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いちにちの終わりの掌編小説集

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いちにちの終わりにひとつづつ書いている、1000字程度の小説集です。
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記事一覧

【掌編小説】くらげ

よるの海にはひとが思いもよらないくらいに、くろくておおきな、ただ水生物たちだけの世界があるのです。 そして、その世界のかたすみには、ぷか、ぷか、ぷかと、くらげが浮かんでいて、夜空には、金色の星々が燦然とかがやいていることでしょう。 たとえば。 そのくらげが星々について思考したら? そんな仮説から、このみじかい物語は、はじまります。 *** (あれ、あんなところに、光るものがある、ぼくは今まで気づきもしなかった。みんなも気づいていないみたいだ。) その夜、海面ちか

【掌編小説】がまがえる

こやつ――がまがえるとにらめっこをつづけて、もう半時間がたつ。こちとらもっと綺麗なおさかなたちを見物しに来ているのだ。まちがってもこんなぶさいくと時をすごすために、水族館などへとしゃれこんででかけてきたわけではない。 いや、しかたないのだ。なんとはなしに水槽をのぞいたら、こやつがのぞき返してきてきやがった。その顔があんまりにもぶさいくなので、なぜか喧嘩を売られた気がした。どうしても見過ごせなかったのだ。それでにらめっこが始まった。 腹の立つまぬけ顔だ。でろんとたれた目、あ

【掌編小説】風

その風は、どこをも旅したのが自慢だった。 生まれは山あいの、小さな湖だったように思う。 気づいたときには、風は風として、湖のそばの林の木々をそよと揺らしながら、世界へ向けて旅立っていった。 * あるとき、風は山の間から村に降りて、民家のかやぶきの屋根をざわざわと揺らしたことがあった。 そこには朝の農作業を終えたひとりの男が昼寝をしていて、ひとりごち、つぶやくのだった。 「ああ、気持ちいい風音だ。おかげでよく眠れるよ」 * またあるとき、風は都市のビルの隙間をぬって

【掌編小説】花

町の片隅にある小さな公園で、いっぴきのアリが、日常をそれなりに幸せに暮らしていた。 毎日毎日、えんえんと食べ物を巣へ運ぶ。 単調ではあるが、充実した日々。 アリは、公園の中での生活に満足していた。 *** そんなアリの日常に、晴天の霹靂とも言える出来事が起こった。 それは、旅するノライヌが公園にやってきたことだった。 旅するノライヌはアリを見つけて言った。 「やあやあアリさん、君はこんな小さな公園の中で、毎日毎日働いていて気が滅入ったりはしないのかい」 アリは答えた。

【掌編小説】パンサー

(一) そのおじいさん原型師は「むつごろうさん」なんてのがあだ名で、いつも動物のキーホルダーの型をつくっていた。 彼はとにかく動物がだいすきで、もちろん家には猫二匹と、犬を一匹、金魚を一匹飼ってみんな家族のように大事にあつかっていたし、休日には動物園に赴いて、フィルムカメラで動物の写真を撮ったりする。 ゾウやキリンや、オランウータンや、孔雀やニシキヘビは、人間よりももっと素直でめんどうがなくて、彼は動物たちとずっと一緒にいることが、何よりも幸せだった。 そんなぐあいで動物

【掌編小説】言の葉ぬれて

雨にぬれたページがぐじゅぐじゅと湿っていく。 紙が濡れて、裏に書かれた言葉が透けて浮き出てくる。 本はしんなりと萎えて、枯れていく。 それでも、まだ読めるから。 女は、懸命にページを繰り続ける。 *** 昨日は晴れていた。 乾いた日でもあった。 そんな日に限って、男は、女に別れを切り出した。 「おまえは悪くないよ。これからも幸せを願ってる」 そんなことを言いながら。 その日の言葉は、晴れて乾いて、残酷にもまっすぐに女にとどいた。 *** 今朝起きたとき、空は曇天

【掌編小説】わたり鳥

(一) そのわたり鳥は、季節ごとに北の大陸と、南の島をわたっていた。 何年も、何年も、わたっていた。 *** わたり鳥にとって、空をわたることはなにぶん嫌なものでもなかった。 ひろい空を、気流に乗って、翼を広げて前に進む。 それはわたり鳥にとって"作業"だった。 それは本能的なもので、義務的でもあって、当然しなければならないことだと理解していた。 いわば諦められていたのだ。 諦められていたから、寒さや退屈や空腹など、空をわたることへの苦労なども気にならなかった。 そのわ

