『ドミンゴ・エステソの祈り』

(紹介)エンターテイメント中編小説。ギターの銘器ドミンゴ・エステソと大阪・茨木市の若き製作家の織りなすものがたり。

(はじまり)

 昔から衝動買いする癖があった。CDや本は言うに及ばず、冷蔵庫や車も衝動買いした。どうしても冷蔵庫が二つ欲しくなったのだ。僕にとってはビールは聖なる存在、それにふさわしい待遇を与えたかった。ビール専用の冷蔵庫が必要だった。この家自体も衝動買いみたいなものだ。つきあって2ヶ月の彼女がいたころ、結婚してくれるものだと早合点し、ならば家が欲しかろうと早とちりし、つい買ってしまった。彼女は去った。苦い思い出だ。作りかけの家を前に売ろうか住もうか、どちらがいいか考えた。…。師曰く、「壊れたギターは捨てずにとっておくべき。失敗はなかったことにしない方がよい」とのこと。家を改造して、ギター工房兼住居として使うことにした。

 そう、僕はギターを作っている。クラシックギターだ。地味、と思うかもしれない。もうかんの?と思うかもしれない。結論から言うと、地味で儲からない。おまけにモテない。でもいい。こつこつものを作るのが性に合っている。モテないのにも慣れている。

 妻がいて、子どもも二人くらいいて……そういう想定でつくった家なので、独り身の今の僕にとっては、やたらと広い。ギターをつくる専用の部屋を設けているからまだマシだが、ただ住んでいるだけだったら、寂しくなって売ってしまいそう、そんな家だ。そう、僕は寂しいのが苦手だった。同居人を募ることにした。さてどうやって探したものか。ある程度気の合う、男性の同居人を。考えをまとめるために近所を散歩する。金のなさそうな友人に声をかけてみては?とまず思う。金がない、といえば、ジョーだ。ジョーは大学中退後、10年近く実家で引きこもりをしている。金があるはずがない。ただ、実家を出たいかどうか分からない。久しぶりにジョーに会いに行くことにした。

 ジョーは携帯を持っていない(ある意味では必要でない)ので、ジョーの実家に電話をしてみた。
「久しぶりだな。ギター、作っているか?」とジョーは僕に訊いた。
「ああ、作っているよ。ジョーは元気?まだ引きこもり?」
「ああ。働く気がないんでな、仕方ないさ」ジョーはそう言ってため息をついた。
いろいろと話してみた。ジョー曰く、環境を変えてもいいと。ただ、ジョー自身は収入も稼ぐ気もないので、あまり家賃が高いと困るということだ。
「2万でいいよ」僕は思いきって言ってみた。
「2万かー、それでも俺には厳しいなー、まあ親に相談してみるよ」

 僕のギター製作の師匠は藪さんと言った。まあ、手取り足取りなんでも教えてくれる。それでも最初は厳しかった。ギター製作をやりたい、弟子にしてくれ、と思い立って意を決して言いに行ったら、「最初の一本は自分一人で全部つくりなさい。それを見て、弟子にするか決める」と言われた。しかし僕は食い下がった。「あのですねえ、本とかいろいろ読んで、それでも完成できないから、誰かに教えてもらおうと思ったんですよ」藪さんはそれを聞いて楽しそうに笑った。
「フッ。そんな根性なしに教えるのはごめんや。自力で最初の一本を完成させた人はたくさんおるよ?なぜ自分にできないと思うんや?他人にできないことでも自分ならできる、と思う奴やないとどうせたいしたギターつくられへん。ましてや、他人が何人も成功していることを、自分にできない、と思うようでは、お先真っ暗やのう」そう言って立派なあごひげをさすった。
「わかりました、最初の一本、自力でやってみましょう」そう言って藪さんのところを後にした。ある程度、時間はかかった。三年後、一本のギターを持って僕は再び藪さんのところに現れた。古い話だ。

 ジョーは親から月6万もらって、僕の家で生活を始めることになった。
「不安といえば不安よ、ずっとニートでいいのに」ジョーの母は心配そうに言った。
「そうだ母さんの言うとおりだ。ジョーはニートではない、主夫だ。いつも皿を洗ってくれた。気が向けば、映画にも一緒に行ってくれる。寂しくなる」ジョーの父はそう言って泣いた。「娘を嫁に出したときに比べればたいしたことないが、さみしいなあ」そう言って僕の手を握った。「熊谷くん、ジョーを幸せにしてやってくれ」「はあ」
 一階のリビング以外の二部屋を、それぞれの居室にすることにした。二階は僕のギター製作工房。ジョーは6畳の洋室を選んだ。僕は和室の方を選んだ。ジョーの荷物は多くはなかった。段ボール5箱とスーツケースくらい。ださめの大学新入生とたいして変わらない量だ。「だって、電化製品や家具はお前のを使えばいいだろう」あっさりとジョーはそう言った。「まあね。祝いにピザでも頼むか」「ああそうだな」
 我々は、ビールとピザで祝杯を挙げた。「今日からここで引きこもるのか。引きこもり第二章だな」ジョーは感慨深げにそう言った。そして壁をパシパシと叩いた。「なかなかしっかりしている家だ。ひきこもりがいがある」ジョーはうれしそうに微笑んだ。

 ジョーはあんまり金がないということもあって、よく自炊をした。そのために買い物にも出かけた。お金をちょっと多めに負担すれば、僕のためにも作ってくれた。ジョーは皿洗いが好きだった。「俺なんか、皿を洗うために食事を作っているようなもんだ。大好きなんだ、皿洗いが」少しはにかみながらジョーはそう宣言した。ジョーは僕のためにご飯を作ると少しお金が浮くので、割と前向きに作ってくれた。きれい好きで、掃除や洗濯も頻繁にした。そうしていると確かにひきこもりというより主夫に見えた。「どこか、いい女性のところにとつげばいいのにねえ」僕の家に遊びに来た、というかジョーに会いに来たジョーの母はそう言った。僕はギター製作の手を休めてジョーの母とコーヒーを飲んだ。「どこがいけないんでしょうねえ、結婚相手として」僕はのんびりそう呟いた。ジョーの母はため息をついた。「そら、丈夫な男なのに働く気がゼロなんだもの、見つかるわけないわ」「まあ、そうですねえ、普通に考えれば」僕はてきとうに同意した。

