『フラガール』 夢と成長の物語

2006年制作 監督:李 相日
昭和40年代、福島県の炭鉱町に誕生した常磐ハワイアンセンターにまつわる実話を基に、フラダンスショーを成功させるために奮闘する人々の姿を描いた感動ドラマ。『69 sixty nine』の李相日監督がメガホンをとり、石炭から石油へと激動する時代を駆け抜けた人々の輝きをダンスを通じて活写する。
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時代の波で閉鎖に追い込まれた、とある炭坑の村では、危機的な状況の中、炭坑で働く人々はツルハシを捨て、北国の寒村を“常夏の楽園”に変えようと立ち上がった。村の少女たちは腰みのをつけ、肌もあらわにハワイアンムード満点のフラダンスを踊りはじめるのだが……。
(「シネマトゥデイ」より)

『一山一家』
練習場の壁には、時代に取り残されたかのように、寂しげに掲げられている古びた額がある。ヤマ(炭鉱)が、ひとつの共同体であることを意味する言葉である。
その額に見つめられていることなどまるで気づかぬように、炭鉱の娘たちは、新しい世界を夢見て、一心不乱に踊りに取り組んでいる。 
その対照性が、この映画の象徴である。

変わる時代。変われない街。変わりたくないこころ。変わらねばならない人間。変わるものと変わらないものが、激しく交錯する寂れた炭鉱で、変わらねばならないことに気づいた人間は、怒り・戸惑い・悲しみを超えて、「夢」をめぐって成長していく。

夢を探す 紀美子(蒼井優)
夢を捨てた まどか(松雪泰子)
夢を忘れた 千代(富司純子)

この映画は、三世代3人の女性の「夢」をめぐる葛藤と成長の物語である。
それは、大げさに言えば、日本の近代化150年の間に、全国の至るところで繰り広げられてきた、日本人の「夢の再生産」の物語でもある。

夢を探す 紀美子 「チャンス」
「ハワイアンダンサ~!?」
ボタ山で、親友早苗(徳永えり)から見せられた募集チラシを手にして紀美子は言う。
炭鉱で生まれ、炭鉱で育ち、高校を卒業しようとする二人の眼前に広がる将来は、あまりにも暗かった。かといって明確な希望があるわけではない。そんな紀美子にとって、ハワイアンダンサー募集の知らせは、戸惑いでしかなかった。

「このチャンスつがめなかったら、死ぬまでここから抜け出せねぇ」

突然の誘いを訝る紀美子に、早苗は強く迫る。道が見えるわけではない。でも歩き始めなければ何も変わらない。
それは紀美子にもわかる。突拍子もない早苗の提案ではあっても、はねつけるだけの自信は紀美子にもないのだ。

「これからは女も堂々と働ける時代だっぺよ」

投げやりな姿勢のまどかに反発しつつも、ダンス練習をはじめた紀美子。それを咎める母千代。二人は激しく対立する。
ハワイアンがやりたいのではない、夢を見つけたいだけだ。自分の足で歩きたいだけだ。それがなぜいけないのか。

「おれの人生はおれのもんだ!」

母に頬をぶたれた紀美子は、そう叫んで家を飛び出す。それは自分ひとりで歩き出そうとする旅たち宣言でもあった。

夢を捨てた まどか 「あきらめ」
「わたしのハワイどこぉ!?」

トラクターに揺られながらやって来た二日酔いのまどかの第一声。
彼女は、金も、仕事も、プライドも、そして夢も、全てを捨てて、誘われるままにここに流れ着いてきた。ハワイアンセンター建設の話も酒酔いの中で聞いたに違いない。彼女は生ける屍であった。

「なんなのここ~!?」

目覚めたまどかが炭住の風景をみた驚きの言葉。
いまを忘れたくて酒を飲んでも、酔いはかならず醒める。醒めた目に映るのは、どうしようもなく落ちぶれていく自分である。
破れた障子。すえた畳の匂い。収容所のような炭住長屋。どんなに嘆き叫ぼうが、それが彼女がこれから暮らす世界の実風景である。それが彼女の歩む道である。

「イヤなら帰ればぁ~」

ダンサー志望で集まっている4人の炭鉱娘。彼女には、その人数さえ確かに目に入ってはいないだろう。不誠実な態度をなじる紀美子に対して、まどかは言い放つ。
後ろ向きな態度は、自分にとっては幸いである。何もしないですむ理由になるのだから。

