『ミルコのひかり』 人生の意味

2005年制作 クリスティアーノ・ボルトーネ監督
1970年代初頭、イタリアのトスカーナ地方。10歳のミルコ(ルカ・カプリオッティ)は両親の深い愛情を受けて育つ映画好きの少年。ある日、ミルコは祖父の古い銃を暴発させてしまい両目の視力を失ってしまう。当時のイタリアの法律では、視覚障害者は普通学校には通えない規則になっており、ミルコはやむなく遠く離れたジェノヴァの全寮制の盲学校に転校することになる。映画を見られないだけでなく、この境遇をなかなか受け入れられないミルコは心を閉ざしがちになっていくが、転機はふいに訪れた。ミルコは古いテープレコーダーを偶然見つけ、音だけで世界を作っていくという新たな楽しみを覚える。古い規律や体制を重んじる校長たちはミルコからその楽しみを取り上げようとする。ところがミルコの聴力の才能にいち早く気付いたジュリオ神父(パオロ・サッサネッリ)は、学校に内緒で新しいテープレコーダーを与える。寮の管理人の娘であるフランチェスカにも助けられながら、ミルコはその後も物語を録り続けていく。やがてフランチェスカが考案した物語にクラスメイトたちも興味を持ち、その遊びに参加するようになる。ミルコの自由を信じる力は、周囲にも影響を与えはじめる。ある晩、こっそりと寮を抜け出し、ミルコたちは映画館へ行く。閉ざされた世界で暮らす子供たちにも夢と可能性があることを気付かせていくのである。しかし、ミルコが新しいテープレコーダーを持っていることが発覚し、ついに校長から退学処分を言い渡されてしまう。ミルコが自分自身の問題と向き合っている最中、外の世界では社会改革のための運動が盛んになってきていた。そんな折、ミルコとフランチェスカはエットレ(マルコ・コッチ)という視覚障害者の運動家に出会う。
(「Movie Walker」 映画ストーリーから引用)

東大先端科学技術研究所の福島智教授は、3歳で右目を、9歳で左目の視力をなくし、14歳で右耳、18歳で左耳の聴力を失い、全盲ろう者になった。
障害者となった福島さんの半生は「自分は何のために生まれてきたのか」「自分は何のために生きるのか」を問い続けることでもあった。
福島さんは、「夕学五十講」に登壇した際に、自らが生きる意味を次の計算式で表現した。

人生の意味=「苦悩」+「希望」

「苦悩」の中に、「希望」を見出すこと。それが生きることの「意味」である。

健常者が障害を持つ人々をどのように扱ってきたのかは、神話の世界にまで遡って知ることが出来る。
「古事記」には、イザナギ・イザナミの国生み神話において、最初に生まれた子が「ヒルコ」と呼ばれる障害児であったために葦舟に乗せて海に流したという記述がある。
各地に残る民間伝承では、この葦舟で流された子がエビス様の起源だとされ、豊穣と商売繁盛の神様として崇められて来た。
障害者を「福の子」と呼ぶ風習もあったとされる。家族が子の将来を案じて、懸命に働くことから、結果的に家庭に幸せをもたらす存在とされてきた。
障害者を社会全体で庇護しようという考え方は、すでに奈良時代には広く浸透しており、障害者を抱える家では、租・庸・調などの税金も一部免除されていたという。
人間社会は、長らく障害者を保護の対象として扱ってきた。

しかし見方を変えれば、それは、彼らの生きる道を限定することでもあった。彼らは、「生かされる」存在であって、自ら「生きる意味」を問う存在であることを忘れていたのかもしれない。

福島さんは、自分の生きる意味を問い続ける過程で、次のような厳しい問いを自らに投げかけてきたという。
「障害者とは、はたして何か。ただの穀潰しなのか。この世に存在する意味はあるのか」

福島さんをしても、「苦悩」の人生にプラスされ、意味を生み出すことにつながる「希望」を見出すことは、とてつもなく困難な道であっただろう。

映画『ミルコのひかり』の「ひかり」とは、「希望」と置き換えてもいいのではないだろうか。
ミルコの人生に意味を生み出す「希望」のひかり。それが「音」であった。
ミルコは、社会からの庇護者として、電話交換手や紡績工という与えられた職業に甘んじて生きることを、本能的に拒絶して、生きる意味を探した稀有な少年であった。
「ミルコのひかり」は、彼以外の少年達にも注がれた。少年達は、「音」という希望のひかりを知ることで、自分たちの可能性が、与えられた道以外にも開かれるかもしれないことを感じとったに違いない。

「ミルコのひかり」は、彼が慕う盲学校教師ジュリオ神父の心にも届いた。
しかしs、盲学校の校長は、自らも盲人でありながら、生きる意味を探すことの大切さに気づいていない。
いや、実は彼もかつては、生きる意味を見出して、盲学校の校長になったのかもしれない。にもかかわらず、自分と同じ境遇を背負った少年達が、生きる意味を探すことの重要性に気づくことが出来ないでいた。

ミルコの退学をめぐり、そして盲学校のあり方をめぐり、ジュリオ神父と校長が、はげしい議論を交わす場面が、この映画の山場である。

「われわれ盲人には自由などない」
校長は、自分の人生から抜け落ちていた大切な何かを指摘され、動揺を隠し切れずに頑なになろうとする。

「目がみえない子供にも可能性はある」
ジュリオ神父は、「ミルコのひかり」に照らされて、自分自身も生きる意味を見つけたという確信からか、強い意志をもって、校長に逆らう。

福島さんは、自分が全盲全ろうだからできることにこだわる。
「生きる意味」を、研究者として、バリアフリー=バリアを壊す運動、の先頭に立つことに見いだしている。

「もし、目と耳を人工的に与えてあげると言われたらどうするか」
この問いに、福島先生は、「断るであろう」と言う。
自分には、見えない、聞こえない28年間の世界で培ってきたさまざまプログラムがある。人工の目と耳があれば便利で快適かもしれないけれど、28年間の財産がなくなってしまうことの方が重大だ。

人生の豊かさは、便利や快楽の大きさではない。意味の大きさである。
意味の大きさは、体験してきた苦悩の大きさ、そこで見つけた希望の大きさでもある。

現在は、音響技師として活躍するというミルコに、同じことを問い掛けたら、はたして、なんと言うだろうか。

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