 ジョーがいろいろ家事をしてくれる。雑談の相手にもなってくれる。家賃も2万円手に入る。なんと自分に都合がいい。師曰く、「自分に都合のいいことが起こっているときは危険信号や。要注意やで。よく注意しないと、自分の性格が悪い方に変わってまう。しかもそれに気づかれへん」とのこと。僕の性格は知らぬうちに変わりつつあるんだろうか。昔、知り合いから結婚を知らせるハガキのようなものが届いた。二人がそれぞれメッセージを書いていた(印刷されたもので、別に僕個人に向けて書かれたわけではない)。女性の方曰く「私、彼のためにいろいろ自分を変えました。たとえば、彼がクリスチャンだったので、彼と宗教が違うのが悔しくて、キリスト教にも入りました。今、すごく幸せです」とのことで、一方男性の方は「俺、すごく幸せ。すごくラッキー。だって、俺が一切なにも変わらなくても、彼女が俺に全て合わせてくれるんだもん。そんな彼女に出会った俺に乾杯!」とのことだった。男性の方はIという奴だった。なにをするにしても、過程は立派だが、スタート地点が間違っている、そんな奴だった。僕は誰かに電話したくなったので、Iと僕の共通の友だちである白井に電話して、例のハガキが白井にも届いているか確認した。届いていた。社会学が好きな白井曰く、「Iの精神は社会悪」とのことだった。
 そんな白井が、僕を訪ねて遊びに来た。最近頻繁に客がくる。僕が一人で住んでいたころはだれもこなかったのに、なぜかジョーが来てから僕の社交生活は活発化していた。白井は数学の博士号を取ったあと、しばらく研究職に就けないでいたが、最近やっと大学でのポストを手に入れてプロの研究者としてのキャリアをスタートさせたところだった。円めがねで、髭も髪も豊かな白井は、優しさと知性を兼ね備えたナイスガイで、非常にモテた。モテない僕とは対照的だ。ひとしきり近況を報告し合った後、白井は「同居人を紹介してよ」と切り出した。ジョーは今、自室でひきこもり中である。リビングに出てくる気があるのかわからない。ためしに訊いてみよう。「ジョー、僕の友だちの白井がジョーに会いたいそうなんだけど、よかったらリビングに来ないか?」「今忙しいんだ、悪いけど後でな」「あっそう」というわけで、なんでか知らないが忙しいらしかった。白井はジョーに会えないことになって、少しがっかりしたようだった。「まあ、また今度だな」そう言ってうつむいた。「ところで熊谷、今日久しぶりに会いにきたのはだな、ギターを注文したいからなんだ」白井は唐突にそう切り出した。僕は驚いた「弾けんの?ギター?」「少しな、我流で練習したんだ」白井の少し、はあんまり当てにならない。大学の学部で一緒だったころ、白井の「少し知っている」はものすごおく知っている、という意味だったから。まあでも試しに弾いてもらおう。二階から一本在庫のギターを取ってきて、白井に手渡した。
「ちなみにこれいくらすんの?」
「40万だよ」
「わお、高いね…。予算30万なんだけどなあ」
「まあまあ。とりあえず試しに弾いてみてくれ」
 白井は適当にコードをいくつか鳴らした。けっこう綺麗に響いた。さすが僕のギター、とか言いたいわけではなく、弾き手の技術がしっかりしていた。続いて白井は即興っぽいメロディーをいくつか奏でた。素朴な歌心がそこにはあった。シューベルトとか似合いそうだ。ギターでシューベルトを弾くのは難しいけれど。「なんか弾きやすいねー、響きがきれい」と白井はうれしそうにお世辞を言った。続いて、「伝説」というスペインの曲を弾き始めた。一度聴いたら忘れられない、呪術的な肩たたきが全身を揉みほぐす、そんな曲だ。初心者に弾ける曲ではないのだが、白井はクリアに正確に弾いていった。あーあ、できる奴はなにしてもできるなー、僕なんかこの曲弾けるようになるのに10年以上かかったのに。そんなひがみっぽいことも少し考えていたら、白井の演奏は終わった。僕は熱心に拍手した。「白井、いやー、うまいね、冗談ぬきで」「…このギター、結構いいとは思うけど、40万はちょっと高い気がするな、正直なところを言わせてもらえば」「そうか」「35万でどうだ」「ああ、いいよ」というわけでディスカウントして白井に売った。
 ところが、この件で師匠の藪さんに怒られた。「まけたらあかんのと違うかな。わしもそのギター見たけど、まともなギターや。まとも、いうか高級手工ギターや。材料代だけで20万以上かかっている。つくるのも、何本か同時進行とはいえ、2ヶ月以上かかる。ギター製作家はな、個人事業者やから、会社でいうたら生産課と販売課を同時にやらなあかん。生産課が丹念につくったギターを、半分しろうとの客の感想一つで販売課が5万も安くする、なんて、販売課の怠慢と違うか。年間25本つくるとしたらそれで100万以上損するで。そんなことしたら生きていかれへん。あかん」藪さんはピシリとそう言った。「でも相手は友だちですよ?在庫が多くて置き場所に困るし、安売りしてもしょうがないじゃないですか」僕は師にあっさりと反論した。藪さんはうーん、とうなると優しい顔で腕組みした。「まあな。甘いんやけどね。まあそういう、へなちょこなところも含めての熊谷、やからのう。今回はしゃあないか。まあでも次回から高く売りつけるんやで」「はい」僕は元気よく返事した。