夢を忘れた 母 千代 「拒絶」
「会社が生き残りゃ、それでいいのか!!」

会社存続のために首切りを発表する会社側代に怒声を浴びせながら反発する組合。婦人部代表である千代も威勢よく発言する。

「話になんねぇ! ハワイでヤマつぶすのか 帰ぇれ、帰ぇれ」

ハワイアンセンター建設により500人の雇用を生み出すという会社側の説明を、端から拒絶する千代達組合員。冷静に判断すれば500人の雇用は悪い話ではないはず。しかし彼らにとって、ヤマが衰退するという現実は受け入れがたく、ヤマがなくなることを前提にする交渉はありえないのだろう。

「100年も続いた炭鉱、そう簡単につぶれるかぁ!」

千代の家の夕食時。炭鉱の経営不振を心配して話しかける紀美子の問いかけに、母を何十年も前の天皇視察の興奮を引き合いにだしながら断言する。そこには紀美子を納得させる論拠は何もない。千代は典型的な思考停止状態に入っている。

「こんな東北の田舎に、なじょしてハワイなんか出来るかぁ」

ダンサーとして働く話を、それとなく持ち出そうとする紀美子に母はつれない。ハワイアンセンター構想は、母にとって考えることさえもしたくない話である。時代が変わろうとすることで起きる大きな波が、自分の足元(紀美子)に押し寄せていることも知らずに...。

夢を探す 紀美子 「夢に気づく」
「一生無理だなんて、決めつけねでくんちぇ」
炭鉱育ちの素人にフラダンスは無理だというまどかに反発する紀美子。彼女にとって、フラダンスは、ようやく手にした夢のかけらだった。まずは一歩を踏み出すために、自分の足で歩くために、このチャンスは逃すことは出来ない。
その強烈なまでの意思の強さは、投げやりだったまどかのこころを開かせていく。

「さなえ。誘ってくれてありがとうなぁ」

フラダンスの練習が軌道にのり、確かな夢の存在に気づいた紀美子。写真撮影の際に、早苗にそっと感謝の気持ちを告げる。
夢はひとりでは見つからない。紀美子はダンスを通して、共に歩く友、支えあう仲間の素晴らしさにも目覚めていく。

「本気でそんだらこと言ってんのなら、この場で親友の縁切っぞ」

父が首切りされ、夕張に引っ越すことになった早苗。自分を誘ってくれた親友がいなくなることで、夢をあきらめようとする紀美子を叱る早苗の言葉。
紀美子に自分の夢を託す早苗。「自分の夢は自分ひとりのものではない」。紀美子が歩く道はいつしか、轍となり、共に歩く人、志半ばで断念した人の希望に続いていた。

夢を捨てた まどか 「こころの傷」
「ハワイアンセンターの理念はぁ~、炭鉱人の、炭鉱人による、炭鉱人のためのぉ...」

プロを連れてくるべきだと言うまどかに対する吉本(岸部一徳)の言葉。
現実を受け止めざるをえなくなったまどかは、まずは、合理的な論拠で現実を変えようとする。しかし、現実が合理性を越えた情熱と意思で成り立っている。飄々とした吉本の言葉には、無駄だとわかっていても前に進まずにはいられない人間の誇りがある。そして奇跡を起こせるのは、神の力ではなく、人間の情熱と意思でしかないことを伝えてくれる。

「太陽みたいなでっかいスポット浴びて、自分は特別だと思ってたのに...」

娘達の情熱に引き込まれるように、教えることに喜びを見出しかけていたまどかを、地獄に引き戻すようにやってくる借金取り。
一度は頂点を極めたことがあるまどかにとって、過去を思い出すことが一番つらい。失った夢が大きいほど、こころの傷は深いものである。

「おれ、いままで生きてきた中で一番楽しかった!」

常磐を去る早苗の最後の言葉は、まどかのこころにも響いた。大切なものを捨てなければならない辛さを身をもって知るまどかは、涙をこらえて気丈夫に振舞う早苗の姿に、何かを教えてもらったに違いない。
教えることの喜び。教え子と離れなければならない悲しみ。教え子に教えられる体験。まどかは、いままで味わったことのない新しい感情を知る。

夢を忘れた 母 千代 「変わる時代」
「ヤマの女は、ヤマで生まれて子供育てて、ヤマで働く亭主を支えるもんだぁ!」

ヤマの価値観に固執する千代は、ダンサーであるまどかのプライドを傷つけるような言葉を投げつける。ヤマで生きることを是とし、誇りを持って生きてきた千代にとって、まどかの歩いてきた道は、自分とはあまりに違うゆえに受け入れることができないものだった。

