しいのは、あくまでもその人が振り返った時に自分自身正解の道だったこと。そして、相談した人と自分は違う人ということ。

相談された人は自分の行いを正当化しようとするバイアスや後継者を決めるための無意識のうちに発生するバイアスが働くこと。

バイアスとは?
傾向、偏向、先入観、データ等の偏り、思考や判断に特定の偏りをもたらす思い込み要因、得られる情報が偏っていることによる認識の歪み

正直僕自身も以前学生団体の代表をやっていたこともあり、この人に今年度代表やって欲しいなと思っていた人にバイアス込みで「やるかやらないかで迷っているってことはやりたいってことじゃないの?」みたいな言葉をかけていたと感じていて、それは結局その人自身の選択ではなくなってしまう

なので基本的には相談する=他者のバイアスのかかった意見を聞く
ということになってしまうので、その大前提を持って話を聞く相談された側は自分のバイアスをできる限り認識しそれを出さないようにする。(本当にその人のためにするのであれば)

そもそもやらないと後悔するのか?

迷っているということはやりたい気持ちもあるし、やりたくない気持ちもあるという状態だと仮定します。やりたい気持ちの部分を他者の一押しもあり始めると結局、なんでこれ自分でやるって決めたんだっけ?やって何したかったんだっけ??みたいなスパイラルに落ち込んでしまう可能性あります。やらないという選択をとったとしてもなんであのとき迷ってたのにやらなかったんだろうと後悔する可能性もあります。

どうしたものか…どっちも手詰まりだと思う方もいるかもしれませんが、それはそれぞれ覚悟がなかったという部分に尽きるのかなと僕は考えます。やる・やらないの選択をするときに

やる場合→ 何をしたいのか? なんでやるの?みたいな部分の覚悟
やらない場合→ なぜやらないのか? 選ばないことでの後悔はないか?の覚悟

この部分を自分自身腹落ちしない状態だと後悔する可能性上がるし、やったとしても思っていた自分にならない可能性が高いのではないかと僕は思います。ぶっちゃけやらなければ他の選択ができる可能性があり、そこで自己実現できるなんてこともあるので、一概にやるのが正解やらないのが不正解というわけではないとちょっと盲信的に考えてもいいんじゃないかなと思います。

最後に

決断はきっと不安もあったり、その決断するタイミングでは人生を大きく変える可能性があるかもしれないと思って自信が持てないこともあるかもしれません。でもよく過去振り返ってみて欲しいんですけど、大学受験に失敗したとか思い描いている企業に就職できなかったとかって時がたてばでもその失敗とかがあって今の自分があるんだと思えると思います。

誰しも迷う、それならば迷うことから逃げずに自分の中できちんと言語化していこうと思う。思考停止にならないよう自戒も込めて…



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