16bitの足音 - 漢字が使えるようになるまで
まだまだレトロPCも書いていないものが多いのですが、そろそろ時代は16ビットに向かい始めそうなので、その頃の動きなんかをまとめておきます。
アメリカでは漢字の問題もなく充分にビジネスでも使えるようになっていたのですが、日本ではやはり、この漢字が使えないというのがビジネス分野に展開するための大きな壁になっていました。もっともアメリカにおいてもビジネス分野において扱うデータの量が増え続けていたので、いずれ64Kのメモリでは不足することは充分に意識されていました。
そもそも8ビットCPUが使えるメモリが最大でも64Kなので、これ以上のメモリを使うにはバンク切り替えという方法でしのぐしかありませんでした。BASICインタプリタが肥大化した(だいたい32Kくらいになっていました)のとグラフィックが高精細になるに連れビデオRAMも多くのアドレス空間を消費するようになりました。
ROMをRAMにコピーするという手法はアクセス速度の違いから、良く取り入れられていた(ROMを一部書き換えるための手法としても使われた)のですが、それに加えFM-8ではサブCPUという形でVRAMを見えなくしましたし、メモリ空間ではなくI O空間にVRAMを配置したり、画面出力はVDPというチップに任せVRAMもそちらに置くという設計をとる機種も多くなっていきます。
MSXも最初からVRAMはVDPに任せ、16K単位でメモリを切り替えながら使うという設計になっていましたが、メモリ価格の大幅な低下によりより多くのメモリを扱えるようにMSX2からはメモリマッパーという仕組みが用意され、とても大きなメモリを扱うことができるようになりました。
マッパーRAMアクセス機能
このようにして多くのメモリを扱えるようになったことで、何とか漢字フォントをおいてグラフィック画面に描画する仕組みは整いつつありましたが、日本語を扱うには漢字を表示できるだけでは足りず、漢字を入力する仕組みも整備しなければなりません。やはりMSX2からは単漢字変換をサポートする機種も出てきて、何とか入力することは出来ましたが、ワープロのように使うにはまだまだ力不足です。
いずれにせよ8ビットな時代には日本語を容易に扱える環境にはならず、パソコンはもっぱらゲームをするものという扱いから脱却できず、ビジネス向けの機種が登場するのは16ビットの時代を待つ必要がありました。
その間にアメリカではビジネスアプリの利用が拡大されFDDは当たり前という世界になっていました。表計算などを使えば欲しいメモリもどんどん増えます。そのため多くの拡張メモリモジュールが登場しましたし、8ビットCPUであっても後継機種では64Kを超えるメモリをアクセスする機能も備えるようになりましたが、連続したアドレス空間を確保できるわけではなく、プログラムを置くというよりはRAMディスクのような使い方が多かった気がします。
ということで、アメリカでも日本でも16ビットCPUを搭載したPCを心待ちにするようになっていきました。ただ新しいCPUになれば今までに蓄積されたソフトは使えなくなりますし、FDDが一般的になってきたので本格的なDOSが必要になります。日本のPCではDISK-BASICと呼ばれるディスク命令が追加されたBASICがOSの代わりをしていたので16ビットへのハードルは高くなっていました。
もちろん16ビットCPUは、大変に安価になっていた8ビットCPUと比べればかなり高価なものですし、いくら安くなったとはいえ多くのメモリを搭載すればそれだけコストもかかります。そこで日本では高価格が受け入れられるビジネス向けから16ビットの時代が始まり、ホビー向けはまだしばらく8ビットの時代が続くことになりました。ビジネス向けということから16ビットPCは漢字こそ扱いやすくなりましたが、一般的に描画機能が重視されずゲームなどを動かすにはかえってパフォーマンスが低下するのが普通でした。
こんな形で16ビットの時代が始まっていきました。
ヘッダ画像は、当時のPCのイメージをBingCreatorに描いてもらいました。
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