 ジョーは食材の買い物以外、ほとんど外に行かない。そういうところは、流石ひきこもり、というか、しっかりしていた。部屋で一人でなにしているか知らない。夕食時に軽く訊いてみる。「ジョー、どう?引きこもりの調子は?ここは快適?」「んー、まあまあだね。親がいなくて寂しいけどね。親がいなくてせいせいする面もある。単身赴任みたいな感じ、なんだろうか。よくわからないけどね」「部屋でなにしてんの?」「んー、普通。ネットでゲームしたり、本読んだり」「ふーん。そう。ところで夜ちょっと川まで散歩いかない?無理にとは言わないけど」「いいよ」
 川のベンチに腰掛けて、二人でビールを飲んだ。「ひきこもり生活っていつまで続けるの?」僕はついそんなことを口にする。「んー、訊きにくいことあっさり訊くね、熊谷も。さあね。いつ死んでもかまわない、というのが、俺のスタンスやね。親が死んだら俺も死ぬ。姉に養ってもらう気はない。しかし、気の合う女性がいたらその人に養ってもらうことはやぶさかではない。そんな感じだ。今は親が元気だから、しばらくこの世に滞在するかなー、って感じだね」
「どうしてそこまでして働きたくないの?働いて暮らした方が、かえって楽な面も多いけどねえ」
「そうだろうなあ、とは俺も思うよ。ただ、やりたい仕事がない、というより、自分が許容できる仕事がないんだ。ここらへんは説明が難しい。家事なら前向きにできる。だからやる。でもオフィスで事務仕事とかコンビニで働くとか、どうしてもできなかった。2時間くらいやると、『ああ、これ以上続けたら精神が崩壊する』って感じになる。聞いた話で、いい企業に就職して、場になじめず、初日の午後には辞表を書いていた、って人がいたらしいんだけど、俺は気持ちがよくわかる。なぜ目の前の仕事をしなきゃいけないのかとか、なぜこんなことでお金がもらえるのかとか分からなくて気持ち悪いんだ。皿洗いはその点全然違う。誰かが家族の皿を洗う必要がある、俺が洗う、フィジカルに気持ちいい、家族も喜ぶ、だからやる、こういうのは納得できるんだ。俺は、ナチュラルボーン主夫なんだ。主婦じゃなくてね。生まれる時代を間違ったかもな…」
「そうかもな。百年くらい早かったんと違うか」
「ああ、わかってくれたか」
「いや、そうでもないな、まだよくわからん」
「そうか」ジョーはそう言うと立ち上がって、川辺の空き缶を拾い始めた。「地球に優しく。地球の歴史は40億年以上あるらしいが、俺の計算によると、そのうち39億年くらいは地球に優しくない時代だったんじゃないかな。生物もほとんど死滅して、というか生まれていなくて、マグマだらけだったりしてな。大事にしないとな、地球」
「そうだな」僕はしぶしぶ同意すると、空き缶をジョーの持っている袋に入れた。

 そんなころだった。藪さんと一緒に新進気鋭の美人ギタリスト、山田桃子のリサイタルに行ったのは。美人ギタリストといっても、長い留学から帰ってきたばかりで、29歳になっていて、アイドルとして売り出すには多少遅めというか、本人の童顔でもっている部分が多々有り、本人もそのあたりを気にしているのか、アイドルでいくか本格派でいくか迷ってます、みたいなことをMCで言って笑いを取っていた。割と小柄なので、ギターを構えているとギターが大きく見える。山田桃子の出す音は、輝きに溢れ、明るく深い。いい音だ。たぶん、いいギターを使っているんだろう、ギター製作家の僕はついそう考える。誰のつくったギターだろう?遠目で見ている限りではよくわからない。日本とは違う天候の元で作られたイメージがある。カラッと明るい天気の元で作られた、というか。日本のギターではなさそうだ。たぶんスペインだろう。休憩中に藪さんに訊いてみる。
「あのギター、いい音ですね。製作家は誰ですか?」
藪さんはそう訊かれると、なぜか嬉しそうな顔をした。
「あれは、ドミンゴ・エステソや。ええギターやろ。ほれてまう。よく聴いとき。ええ勉強になる」
 噂だけで知っていたドミンゴ・エステソ。いいギターだ。性能が高いだけでなく、自分をどこかに導いてくれる感覚があった。聴いていると、まるで自分が年頃の娘になって、やさしいおじさんと手をつないでどこかに連れて行かれるような気分になった。もちろん怪しい意味ではない。お嬢さんとしてダンスパーティーに出席したら、やさしい村の名士からダンスを申し込まれて一緒に踊る、こっちは下手であっちはめちゃ上手い、なんだか恥ずかしい、でも楽しい、そんなイメージだ。チャーミングでありながら洗練された老いを感じさせる、性能も個性も完璧な、特別な楽器。今の自分のギターとはかけ離れているけれども、いつか自分もこういうギターを作りたい、そう気持ちを新たにした。
 楽器がいい、ということとは別に、山田桃子の演奏もなかなかよかった。細部まで構成が練りに練られた演奏もあれば(たとえばフェルナンド・ソルの曲)、サンバーストのようになんも考えてなさそうな曲も楽しげに弾いていた。二面性、という単語を、彼女の演奏を聴いていて連想した。深みを求める阿修羅の一面、ただのアホっぽいお気楽な一面。フランシス・プーランクのお茶の間版と言ったところだった。ちなみに結構かわいい。美人というよりは小動物という感じで、子ども受けがよかった。

 ジョーにも山田桃子を勧めてみたところ、彼は早速youtubeの映像にはまってしまった。飽きることなく、延々と同じ映像を繰り返し見るらしい。ジョーはやや恍惚とした表情で僕に訊く。
「なあ、変なこと訊くかもしれんけど、この女性って本当に実在しているの?あくまで俺にとっては、ということだけど、この世のものとは思えない美音と美貌なんだけど」
僕はどう答えたらいいいものか、としばし思案した。そこまでかわいいってほどでもなかろうに。
「ああ、実在しているよ。この間コンサートに行ったらいたしね。今度山田桃子のコンサートあったら一緒に行く?」
「ああ、ぜひ」ジョーはやや興奮して答えた。

 一方で山田桃子は悩んでいた。長期留学から帰ってきて日本で活動を始めたはいいものの、毎日のように演奏会でプレッシャーが半端ではないし、演奏内容も演奏会ごとに向上している感じがしない。下降を食い止めるための練習ばかりで、ドイツで留学していたころのように、ゆっくりと高みを目指して登っていく感じが全くない。こんなはずでは。山田桃子は、アイドル兼芸術家活動の初期で早くも挫折し始めていた。そんな私の焦りとは無関係に人気は高まっていく。今日の演奏会も満席だそうだ。今日、私、なぜかやる気がまったくない。留学中であれば「今日は気が向かないから、練習しないで遊ぶに決めた日」になる日のはずなのに。だいたいワールドカップでドイツの決勝進出が決まって、うれしくて、ギターなんてどうでもいい日なのに。あーあ、今からなにか災害でも起こって演奏会中止になればいいのに。うそうそ、今のうそ。そんなこと考えるだけでもいけないわ。世界人類が今日は平和でありますように。うそうそ、そんなことこれっぽっちも私思ってないわ。どうしよう。とにかく今日はギター弾きたくない……。パチパチパチパチ、あーあ、演奏会はじまっちまうな。とりあえずつくり笑顔でも見せておくか。ニコ。でもだるい。最初はなんだっけ、あのメヌエットか。ま、一曲目だし適当に弾いておくか。……。簡単な曲を選んでおいてよかった。今日の私でもなんとなく、ほころびなく、弾き通せた。……。なんか2曲目弾いているうちに少し楽しくなってきたな、サンクス、音楽。……。もう5曲目か、もう腹くくってやるしかないな、一曲目から腹くくっておいた方がよかったな。うおー、届け音楽、吠えろ俺のドミンゴ・エステソ!……。ふー、今日もなんとかギリギリ乗り切ったな、サンクス、俺のドミンゴ・エステソ。チュ。とキスをしてみる。いかんな、そんなことしてたら塗装が剥げる。気をつけないとな。あー、でもこんな生活、長くは続けられないよー。

