『ニュー・シネマ・パラダス』ふたつの人生を生きたひとりの男

1989年制作 監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
映画監督として成功をおさめたサルバトーレのもとに、老いたアルフレードの死の知らせが届く。彼の脳裏に、“トト”と呼ばれた少年時代や多くの時間を過ごした「パラダイス座」、映写技師アルフレードとの友情が甦ってくる。シチリアの小さな村の映画館を舞台に、映画に魅せられたサルバトーレの少年から中年に至るまでの人生を3人の役者が演じる。アカデミー外国語映画賞やカンヌ映画祭審査員特別グランプリなど、各国で賞賛を浴びた。
                      (映画.com解説より引用)

アルフレードはトトであった。そしてトトはアルフレードであった。ふたりは、別々の人生を生きたひとりの人間であった。

トト(サルバトーレ・カシオ)は幼き日のアルフレードであり、アルフレード(フィリップ・ノワレ)は年老いた日のトトであった。
映画が大好きで、人懐こく、機転が効いて、気の良い、ひとりの男であった。
ふたりは、時代を隔て、シチリアの同じ田舎町で、同じように生きた。
あたかもアルフレードの影法師をトトが後ろを追いかけていたのだ。
トトが20歳になるまで、ふたりの人生は限りなく相似形であった。

アルフレードは、幼い頃の、映画に対する無邪気な好奇心のままに、狭くて暗い映写室に我が身を委ねてしまった。眼の前にいる人々の喜びを唯一の生き甲斐にして、映写技師として生涯を送った市井の映画人であった。
彼は、その小さな生き甲斐の代償として、とてつもなく退屈で、どうしようもなく貧しく、いつだって孤独な人生を過ごすことになった。
小さな映写室の中に閉じ込められた、名もなき男の一生。
それがアルフレードの人生であった。

トトは、青春の挫折を糧に、故郷を捨てて、ひとり映画制作の世界に飛び込んだ。サルバトーレ(ジャック・ペラン)として素晴らしい映画を作り、世界中の人々から賞賛を浴び、誰もが羨む映画人になった。
彼は、その偉大な成功の裏返しとして、こころから女性を愛することもできず、深夜の街をひとり寂しく帰宅する。30年間も故郷に帰ることができずにいる。
大切な何かを置き忘れたまま、仕事に生きる孤独な男。
それがトト=サルバトーレの人生であった。

時を隔ててひとつの道を歩いていたはずのふたりが、なぜこうまで違う人生を送ってしまったのか。いや正確に言うならば、なぜトトはアルフレードの影法師を追うことを止めたのか。その意味を考えることが、この映画を理解することかもしれない。

シチリヤを離れた日を境にして、トトは、アルフレードの背中を追うことを止めた。いや、違う。アルフレードが、トトをして自分とは別のもうひとつの道へと歩ませたのだ。

「二度と帰るな」
「俺たちのことを忘れろ」
「自分のしたいことを愛せ、試写室の子供の頃のように」

この魔法の言葉は、それまでひとつであったふたりの人生を、生木を裂くように分かつ破裂音でもあった。
この魔法にかかることで、トトはエレナとの恋を失った。
この魔法をかけることで、アルフレードは生涯償えぬ罪を背負った。
この魔法によって、二人は自分自身で別々の人生を歩むことを決めたのだ。
とてつもなく大きな代償にかえて、ふたつの異なった人生が始まったのだ。

アルフレードは、自らの死をトトには報せるなと言い残した。
トトが故郷に戻れば、きっとエレナを探し出すであろう。
そしてエレナと会えば、30年前に置き忘れてきた青春の恋を取り戻してしまうだろう。
あの頃のように、毎日エレナの家の前に立ち続けるかもしれない。
それは、30年かけて培った映画人としての名声と財産を捨て去ることにつながるかもしれない。

アルフレードはトトである。だからエレナと再会したトトが何をするのか、アルフレードは誰よりもよく分かっていたのではないか。

実際に、故郷に帰ったトトはアルフレードの心配したとおりになった。
パブで遭遇した美しい娘にエレナの面影を見いだし、ついに本人探し出したてしまった。
トトは、燠火のように胸の奥深くに守ってきたエレナへの愛を、激しい炎に転じて燃え上がった。
エレナとの抱擁を一夜の思い出に留めることが出来なかった。
「僕はそうは思わない」
私たちに将来などない。あるのは過去だけよ、とたしなめるエレナに対して、トトはそう言い放った。
シチリアを後にする機上で、トトはエレナへ愛のために映画をすてることさえ覚悟したのではないだろうか。
今度こそあきらめない。彼はそう心に決めたに違いない。

アルフレードは、トトが再び恋に彷徨うことを予期していたかのように、もうひとつの魔法を用意していた。それが幻の編集カットであった。
それは、いつの時か、自分の死後に訪ねてくるに違いないもう一人の自分(トト)のために準備した、とっておきの魔法であった。

正確に言えば、アルフレードがトトの行動を予期していたのではない。感情が昂ぶった時に、きっと自分はそうするだろうと確信していたのかもしれない。トトはアルフレード自身なのだから...。

トトは、まんまと二度目の魔法にもかかってしまった。
次々と映し出される幻のラブシーンを観ながら、トトの顔に甦った喜びの表情は、幼い頃にカーテンのすきまから試写を覗いていた頃の表情と同じであった。
アルフレードとトトが同じ人生を歩んでいた頃の思い出とともに、映画の素晴らしさ、喜び、可能性をもう一度思い出したに違いない。
それは、トトが、もうひとつの人生(映画づくりに生涯をかける孤独な人生)に戻ることを決めた一瞬でもあった

アルフレードが残した幻のフィルムは、トトにかけた30年振りの魔法であった。トトは、その魔法のおかげで、もうひとつの人生へと引き戻されたのだ。

「アルフレード、またあんたにしてやられたよ」
アルフレードの胸中には、そんな台詞が浮かんだのではないだろうか。

アルフレードはトトである。トトはアルフレードである。
ふたりは、ふたつの人生を生きた、ひとりの映画人である。

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