IBM-PCの登場
今、Windowsが動作するような多くのパソコンは未だにPC互換機とも呼ばれ、一定の規格を満たしたCPUであるとかメモリ、拡張カードをサポートしています。このような共通規格を満たせていれば、どこのメーカーの製品であっても自分で組み立てたものでも、基本的にはWinndowsなどのOSを動かすことが出来ます。PC互換機の「PC」というのはパソコン一般にも聞こえますが、そもそもはIBMが最初に出したパソコンを指していました。
1981年、日本ではまだPC-8801が登場する少し前、MZ-80BやベーシックマスターL3、FM-8といった8ビットパソコンが次々と発売され、特にそのグラフィック機能を競っていました(如何に素敵なゲームが作れるか)。アメリカではフロッピーディスクとCP/Mが普及しつつあり、パソコンで事務処理を行うというスタイルが花開きつつありました。DOSの普及によりソフトウェアは特定の機種ではなくDOS上で動作すれば良く、大手メーカーのパソコンはAPPLEを除けば徐々に家庭用にシフトし(そしてやはりゲームで遊ぶ)、CP/Mが動かせる箱に入ったボードコンピュータが使われることも多くなっていました。
ボードなコンピュータからCP/Mなマシンたちへ
こんな混沌とした時代に、コンピュータと言えばIBMとも言われた業界の巨人がパソコンに参入するために用意したのが「THE PC」とも呼ばれる”IBM Personal Computer”(IBM-5150)でした。CPUは16ビットであるインテルの8088を採用し、5インチフロッピー(160K)が2台まで搭載可能で、標準的なOSとして(CP/M-86を選ぶこともできましたが)PC-DOSと呼ばれたマイクロソフトのDOSを採用しました。搭載しているメモリは最小構成では16Kでしたが純正でも256Kまで拡張することが出来ました。
IBM PC
このパソコンが衝撃的だったのは、あくまで「あのIBM」がパソコンを出したということで、少なくとも日本ではテキスト表示だけで日本語が使えるわけでもなく、海の向こうの話に留まっていました。ただアメリカでのインパクトは想像以上に強く、おそらく最も深刻に捉えたのがAPPLEで、これをキッカケとしてLISAやMACの開発が始まったのだと思います。後にジョブズが「IBM-PCの発売によってパソコンという業界が認知された」と皮肉っています。
IBM PCの衝撃 The advent of “the PC”
IBMはマイコンの能力が高くなるに連れ、いずれマイコンを使ったコンピュータが自社の製品を脅かすだろうと認識していて、いくつかの試作機を作っていたようですが、まだまだ彼らが満足するものではなく、16ビットCPUが使えるようになったタイミングで参入してきたようです。ポイントは安価にすること(そしてそれで自社の既存製品と差別化する)で、そのためには自社で開発するのではなくできるだけ広く使われている技術を寄せ集める必要があることに気がついていたようです。マイクロソフトのDOSを採用したのも、それが理由でしょうし、ハードウェアの規格を積極的に公開してサードパーティ製品を使えるようにしたのも、その現れです。おそらくパソコンはとてもたくさん売れるものなので、大型機のような丸抱えの細かなビジネスは無理で、販売やサポートも外部の企業に任せる必要があるという賢明な判断があったのでしょう。さすが「国際事務機器」です。
第3回 本家IBM PCの歴史(1)~IBM PC誕生
パソコン市場形成期におけるIBMの技術戦略
この頃、日本でもやはり大型機メーカーでもあるNECからはN5200、富士通からはFACOM-9450、三菱電機からはMULTI16が発売されるなど16ビットCPUを採用したビジネス向けのパソコンが登場しています。ビジネスというので漢字を含めた日本語を無理なく扱える必要があるのですが、それには16ビットになったからといっても十分な能力があるとまでは言えず、多くのメモリを必要とすることもあり、かなり高価なものとなっていました。
IBMの子会社でもある日本法人もそれはよくわかっていて、国内でIBM-PCを積極的に推すこともなく独自に開発を行います。そして1984年に”IBMマルチステーション5550”が登場します。この頃までには標準的な日本語文字コードも整備されフロッピーも普及し、PC-DOS(MS-DOS)も日本語を扱えるようになっていました。この間の時代は、パソコンはもっぱらゲーム用途への進化を続け、ビジネス向けにはどちらかといえばパソコンではなくワープロ専用機が幅を効かせていました。
IBM-PCも時代に合わせて進化を続け、ベースとなるCPUや拡張スロットの規格が変わっていきますが、汎用的なアーキテクチャが多くの互換機を産むことになり、パソコンと言えば「PC互換機」という時代になりました(例外はAPPLEくらい、UNIXはまだ商用化されていません)。当時のPCおよび互換機は標準で日本語が扱えるようになっていませんから、日本は日本で独自の世界を作る余地があったわけです。これがDOS/Vと呼ばれるどんなPCでも日本語が使えるようになる仕組みが出来て、一気に事態が変わります。その辺りはまた別の機会にしますが、メーカーごとのパソコンを買ってくるのではなく、パソコンを組み立てて自分でカスタマイズして使うという文化は、このIBM-PCから始まったのは確かでしょう。
パソコンの歴史
ヘッダ画像は、以下のものを使わせていただきました。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ibm_pc_5150.jpg
Ruben de Rijcke - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9561543による
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