『THIS IS IT』「天と人との和合」

2009年6月に急逝したマイケル・ジャクソンによって、死の数日前まで行われていたコンサート・リハーサルを収録したドキュメンタリー。何百時間にも及ぶリハーサルを一本の映画にまとめあげたのは、『ハイスクール・ミュージカル/ザ・ムービー』の監督兼振付師で、予定されていたロンドン公演のクリエーティブ・パートナーでもあったケニー・オルテガ。コンサートを創り上げる過程では、偉大なスターであり才能あふれるアーティストでもありながらなおも進化を続けたマイケル・ジャクソンの素顔が垣間見える。
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2009年6月、1か月後に迫ったロンドンでのコンサートを控え、突然この世を去ったマイケル・ジャクソン。照明、美術、ステージ上で流れるビデオ映像にまでこだわり、唯一無二のアーティストとしての才能を復帰ステージに賭けながら、歌やダンスの猛特訓は死の直前まで繰り返されていた。
(シネマトゥデイより)

およそすべての宗教は、「天と人との和合」だと言われている。
人智が遠く及ばない神の領域近くに、人間が越えていくという感覚、つまり超越経験が宗教の本質である。
神社の荘厳な森。寺の本堂に焚き込められたお香の匂い。教会のステンドグラス。祈りの歌や言葉。ロウソクの灯り。
それらはみな、超越感覚の疑似体験を促進するため装置である。

超越経験を現実世界で疑似体験するためには、必ず仲介者が必要になる。
古代ギリシャでは、仲介者を「カリス」と呼んだという。神の恵み、神の賜物、天賦という意味を持つ。これが「カリスマ」という言葉の語源である。
カリスマが持つ天賦の才に奇跡を見いだし、感服し、帰依することが宗教の原型である。この人達が集団化することで宗教結社が生まれる。
モーゼ、キリスト、マホメット、釈迦、日蓮、親鸞、池田大作....
彼らはみな、「カリスマ」である。
天と人との仲介者として、世俗の人々が天に近づくための超越経験に誘う役割を、彼らは果たしたのである。

『THIS IS IT』を観た時に、すぐに思い浮かんだのが、上記の「超越体験」という言葉だった。
これは単なるリハーサルではない。
ダンサーや舞台芸術家、映像クレイエイターといったプロの集合体でもない。マイケル・ジャクソンというカリスマに導かれて、天の領域を目指して、何かを越えて行こうとする、疑似「宗教結社」がそこにあったのではないか。

「これは、教会だ!」
リハーサルの集合間際、マイケルを中心に輪を作って手を繋ぎ合う場面で、オルテガ監督は、いみじくもそう叫んだ。
彼は、さしずめ、マイケルというカリスマに付き従う使徒である。
スタッフはといえば、世界中からマイケルのもとに集ってきた巡礼者達である。

This is it, I can say,
I’m the light of the world,

こんな言葉、カリスマでなければ言えない。マイケルだから受け入れられる。

彼は、ひょっとしたら死の預言を聞いていたのかもしれない。
イエスが、自らが神の子であることを確信し、人々の罪を背負うために、十字架を背負って、ゴルゴダの丘を登ったように、マイケルはロンドンにやって来た。そして死んだ。
イエスは、三日後に復活したという。
同じように、マイケルは『THIS IS IT』という映画の中で永遠の復活を遂げた。

This is it, here I stand
I’m the light of the world,
そう歌いながら、映画の中で今も輝き続けている。

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