 ああ今日はキスされちゃった、少しうれしい、ドミンゴ・エステソはそう思った。思えば、セニョリータに所有されていたころは、しょっちゅうキスしてもらいました。山田桃子もまあかわいいですけど、セニョリータに比べたら足下にも及びません、ドミンゴ・エステソは強くそう思った。このギターは、製作されてから80年以上が経過している。最初はスペインのフラメンコ好きの家で過ごしていた。そこの娘さんのギターとして幸せな日々を過ごした。やがて、このギターを製作したドミンゴ・エステソさんが有名になるにつれ、高値で外国に取引されていった。とはいえ、外国暮らしも悪いものではなかった。当地の一流ギタリストに買われ、共に音楽の神髄を味わった。80年間ギターとして生きてきて、上手い人に弾かれるときもあれば、ほとんど弾けない金持ちに所有されることもあった。山あり谷ありです、ドミンゴ・エステソは素直にそう思った。今はやや谷かな。だってスペイン生まれなのに、わけのわからん極東の島国で、本当に上手とは言えない小娘のお抱えギターをやっているんだもの。ドミンゴ・エステソは素直な性格だったが、やや変わったところもあった。それは製作したドミンゴ・エステソさんにも言われていた。お前は長い長い旅に出ることになるだろう、ドミンゴ・エステソさんはこのギターにそう語りかけた。わしは出ないけどな、だってマドリッドが好きだもん。わしの代わりに世界を見てこい、製作家はそう言った。ギターは素直に頷いた。このギターは生まれつきクラシック音楽と人間の言葉を理解していた。もちろん後天的に学んだこともある。このギターは最初のころは人間同士が抱く感情がよくわからなかった。お金のことも分からなかった。なぜ自分がセニョリータの家を去って、わけのわからん金持ちの家に行くことになったのかも分からなかった。でも、コード進行やギターの音色については最初から知っていた。それは、作ったドミンゴ・エステソさんが授けてくれたことだった。ギターは、天気のいい日にはドミンゴ・エステソさんに感謝した。やっぱり、俺に似合う天候は晴れだよな、ギターはそう思った。雨の日に似合うギターもあるけれど、自分がそうなりたくはなかった。晴れの日が似合う、音楽の天才として生み出してくれたドミンゴ・エステソさんよ、ありがとう、そうギターは天に感謝した。

 山田桃子がこのギターに出会ったのは、ドイツ留学中のことだった。金はなかった。数百万するんだよ、貧乏なウチに買えるわけないよー、山田桃子はギターショップで試奏しながらそう思った。でも気に入ったので毎日試奏するためにギターショップに通った。店の人は「あの日本人、買いそうだな、いっちょう値段をあげとくか」と考え、値上げした。山田桃子は泣いた。ああ、私がギターを気に入っているのを見抜かれて値上げされてしまった、交渉下手な自分が憎い……まあでもどうせ買えないことには変わりないけどね、あはは。そう自分を慰めた。こうなったらとことん値上げしてもらって、誰にも買えないようにしてやる……そう誓った山田桃子は試奏通いを続け、たまに思わせぶりなことも言ったりして、架空の値段交渉を楽しんだ。そんなころ、帰国後に大手レーベルからデビューすることが決まった。同じくらい弾ける日本人の若者は何人かいた。山田桃子も若手トップグループの一人だったが、飛び抜けて上手いわけではなかった。ただ、美貌は飛び抜けていた。美貌はずばぬけている、ギターの腕も、一流でないことは素人目にはわかるまい、ならば売ろう、ということで話がまとまった。クラシックの業界ではたまにあるパターンだ。山田くん。大手レーベルの人はそう山田桃子に呟いた。楽器がね、そのままじゃ困るんだ、銘器じゃないしね。なにか欲しい銘器があれば、お金を貸すから買ってきなさい。こうして、山田桃子は自分で値段をつり上げたドミンゴ・エステソを自分で買った。同時に相当な額の借金を抱え込んだ。大丈夫大丈夫、心配いらないいらない、大手レーベルの人はあやしげにそう言った。僕がしっかり売り込むから。まずは、国際コンクールで入賞する腕と実績をね。山田桃子は素直に従った。謙虚な面もある山田桃子は、自分の才能は普通、と思っていたが、ギターを弾くことが心底好きだったし、努力も惜しまなかった。国際コンクール2位の実績を持って、無事デビューした。ところが……。前述のように初期から早速心理的につまづいた。吐きそうな日々を送りながら、山田桃子は借金を返すためにひたすら耐えた。すべてはドミンゴ・エステソを正式に自分のものにするために。その我慢は二年続いた。二年たったところで大手レーベルを正式に辞めることになった。山田桃子は立派に金の成る木に成長したので、さんざん周りから「もったいないわー」と言われた。が、山田桃子はアイドル兼芸術家に未練はなかった。この二年、日本中をギター弾いて回って、様々なギタリストに会って、どこを拠点にするのがいいか吟味した。大阪・茨木が一番熱いと思うわ。私、茨木に住む。茨木のローカルヒーローを目指す。山田桃子はそう誓った。茨木で一軒家を借りてギター教室を開くことにした。なにか看板が必要だな、山田桃子はそう思ったが、自分で作るのは気が進まなかった。知り合いの茨木在住若手ギター製作家の熊谷に看板作りを依頼することにした。

「本当に来たな、山田桃子。俺、ギター始める。山田桃子に習う」山田桃子茨木に移住、の報を受けてジョーは興奮気味にそう話した。山田桃子のここ二年間の活躍ぶりは言うまでもないだろう。連日行われるコンサート、テレビ出演、ドラマ出演、すばらしい美貌とまあまあの演奏能力を生かした縦横無尽の活躍ぶりは、ここ二年のギター界で話題の中心だった。僕もだんだんと山田桃子に好感を持つようになっていた。使っているギター、ドミンゴ・エステソを見せてくれないかと頼んだら、コンサート後に時間を作って快く見せてくれた。人気者だけど、ファン一人一人への対応が細やかで舌を巻いた。ある意味では効率が悪いというか、「もっと要領よくファンをさばかないともたないぞ」と思ったが、案の定もたなかった。一方で演奏自体は、ゆっくりながらもはっきりとした進化を見せた。僕はそこに好感を持った。ジョーも一緒に山田桃子を応援するようになった。ジョーは楽器を習ったことがなかったけど、山田桃子が茨木に来たのを機に、ギターを始める決心をした。ジョーの、僕の家での引きこもり生活はもうすぐ三年目に入ろうとしていたけど、まあまあうまくやっていた。僕もジョーもここ二年間は恋人はできず、二人でカップルのように暮らしていた。