「勝手に変わったのは時代の方だぁ」

変わる時代の認識しつつ、変わらずにいたい気持ちとの狭間で揺れ動く心優しい兄洋二朗(豊川悦司)。居酒屋でまどかに話す、その言葉は妙に弱々しい。

「生きていかなきゃなんねぇぺっよ!」

洋二朗を裏切るように、ハワイアンセンターで働き出した友人光夫。その行為を非難する洋二朗に対して発した言葉は、炭鉱の人々に共通する心情であった。

「頼むから帰えってくれ!」

小百合(山﨑静代)が、父の臨終に間に合わなかったことで、教え子たちに向けられた非難の責めを一身に背負うまどかに対する千代の言葉は、あくまでも拒絶でしかなかった。自分の周りがすっかり変わってしまったことを知りながらも、かたくなに変わらない千代のこころ。

夢を探す 紀美子 「新しい道」
「馬鹿みたいに笑うの。どんなにつらい時だって、舞台の上では笑ってなければいけないの。プロなんだから」

早苗との別れのショックを引きずり練習に身が入らない紀美子を、まどかは叱咤する。
無邪気にがんばる段階を過ぎ、プロとして踊る厳しさに直面し始める娘達。

「お前はプロになるまで帰ぇってくるな」

まどかと喧嘩し、家に帰った紀美子に、熱燗をすすめる洋二朗。優しく、そして厳しく背中を押す兄に、紀美子はすぐに立ち直る。
自分が歩き出した道は、もはや後戻り出来ないプロダンサーの道であることを再認識するように。

夢を捨てた まどか 「新しい仲間」
「炭鉱の娘なんて、こんなもんだと思われて悔しくないなら、もうやめちまえ!」

初めての公演が惨憺たる結果に終わり、仲間割れを起こすメンバーに対して、まどかは怒る。しかし、その叱責はいつしか、炭鉱娘たちの側に立ったものになっている。だからこそ、娘達はまどかの怒りを素直に受け止めることができる。まどかも娘達も「フラガール」というチームの一員になっていたのだ。

「踊らせてくんちぇ。父ちゃんもきっとそう言ってくれると思うからー!」

炭鉱事故の報せを受け、公演を中止し、帰ることを決断したまどかに、小百合は泣きながら踊らせてくれと訴える。彼女達は、まどかの想像を越えて成長し、紛れもないプロに変わっていた。

「先生、いい女になったなぁ~。お元気で」

すべての責任を負って炭鉱を去ろうとするまどかに、万事を了解している吉岡は言う。思えば、まどかの成長の軌跡を、最初から見つめてきた唯一の人間は吉岡であった。

「わたしはあなたを愛しています。涙をぬぐって、愛しています。愛しい人よ」

汽車に乗り込んだまどかに、ホームを隔て、ハワイアンの手話で語りかける紀美子達。耳には聞こえないその言葉は、しっかりとまどかのこころに届いた。

「もう!サイコーだね!!」

待望のオープンの日、生き生きと踊る娘達。まどかは円陣の中で言う。いまのあなたたちと一緒に踊りたい。もはや彼女達は、師弟の関係を越えて、同じプロダンサーの道を歩むかけがえのない同志に変わっていた。まどかに新しい仲間が出来たのである。

夢を忘れた 母 千代 「新しい時代・新しい生き方」
「ここであきらめたら全部パーだっぺよ」

温水パイプの工事が遅れ、枯れそうになった椰子の木を暖めるために、炭住のストーブを貸してくれと土下座して頼む光夫。
いつのまにか周囲の人々が、新しい夢にすがって生きていることに、気づきはじめる千代。
<一人で練習する紀美子。それを見つめる母>
母の変化は、紀美子の練習姿を見て、決定的になる。その踊りは、母の想像をはるかに超えるプロの姿だった。「お前は、自分の道を歩みはじめたんだなぁ」千代の表情はそう語っている。

「いままで、仕事ってぇのは、暗い穴の中で、生きるか死ぬかで歯を食いしばりながらやるもんだと思ってぇた。 だけど、あんなふうに踊って、人様に喜んでもらえる仕事があってもええんでねえかぁ。」
「あの娘らなら、みんな笑顔で働ける新しい時代作れるかもしんねぇ~。こげな木枯しぐれいで,あの娘らの夢つぶしたくねぇ。」

ストーブを運びながら、絞りだすように発する千代の言葉。
彼女は時代が変わったことを受け入れた。娘達が、新しい時代の真ん中で、胸を張って生きていこうとしているに気づいた。そして、自分の役割は、その夢を応援してやることだと。

変わるものと変わらないものが、激しく交錯する寂れた炭鉱で、三世代3人の女性の「夢」をめぐる葛藤と成長の物語。
それが映画『フラ・ガール』である。




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