【掌編小説】こじき

……帰る場所もないから、こじきは高架下に座っていた。 雑踏。新宿。足音。 それらは、時たま、電車の轟音で何も聞こえなくなる。 もともと聞く気もないけれど。 *** きたないレジャーシート。 アニメのキャラクターが書かれたそれに座って、こじきはじっとしている。 憐れなこじきの尻の下で、子どものために、もしかしたらそのキャラクターはむじゃきに笑っているのかもしれない。 ……こじきだって笑う。ラジオが冗談を言っている。 こじきだけじゃない、"みんな"に向かって、ラジオは話しか

【掌編小説】パルス

(一) そのパルスは、ある日インターネットに生まれた。 生まれてしまったからには、生まれた意義を、ふかく考えた。 こころのうちを抽出してみれば、パルスには欲望があった。 それは、ある場所へ行くこと。 どうやら、パルスには行くべきところがあるらしい。 *** パルスは街へ出た。 その街では、ありとあらゆる信号たちが、行動目的の遂行のために行き交っていた。 そのあまりの情報量に、パルスはめまいがするようだった。 行くべきところへの道がわからなくて困っていたので、パルスは

【掌編小説】朝

彼氏がいる女の子と寝たのに空が晴れているのを不思議に思った。 透明なガラス窓から、光がさしてきていることに罪悪感を抱いた。 照らさないでほしかった。ぼくだって、闇にまぎれて悪いことがしたかった、だけだった。 *** 「浮気は人を裏切る行為だから、幸せになれない」 なんて正義面して、安い居酒屋で気持ちよさそうに語っていた。 そんなとき、ぼくの友人たちは一瞬瞳をくもらせて、「そうだよな」なんて感心したふりして、うなずいてくれる。 ぼくらはみんな、セックスができない自分を慰めて

【掌編小説】きらい

彼は、“きらい”をどうしても愛せなかった。 どうやら“きらい”を持っていれば、他人と簡単にこころを通じ合わせたり、自分を強くみせたりできるらしい。 けれども、どうしても、彼は“きらい”を愛せなかった。 そして、愛していないものを、彼は持ってあるけなかった。 *** たとえば職場の同僚とランチを食べるとき、彼は困ってしまう。 ミートソースのパスタに、同僚の“きらい”が振りかかってどうしてもまずくなってしまったりするからだ。 同僚たちは、ペペロンチーノやカルボナーラに“きら

【掌編小説】ラジオ

イヤホンをなくしたから、ラジオにまで見放された気がした。 外には雨がうっすらと降っていて、とてもじゃないけれど、だれかの声が聞こえていないまま外を歩くのは不可能に思えた。 それでも、一日中部屋のなかにいるのだって、夜に向けてゆっくりと、こころが自意識のために狭まっていくのだろう。 ……それはそれで、とても辛いはずだ。 ぼくは仕方なく玄関口に立てかけてあったビニール傘を手にとって、扉を開けて、外に出た。 *** ビニール傘からは、しとしと、雨しずくが跳ねる音がした。 しと

【短編小説】『ピアノ』第一章

きのうは卒業式だった体育館も、いまや閑散としている。 その空間を占めているのは、たとえば、ボールの弾むおとを待っているような静寂。 その静寂のなかに、ひとりの少年と、ひとりの少女が舞台のうえのピアノの前に座っていて、やがて、一緒に音楽を奏ではじめた。 少年の調べは、ある種の完成形に近いような精緻な演奏で、忠実に、音のます目へ感情を書き入れていた。 法則や、必然性。 あまりにも普遍していて、だれも存在を気にしないほど、うつくしく、正しいもの。 それらの一部として、少年の調べは

【掌編小説】学校

なんて不公平なんだろう。 学校で簡単に日々を送ることができるひとと、そうでないひととが、同じ教室で過ごさなければならないなんて。 *** 教室はいつも花々と賑やかで、笑い声が咲いていて、ぼくだけはただの人間で、いつもその花たちを踏まないようにして生きている気がする。 それでも休み時間をやり過ごせば、やがて授業が始まって、ぼくは誰でもないひとりの生徒としてみんなの仲間になれる。 そしてそのことに救われている。 さあ、歴史の時間が始まる。 *** 「なぜかといいますと」