ぴゅう太 - ゲームが作れるのがパソコン
アメリカでコモドール64が売れまくっていたのを見てなのか、日本でもゲームを扱っていたメーカーはホームパソコン市場を狙っていました。
コモドール64 - ホームパソコンの理想を求めて
ゲーム専用機ではなく、あくまでパソコンであって、パソコンと言うからにはBASICが動かないといけないというのが基本にあったようです。やはりゲームと言うとおもちゃになってしまうので、パソコンにしないと高すぎるというのがあったのかもしれません。ということでトミー(現タカラトミー)から6万円弱という価格で発売されたのが「ぴゅう太」です。
ぴゅう太
【トミー工業】ぴゅう太
CPUにはTMS9995というTI-99/4Aで使われた16ビットCPUの後継種を採用し、スプライト機能などを持つVDPを採用したのも同じです。ソフトはカセット型のカートリッジで供給することを基本としましたが、もちろんカセットテープも使えます。そしてゲームも出来るのですから、コントローラも付いてきます。
特徴的なのが搭載したBASICで、なんと日本語でプログラムが書けます。BASICのPRINTなどの予約語を単に「カケ」などと日本語にしただけですが、やはり子供向けというのを強く意識していたのでしょう。スプライトを直接操作する命令も拡張されており、BASICを使ってもそこそこのパフォーマンスが出るゲームを作ることも出来ました。
日本語G-BASICシミュレータ for Windows
ただ低価格パソコンあるあるなのですが、キーボードがボタンなのは、やはりいただけません。コントローラの使い勝手も今一つで、パソコンとしては安価ではあるものの、決して安いものではないので、こういうところでコストを削るとどうしてもおもちゃになってしまいます。
【TOMY】TOMY自社開発の16ビット機"ぴゅう太"1982年登場
ちょうどタカラ(とソード)からはM5が出たところで、対抗する気持ちはあったのでしょうが、その後に一緒になる両社が同じような戦略を取り、同じように撤退してしまったのは、何かを暗示しているのでしょうか。
ソードM5 - 日本における低価格パソコンの始まり
この時代までは充分なクオリティを持つゲームが潤沢に用意されているわけではなく、ゲームで遊ぶことよりも、ゲームを作ることが出来て、それで遊ぶというのがパソコン体験だったことは間違いなく、BASICでプログラムを書けるということはゲームを作ることが出来るというのを意味していたのかもしれません。
そのグラフィックと日本語BASICに、僕らは憧れた - トミー「ぴゅう太」
まだディスクも無くカセットでデータを読み書きしていた時代においては、実用的なアプリケーションを動かすことも難しく、ゲーム以外に何ができるのかといえば、なかなか難しいものがあったのも確かです。もっともAPPLE][で一足早くパソコンの世界に飛び込んでしまった私としては、カセットの時代をすっ飛ばしていきなりディスクを使っていたこともあり、BASICなんて遅すぎて複雑な処理を書けば遅くて仕方がありませんでしたし、自分でゲームを書くまでもなく豊富なコンテンツが供給されていたので、BASICが動けばパソコンなんだよというアプローチには疑問を持っていたのは確かです。ゲームよりも英語限定でしたがドキュメントを書いたりデータベースを作る方が便利で楽しかったので、いくら入門用とは言っても、ソフトウェアの蓄積と流通、そしてプリンタやディスクと行った周辺機器を充実させることのほうが大切だとは感じていました。
ほぼ同時期に規格が制定されたMSXは、さすがにそのあたりを見据えていたので、乱立していた低価格パソコンはあまり日の目を見ることもなく消えていったのでしょう。
ヘッダ画像は、以下のものを使わせて頂きました。https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tomy-Tutor-wControllers.jpg
Evan-Amos - 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=73571996による
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