「ジョー、どうだった?最初のレッスンは?」
「ああ、よかったよ。なんて言ったらいいのかな、演奏のことはまだわからんけど、『俺にもできるんじゃないかな』という気分にさせられたね。気分を乗せるのがうまいね、山田桃子は」満足そうにジョーはそう言った。そして心配そうに言い足した。
「でも混んでいるね、早速。全国からファンがレッスンを受けに来ていて、予定がびっしりだそうだ。こうなると半分ホステスみたいな感じかもな。ギター目当てじゃなくて山田桃子と話すのが目当て、みたいな。流行らないよりはまあいいか」
「どうだろうね。前途多難だね」

 ストレスで吐きそう。山田桃子はそう思った。これじゃ、アイドル兼芸術家時代と変わらないじゃないの。アイドルとしての私のファンばかりで、地元のおっさんおばさんがいないじゃないの。私は、そういう、ちょっと下手な、でもすんごいギター好きなおじさんおばさん目当てで茨木に来たっつうのに。まあ焦ってもしかたないな。だんだんと私が老けるに従って、そういうアイドル目当ての輩は淘汰されていくであろう。でも私、まだ31歳になったばかり、老けるにはあと10年20年かかりそう。それまで待つしかないのかな……。ねえ、ドミンゴ・エステソ、どう思う?ド、ミ、ソ、と鳴らしてみる私。
どうでもいいよそんな奴ら
みんなそのうちいなくなるから
そっとしといてあげて。
そういいたいのね、ドミンゴ・エステソ。分かったわ、後々になって、いい生徒が残ってくれるように、レッスンの質を大事にするわ…。

 しかし、ドミンゴ・エステソが本当に思っていたことは少し違っていた。ドミンゴ・エステソは、働いて生計が成り立つ、ということを重視していた。そういう意味では、アイドル芸術家という仕事も悪くはなかった。ただ、山田桃子があまりにつらそうなので、これでは長くは続けられない、他のやり方の方がいい、そう思っただけだった。ドミンゴ・エステソも三年近く山田桃子に接してきたので、彼女の考えていることがよく分かるようになっていた。効率の悪い人間なのだ、要は。彼はそう考えた。一人のレッスンなんて長くて一時間くらいでいいのに、必要と思えば平気で二時間以上レッスンしたりするし、生徒さんのためにわざわざコーヒー豆を引いてコーヒーをつくってあげたりする。コンサートで弾く曲に対しても、80点90点の出来映えでなく、120点200点を目指して取り組んだりする。「このくらいでまあいいか」みたいな妥協点を見い出すのが下手くそなのだ。そんな要領の悪い人間に務まる仕事は限られているであろう、というのがドミンゴ・エステソの見解だった。なにかクリエイティブな分野で突出した実力を身につけるしかあるまい。彼女、最近はアイドル辞めてギター教師を目指しているようだけれども、いかがなものか。ローカルヒロインになる、だとか言っているが、そんなパッとしないものをいつまでも目指すことは可能なのか?
 ところで、スペイン内戦のころに比べると、現代のこの日本という国は平和だな、ドミンゴ・エステソは素朴にそう思った。まあ、右傾化が著しいけど、スペイン内戦に比べたらずっとましよ。

「楽器を作る上では、楽器との対話、材料との対話が大事や。そこが熊谷くんはまだできてへん。あかん」藪さんは僕の最新作を丹念に調べた後、そうきっぱりと言った。藪さんの話は大抵、細かいことぬき、というか本質を端的に突いていた。「材料のよさ、活かしきってへんで、これは。まあ難しいことやねんけどね。塗装はうまくいっとる」藪さんはそう付け加えた。自信作だったので、しょんぼりした気分で帰路についた。帰り道、山田桃子の家に寄った。山田桃子はたまたま休憩時間で、夕食を作っていた。「熊谷さん、よかったら食べていく?」彼女は気さくにそう言った。山田桃子が食事を作っている間、彼女の楽器の調子を点検した。丁寧に扱われている楽器だな。古い楽器だけど、取り立ててなんの問題もない。フレットという金属部分も問題ない。先ほど藪さんに「楽器との対話」と言われたので、試しにドミンゴ・エステソの表面板を指でコンコンと叩いてみる。いい音がする。フレンドリーで生き生きとした音がする。そして自分のギターを取り出して、同じようにコンコンと叩いてみる。真面目な大学院生みたいな音がする。両者にはかなりの差がある。どうすれば「フレンドリーで生き生きした」音が鳴るんだ?誰か教えてくれよ、という気分になった。そんな話を夕食のときにした。山田桃子はしばらく天井をのんびり見ていたが、「だめもとで、銘器とぴったり同じサイズのギターをつくったら?」と言って、二人で笑った。こういうアイデアでは絶対に再現できないことを二人ともよく知っていた。山田桃子は言った。「まあ、向上心を持って続けるしかないんじゃないですかねー。演奏も同じよ。難しいのよ、暖かみとか、いきいきしているって。正確さも難しいけど、なんか別の難しさがあるよねー、キャラクターって」そう言って唐揚げをパクパクと食べた。和やかにバカ話をして、その日は早めに家に帰った。

 山田桃子と友だち付き合いを始めた僕に、ジョーが嫉妬心を抱く。「いいよな、山田桃子と友だちなんてよ」半ばいじけた口調でジョーは続ける。「俺なんて生徒になったばかり。友だちは遠い目標。まあ、実質的にはお前以外に友だちもいないし、お前の次がいきなり山田桃子、なんてのも飛躍した話ではあるけどな。段階を踏んでいかんとな。友だち100人くらいできたら、山田桃子とも自然に友だちになれるかもな。うはは」と力なく笑った。

