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TRS-80のその後

APPLE][とPETと共にパソコン御三家として一世を風靡したTRS-80ですが、販売元であるタンディは日本への売り込みにあまり熱心ではなかったようですが、それでも日本向けに電源ユニットを交換したり、カタカナが使えるようにキーボードを変更したりしたモデルも用意しました。

パソコン御三家 - Apple、PETとTRS-80

ラジオ シャック TRS-80(モデル I)

少なくともアメリカでは飛ぶように売れたので、当時のパソコンあるあるで、多くのコピー品も登場したようです。早くも1978年にはFDDを発売し、TRS-DOSというDOSも用意したのですが、コストを抑えるためか開発を急いだせいか、信頼性が低かったりバグが多かったために、あまり評判が良くは無かったようです。それでも当時はTRSこそパソコンの標準だという風潮が強かった気がします。

TRS-80

The Tandy Radio Shack TRS-80 Model 1 (as seen in Terry Stewart's computer collection)

FDDが使えるようになるとビジネスマーケットが急速に広がり始めます。タンディもそれを逃すまいと1979年の秋にはModelⅡを発売します。これはModelⅠにいろいろな問題があったためか、ホビー向けとビジネス向けはそもそも違うものだという意識があったのかはわかりませんが、完全に新しく設計したもので互換性はありませんでした。どちらかというと当たり前の仕様でModelⅠとの互換性も無い専用の環境ではアプリも揃わず、むしろModelⅠと違ってCP/Mが動いたために数あるCP/Mマシンたちの仲間として飲み込まれてしまいました。

1980年の夏には、ModelⅡの反省もあって、ModelⅠとの一応の互換性のあるModelⅢをリリースしました。タンディはどうも開発力に問題があったようで、ハードウェアには目につく微妙な欠点が残り、DOSやBASICのバグも取り切れなかったために苦しい戦いが続いたようです。この後、ModelⅡ後継のModel12が1982年に、ModelⅢ後継のModel4が1983年にリリースされ、CP/Mが標準で動作するようになるとCP/Mマシンとして使われるようになり、タンディであることは特別な魅力ではなくなってしまいました。

TRS-80 モデルⅠ モデルⅢ

また後継機種はカタカナなどの日本語対応されることもなく、アメリカの雑誌には出ているよねという扱いで、秋葉原などで見かけることも殆どなくなったように思います。

上記のメインストリーム以外にも、VICに対抗したColor Computerや、ラップトップ型としてのModel100、シンクレア対抗のMC-10、そしてカシオやシャープのポケコンもTRSブランドで売るなど、少しばかりヤケクソ気味に各方面への挑戦を続け、最後にはIBM PC互換機まで売り始めたのですが、結局1993年にパソコン事業から撤退することになりました。

タンディ・コーポレーション

RadioShackの「TRS-80」を写真で振り返る--初期パーソナルコンピュータ市場の先駆け

業界に痕跡を残して消えたメーカー 激安PCで市場を席巻したTandy RadioShack

そういえばAndroidで動作するエミュレータアプリを見つけました。グラフィックもなくシンプルなBASICのみの世界ですが、当時の当たり前のパソコンを感じるにはお手軽で良さそうです。

TRS-80 Emulator

ヘッダ画像は、以下のものを使わせていただきました。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:TRS-80_Model_3_01.jpg
By Bilby - Own work, CC BY 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10955492

#レトロPC #TRS80 #TANDY #TRSDOS  

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