『女優たち』 女優という人生と幸福

2009年制作 イ・ジェヨン監督の群像劇
クリスマスイブ。ファッション雑誌「ヴォーグ」の特集フォト撮影のために、20代から60代まで各世代を代表する六人の女優(本人が本人役を演じる)が一つの席に集まった。単独で受けるスポットライトになじんだ彼女たちは、予想どおり神経戦が始まって緊張感がスタジオにみなぎる。写真を撮影するときも、絶対に重ならないように時差を置くというファッション界の不文律を破ったこの初めての試みは、始まる前から火種を抱いていた。
衣装選択から始まった神経戦は、ついにヒョンジョンの挑発にジウが席をけって出て行ってしまう不祥事となる。ヨジョンは誰かの代わりに出演依頼されたのではないかと気まずく、ミニはフォト撮影が楽しいが、オクピンはどこまでが先生でどこからが姉さんなのか、先輩たちが負担になるばかりだ。メインの宝石が届かずに限りない待ちが始まった。スタッフたちは焦り、女優たちはますます鋭敏になる…

群像劇、特に外国映画のそれは苦手である。
登場人物のキャラを把握するのに時間がかかる。顔と名前を憶えることに気を取られて、重要な伏線を見落としてしまったりする。
しかし、この映画は大丈夫。前半部分でたっぷり1時間かけて、各自の人間像をじっくり見せてくれる。

ユン・ヨジョンは、45分前にやって来た。
不安を口にしてはいるが、この仕事に秘かに楽しみにしていた、おそらくただひとりの女優である。それは、彼女が「女」を演じることを卒業しているせいかもしれない。老女優を自認する彼女がこだわるのは、他の5人とは異なる次元の存在感であろう。
グラビアの撮影には場違いな感を拭えない。若いスタッフは、彼女がいかなる女優なのかも知らない。
しかし、それも含めて受け入れていく強さを、ヨジュンは持っている。

イ・ミスクは、年齢を感じさせぬ美貌をウリにしている。それゆえに若い女優達へのコンプレックスを隠さない。キム・ミニのスタイルが抜群であること。チェ・ジウの背が高いことetc。事ある毎に他の女優の容姿を評する言葉が口にでる。
ちゃっかりと日本語の練習もしており、いつでも韓流ブームに乗れる準備に怠りはない。
誰に対しても直裁な物言いをするが、さっぱりとしているので嫌味にはならない。

コ・ヒョンジョンは、常に周りからどう見られているのかに過敏である。
ストレスのせいかアル中気味でもある。離婚スキャンダルの傷の深さを感じさせる。
旧知のヨジュンやミスクとは如才なく話せるし、若手ともフレンドリーに接することができる。人間関係を円滑にこなすことに人一倍気をつかうタイプのようである。
ただ一人、かつての自分のポジションを奪い、それ以上の存在になったチェ・ジウだけには、敵愾心をむきだしにする。

ヒョンジョンの年齢は38歳であることが劇中で明かされる。ヨジョンとミスク、ヒョンジョンは干支が同じだというセリフのあとに、ミスクは年をいくつか誤魔化していたことを白状する。
このことから、ヨジョンは62歳、ミスクは50歳前であることがわかる。

チェ・ジウは、この現場では、上と下、双方からプレッシャーを受け、気を使わなければならない立場である。おまけに徹夜続きで疲れている。
にもかかわらず、感情がすぐに表に出るので、考えを見透かされてしまう。ぐずぐずと現場に来るのを延ばしたり、マッサージ師を連れ込んだりするが、全ての行動が裏目に出て、ヒョンジョンの格好の餌食となる。極度の潔癖症の様子。

キム・ミニは、バイクで颯爽と登場する。女優として旬を迎えつつあり、抜群のスタイルは、他の女優の羨望の的になっている。
本音はわからないが、周囲の視線を気にせずにマイペースで振る舞うことができる。女優同士の気を使うオシャベリより、スタイリストやメイクさんと気さくに話すことを好む。
奔放でありながら、如才なく生きるタイプ。

キム・オクピンは、小心者のくせに不器用で、上手く立ち回ることができない。どんくさ系のキャラであろう。
現場には一番に到着していながら、駐車場でひっそりと様子を伺っている姿が象徴的である。初対面の先輩達の中に入るのが精神的苦痛で仕方ない。

チェ・ジウはインタビューの中で、高校生時代にヒョンジョンに憧れたと答えているので、彼女より5歳程度年下、33歳位か。ミニとオクピンは、28歳と23歳であることが会話に出てくる。

撮影までの、とりとめのない会話や振る舞いの中で、各自がどういう立場で、何を考え、何を恐れているのかがよくわかる。
盛んに繰り出されるジャブの応酬が、本人達にも観客にも少しずつ効き始めている。

グラビアの撮影シーンが大きな転換点になって、映画は次のフェーズへと移っていく。
中盤は、各自の弱み・コンプレックスが表出し、ヒョンジュンと大喧嘩をしたチェ・ジウが外に飛び出していく場面をピークにして、一気に緊張感が高まっていく。

ヨジュンは、自分が誰かの代替ではないかと気になってしかたない。
ミスクは、気丈に見えて、実は薬が手放せない。
ヒョンジュンは、酒だけでなく、若い男にも溺れている。
オクピンとミニは噛み合わない会話をする。

雪の中、ジウが焼き芋を抱えて戻ってくるのを合図にして、場面はもう一度転換する。予期せぬ歌声に、ロマンチックな心を思いだし、パーティへと突入する。

パーティでは、酔いと共に本音の語り合いがはじまり、女優論が語られる。
「いつも自分だけが注目されていたい。それが女優なのよ」
ミスクの言葉に、全員がうなずく。
だから、自分のポジションを脅かすもの、自分と比較されそうな存在が気になるのだ。
他者を意識することは、いつもひとりでいることを意味する。

「私たちに必要なのは、奥さん」とヒョンジュンは言う。
周囲が抱く理想のイメージを守るために、人一倍の努力を必要とする。疲れた時に、そっと支えてくれる存在が欲しいのだ。

ヨジョンが語り始めた離婚時のつらい思い出話で、映画は、一気にクライマックスへと向かう。
「2年間はテレビに出るな」と釘を刺され、夫のマスコミプレイに反論することを許されなかった。ひっそりと離婚の哀しみを癒すことさえ、させてもらえなかった。

ミスクの瞳からは、抑えていた涙が溢れ出る。気丈な彼女も、離婚でひどく傷ついた過去があった。
ヒョンジュンの豪快な泣き。彼女にとって離婚の痛みは、いまだに現在進行形である。

「女優というだけで、普通ならしなくてもすむ嫌な思いをしなければならない」
ジウの涙は、ヒョンジュンの哀しみとはじめてシンクロする。

「私たちは、自分で自分を鍛えないといけないの」
ミスクは、自分に言い聞かせるようにつぶやく。

そして、ヨジュンの名セリフ

「浴びた拍手が大きい分、非難も大きくなる」
「いいときもあれば悪い時もある」

それが女優なのだ。
本当に言いたいのはその逆なのではないか。

「悲しみが深い分、浴びる拍手も大きくなる」

それを信じるのが女優なのだ。

彼女達は、男でもなければ、女でもない。女優である。
彼女達が選んだのは、女優という職業ではない。女優という人間である。
彼女達が望んだのは、平穏な幸福ではない。賞賛と非難の波間に漂う女優の幸福である。


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