 山田桃子と友だちになりたい。ジョーのその儚い願いは、あっさりと実現した。山田桃子が僕を訪ねて僕の家に来るたびにいつもジョーがいるので、ジョーと山田桃子は急速に仲良くなった。ジョーのつくるおいしい料理も仲良くなるのに一役かった。ジョーはルーを使わないインドカレーをよく作った。それが好評だった。「茨木っていい街だけど、おいしいインドカレー屋がないのよねー、助かるわ」山田桃子はそう言ってジョーに感謝した。「ところで」山田桃子はなにか言いたげだった。「あなたたち二人は、はっきり訊くけど、ホモなの?」僕はやれやれと思った。「違うよ。シェアハウスしていて二人とももてないから恋人いないだけだよ」「あっそう。ならいいけど」山田桃子は涼しげにそう言った。ジョーも僕も微妙に不愉快になった。もしホモセクシャルならなにかまずいことでもあるのか。そう問い詰めたくなった。山田桃子は言った。「私も恋人いないな。アイドル芸術家のころは日々修羅場でそれどころじゃなかったし。今は落ち着いてきたけど、いい相手がいないし。だれかいないかしら。どう思う?」山田桃子のことが好きなジョーは、それを聞いて傷ついた。完全に圏外だった。僕は話題を変えたくなった。「どうでもいいよ、山田の恋愛は。伝説の魔のカーブについて話そうよ」僕はそう口走った。山田は頷いた。「いいよ。私は25のときだった。ドイツで。まあそれはともかく、2回目は26のときだった。コンクールに向けて準備しているころだった。自分を一方向に向けてキューッとしぼっている、そんな感じの練習の日々。朝起きたら、日本人の友だちから変な電話がかかってきたの。『俺変かな』そいつはそう呟くの。普段そんなこと言わない、社交的で国際交流的な奴なのに。今日のキミは変だよ、こんな気持ちのいい日のしょっぱなからさ、そう言いたくなったけどそうは言わずに、カフェで会う約束をしたの。会ってみたら普段と違う感じでね、暗いの。普段、人と交流すること以外なにも考えていない奴なのに、妙に思索的なの。『幻聴がする。いろんな音が聞こえる。山田が話す声も内容も幻聴に聞こえる。目の前の山田は本物?』なんて失礼なこと言うの。それで私ピンと来たわ、こいつ今伝説の魔のカーブなんだって。やれやれ、あんまりかかわりたくないよー、すんごく親しいってほどでもないしさー、そう思った。でもがんばって関わることにした。ゴミはゴミ箱へ。こいつの精神というか、こいつの状態というか、とにかくこいつを適切なゴミ箱に捨てる必要がある、そう思ったの。カフェに入ったのは朝の7時ごろだったと思う。でもそいつの生い立ちやら国際交流のものたりなさやら聞いているうちに大分時間が経って、ランチの時間になった。でも変なの。普通、こういう異様に長居している客をお店の人はいやがると思うけど、そうでもないの。ウエイターがちょいちょいって私一人を呼ぶから行ってみたら「私の結婚記念写真です」って言って一枚の写真を渡された。なんの脈絡もなく。はあ?みたいな気分になったけど、なにも言わずに受け取ったよ。普段はそんな変なウエイターじゃないんだけどね。とにかくこの日はみんな変だった。席に戻って、話の続きを聞いた。曰く、もう国際交流はやめたい、日本に帰りたい、帰って農業を始めたい、そんなことを言うの。あっそう。この時点ではまだ私は自信があったわ。適切に対処する自信が。でもそれは奢りだった。夕方まで話を聞いてあげて、なんとなく彼も落ち着いたんで別れて家に帰ったけど、次の日彼は音楽学校をやめていた。その後農業を始めたかどうかは知らない。でも私はなんだかすごく傷ついて、しばらく落ち込んでいた。もうあんまり伝説の魔のカーブには関わりたくないな、って思った。それでなんだか自分が少し限定された感じになった気がする。なんでもこいや、みたいな姿勢がなくなった気がする。アイドル芸術家をやめたのもそうだけど、伝説の魔のカーブとか、大きな演奏会とか、そういう非日常の世界で力を発揮して成功しよう、みたいな気概がなくなったかも。うまく言えないな。どう思う?」
 ジョーはなんだか不満そうだった。「おれにはよく分からん…。伝説の魔のカーブってなんだ?俺にはそんな体験なかった。熊谷は?」
僕はしばし沈黙した。「僕は今でも、なんでもこいや、って姿勢、あるけどなあ」ついそう呟いた。山田桃子はそれを聞いてふーっとため息をついた。
「あーやだやだ。どうしてうまく喋れない対象を話題にしようと提案するの?熊谷、バカ?」ジョーもため息をついた。
「なんだか俺も嫌だな。運命的ななにか、ってことか?要は。ある澄んだ夜、俺が自転車にのって道を走っていたら、歩道を塞いでいる4人組がいた。俺は彼らの前で止まった。どいてくれるものかと思ったんだ。ところが彼らはどくのではなく、『俺ら四人、運命だな』『ああ、運命だな』と言って、悦に入っている様子だった。俺は彼らに『すみません、通してもらえませんか』って言った。もちろん聞こえたはずだが、彼らはあえて俺を無視して無言で動かなかった。俺はしかたなく、道を引き返して、車道に出て彼らを追い越して行った。その彼ら四人を思い出したよ」
「ああ、なんか似ているかもな、山田と僕と、彼ら四人と」僕は同意した。「そうね、残念ながら似ているわ。だからこの話題しにくいのよ…」山田桃子も同意した。

 ところで話は変わるが、僕は悩んでいた。最近なかなかギターが売れず、在庫が余りだしていたからだ。ここ数年、がんばってギター製作に打ち込んできたおかげで、作るのは大分早くなった。もちろん大事なのは質で、早ければいいというものでもないが、注文がたまっているときは早いにこしたことはない。だが最近早くつくる必要がなくなってきた。売れない。なにか売る方策を立てねばなるまい。
「ジョー、どう思う?なにかいい方法ないかな」僕がそう訊くとジョーは苦笑した。
「まるっきり素人の俺に訊くなんて、お前もよっぽど切羽詰まっているのかもしらんな。絵みたいに画廊を借りて展覧会をしたらどうだ。道行く人が『あら、そういえばうちにも一台高級ギターがあってもいいかも』とか思って買ってくれるかもしれんぞ」ジョーはどうでもよさそうにあくびをしながらそう答えた。
「個展か…。いいかもしれんな」僕はなぜか乗り気になった。
 一人でやってもいいけど、それだとなにか足りない気がしていたので、知り合いのギター製作家を誘って二人でやろうかと考えた。同年代の岐阜のライバル、天才肌の若手製作家大谷くんを誘うことにした。さっそく電話した。
「や、大谷くん、ひさしぶり。元気?」僕は普通に挨拶した。
「用件を五秒以内で言え」大谷くんは会話が苦手だった。いつものことだ。
「一緒にさ、ギター製作の個展をやらない?茨木で」
「動機を三秒以内で言え」
「最近売れなくてさ、困って」
「三秒たった。よくわかった。個展をやろう。来月の28日にな。場所やチラシは適当にしてくれ。費用は割り勘だ。じゃあな」そう言って大谷くんは一方的に電話を切った。話が早いといえば早い。
 しかし、ギター製作の個展って聞いたことないな、ふとそう思った。絵だとポチポチ人が入るし、たまに数万以上のものも売れるんだろうけど、僕のギター、定価40万円なり、をそんな場所で買う酔狂な人っているんだろうか?まあ、長い目でみて宣伝になればいいか。赤字になりませんように。
 個展で山田桃子のミニコンサートを依頼することも考えたが、そうすると浮ついた客が大量に集まって、ゆっくり話をするどころではないので、今回はやめにした。一週間くらい画廊を借りて、大谷くんも僕も一本売れるのが理想だ。そうすれば、宣伝になるし、赤字をまぬがれるし、いいことずくめだ。
 何本出すか、というのも問題だ。在庫は10本ほどあるが、これを全部並べてしまうと「要は売れていないのね」みたいな話になって、かわいそがられること必定だ。空間が寂しくなくて、ある程度多彩で、来た人とゆっくり話が出来る、ということを考えて、出来のいいのを4本選ぶことにした。どうか売れますように。そんな気持ちになったので、夜中神社にギターを持って行って、神頼みの演奏をすることにした。あんまり音がうるさくない、というのもギターの素敵なところだ。静かにソルの名曲『月光』を弾いていたら、知らない人が声を掛けてきた。「ギターっていいですよね。こんな夜中にこんな場所でなぜ弾いているのですか?」その西洋人の男性は温かく疑問を呈した。ストレートに。「イベントの成功を祈願しているんですよ」僕はギターを弾きながらにこやかにそう答えた。その西洋人は驚いたようだった。「ほう。ということはあなたはクリスチャンではありませんね?」
「?まあそうですけど、それがどうかしましたか?」
「クリスチャンはこういうとき、神に祈ります。神社でギターを弾いたりしません」
「僕だって日本在住の神々に向かって今弾いているんですよ」
「キリストは世界中に遍在します。日本にもいます」
「だからキリストも神々の一人でしょう」僕がそういうとその西洋人は心底残念がった。
「おー。誤解です、それは。残念な誤解です。神は、キリスト一人です。あなたも、クラシックギターやっているんでしたら、それは西洋の音楽ですから、クリスチャンになった方が上手になるんじゃないんですか」彼はいい思いつきをしたかのようにそう提案した。
「そうかもね、あっはっは。気が向いたらね」僕はだんだん相手のことがうっとおしくなってきた。はよ帰れ。
「すみません、出過ぎたことを言ったかもしれません。あなたの宗教も大事、私の宗教、キリスト教も大事、お互い尊重しないとね。それはともかく、あなたの演奏素敵ですね。プロですか?」彼は急に話題を変えた。
「いーえ。製作家です。ギターメーカー」
「おーそうですか、いくらですか、そのギター」
ふざけてんのかな。僕はそう思った。
「40万円です。手作りなんで」
「おー、高いですねー。そんなお金があったら私ならアップライトのピアノを買います」
あっそう、と僕は強く思った。
「来月、個展を画廊で開いてギターを売るんで、よかったら遊びに来て下さい」
「おー、行きます。さすが茨木、文化的ですねー」
そう言って僕らは連絡先を交換した。

 しばらくは、個展の会場を決めたり、空間のレイアウトを考えたり、チラシを作ったりして忙しかった。山田桃子にも個展のことは話してみた。彼女は自ら「ミニコンサートやってもいいよ」と言ってくれたが、あんまりいい加減な客でごった返して欲しくない、数人ずつ入れ替わり立ち替わりで、内容のある話ができる場にしたい、と説明したら「それもそうね。わかったわ」と納得してくれた。が、その夜に山田桃子から長文のメールが来た。

はい、熊谷くん。

昼間の話だけど、よく考えると納得できないの。だってさー、普通にやっても、悪いけどギター売れなさそうじゃん、負け戦じゃん、だったら私のコネというか人気を利用して人集めるのも一つの手だと思うの。キミさー、自分の納得できるやり方でやってみました、一台も売れませんでした、大赤字でした、でいいの?

前から思っていたけど、キミ、必死さが足りないよ。売れるんだ、生計を成り立たせるんだ、成功するんだ、っていうエナジーがさ、足りないよ。成功したギター製作家はみんなあったと思うよ、そういうの。サントスにしてもトーレスにしてもハウザーにしてもさ。私だってアイドル芸術家のころは必死でがんばったさ。

まあ、ふんばりずむでがんばったところでたかがしれているって面も確かにあるんだけどさ、芸術の世界って。

まあ、説教はこのくらいにして、今日は自分の感じていることを書いてみたい。文章にしてみたい。文章を読ませて誰かに無理矢理感想を言わせたい。ということで必ず返事してね♡

私ね、ドイツに行く前は、不器用な人とかへんちくりんな人とか、結構興味があったというか、割に好きだったの。仲いい人にもそういう人がいた。前に熊谷くんちで変な話題したじゃん、伝説の魔のカーブ、非日常のシンクロニシティ、ってやつ。私、今は違うんだけど、昔は心理学者の河合隼雄さんとか村上春樹とか割と好きで、よく読んでいたんだ。彼らはさ、運命の奇妙な符号というか、運命が芋づる式につながっていく体験とかに執拗にこだわってさ、なんてファンの人が聞いたら怒られちゃうんだけど、まあとにかく日常世界も非日常世界も両方ご立派にお過ごしになっていたわけだ。なんだっけな、村上春樹が外国のレコード屋で突然黒人のおにいさんに「よおおっさん今何時?」って訊かれて、村上春樹が「四時まであと十分」とか反射的に答えたら、黒人のおにいさんは「ありがとよ、おっさん」とか言って去っていくんだけど、そのとき店で流れていた曲がたまたま「四時まであと十分」って曲名の曲だった、あら偶然、とかいうしょうもない偶然もあれば、運命を変えるような大きな偶然の一致もある、とか言うわけよ。まあ曲名とかは微妙に間違っているかもしれないけど、とにかくそういう話だった。何が言いたいかというと、私はそういうの楽しめないんですよ、ということなの。楽しめないの。私の人生にもそういう偶然ってあったけど、悪しき体験というか、不気味というか、なにか損した気がする。なんだっけな、村上春樹の小説で『スプートニクの恋人』っていうスタイリッシュな小説があって、その中で、昔ピアニストを目指していて今実業家、みたいな女性が出てくるんだけど、ヨーロッパで変な体験して以来おしゃれなんだけどへんちくりんさに関わるのはちょい苦手、でずっと過ごしてきたけど、あるとき超へんちくりんな女性と恋をする、はたしてへんちくりな人にちゃんと関われるようになるのか?みたいな話(ずいぶん要約するな、俺も。ちなみにメールでの私の一人称は俺。)なんだけど、これが見事に失敗するの。伝説の魔のカーブのせいで。最後の方は、テーマ曲がバッハのフーガの技法になったりして、殺伐とした感じなの。フーガの技法って、めっちゃきれいな曲ではあるけど、半分死んでいる人が書いている、みたいな雰囲気あるじゃん?あんな感じ。そういうのがキーワード。ヨーロッパ、ドイツ、半分死んでいる。私も半分死にそうな感じなんだ。たぶん。よくわからんけど。ホールネス、みたいのが弱いっていうか、不器用な人、へんちくりんな人には今は基本関わりたくない。え?それが普通?そうかな。でも、太極拳のマークじゃないけど、陰と陽のバランスがええのが、人間としてええ状態じゃない?どう思う?

まあ、私半分死んでいるの、あら残念、というのが話の骨子なんだけどさ、私としては復活したいのさ。不器用な人、へんちくりんな人、そういう人と仲良くなりたいの♡というわけではなく、不器用な人、へんちくりんな人の一部と選択的に仲良くなりたい。今はそういう人全部拒否しているから。え?熊谷くんとジョーくんは?いいえ、二人とも不器用でもなければへんちくりんでもありません。ごくふつーです。反論はゆるしません。

じゃあなぜそういう人の一部と仲良くしたいのか。んー、そこを拒否していては大成できないと思うから。ゴッホだってミケランジェリだって、不器用な変人だったし、結局自分を洗練させていこうと思ったらホールネスは避けては通れない、というのが私の芸術家としての結論。面白いものを面白がれる人生にしたい。

河合隼雄ね。フルートも吹いていたね。まあ上手ってほどでは正直なかったけど、曲や作曲家のキャラクターを鮮やかに浮き上がらせる、って面では素人ばなれというか下手くそばなれしていたね。今でも嫌いじゃないよ。まあある意味ホールネス過多というか、そこまでせんでもええやないか、みたいなすごみがあったね。なぜ今素直に好きではないのか。家族とすごくいい関係持った人、ってイメージがあって、しょうもない家庭出身の俺としては、あんたが持っていたもの、なんぼ苦労しても手に入りまへんわ、って感じがするからかな。まあ村上春樹は今はキライ、って感じだけど、河合隼雄はうらやましくて憎いって感じかな。

まあ、私から見ると、熊谷くんは小さいホールネスが確固としてある、って感じかな。友だちにディセントな人も変な人も両方少数いるでしょ?そういう感じ。ジョーはどっちかっていうと変人よりかな。でも器用で料理上手だし、潜在的にはディセントな人だと思う。このメール、ジョーにも見せていいよ。

長文失礼♡できたら返事してね。ばいばい。桃子。


 ジョーにも見せて二人でメールへの対策を講じた。
「このメールは、山田桃子の知られざるコンプレックスかなにか?」ジョーはメールを読んでそう疑問を呈した。
「そういうわけでもない気がするけどね。30過ぎてくると、自分の人生に対してなにか期待外れというか一本枝分かれした道を歩いているような気がすることがあるけど、そういうことかな。二十歳ころに抱いていた、まるっ、とした自分への期待感ってだんだんなくなるじゃん?そういうことでは」僕は思いつくままそう話した。
「それもよくわからんな。俺は引きこもりだったせいか、二十歳のころにはすでに自分にあんまり期待していなかったな。たまに家事しながら淡々と暮らしていた気がする。山田桃子は今現在すんごく可愛くて性格もいいのに、なにが不満なわけ?」
「んー。まあ、今よりもっと素敵に、って野心の現れだろうねえ」
「そうか。欲深い女だな。ついていけん。好きだけど」ジョーはそう呟いた。山田桃子が返事を欲しそうだったので、なにか返事を書くことにした。


山田へ

熊谷です。メール読みました。

まず個展のことだけど、山田が言うとおり、僕はがつがつしたところが足りないかもしれない。それは認める。そういうエネルギーって必要なのかどうか、いまいち僕にはわからないんだけど、検討して今後の課題にさせていただきまする。

で、山田の悩みというか考えについてだけど、ジョーと相談した結果、「悩みというより、さらに魅力的になりたいという野心」だと解釈いたしました。がんばってください。

ただ、経験上思うんだけど、そういうチェンジオブマインドというか優先順位の変更って、大変難しいんじゃないでしょうか。ディセント、敏感で礼儀正しい状態、になっちゃった山田としては非ディセントな人々と用事もないのに仲良くする、つまり友だち、にはなれないのでは。と愚考します。

まあいいんじゃいない、別に非ディセントな友だちいなくてもビックになれるよ。セゴビアやブリームやグロンドーナだって、実態はよく知らないけど、変な人とつき合うの得意じゃなかったと思うよ。でも、確かに用事や願いがあれば、変な人ともつき合えたかもしれない。山田も、用事があるときに非ディセントな人とつき合えるようになればいいだけでは。今でも用事があればへんちくりんな人とも仲良くできるでしょ?うん、問題解決。

山田の問題はそういう自己認識に関することじゃなくて、あくまでギター演奏上のことでしょ。山田のレパートリーの曲、上手いなーと思うよ。でも、「山田のおかげでバッハのよさが分かった」とか、そういうのないじゃん。もともとバッハのよさを知っている人が聴きにきて、「山田の演奏まあまあいいね」と認識しているのが今の状態であって、なんというか、山田のおかげで気づいた価値、って今のところない。ここは正直に言わせてもらう。だから例えば「最近の情勢では、ジュリアーニとポンセのよさが十分分かってもらえてない。自分の演奏で分かってもらう」とかそういうのが必要ではないでしょーか。

話が堅くなったね。下ネタでもしようか。なんてしないけどね。僕は下ネタ苦手なんでね。

まあでも確かに、トップギタリストと自分の差って山田にとっては気になるかもしれない。僕もトップのギター製作家と自分の差って気になる。山田のドミンゴ・エステソと僕の作るギターの間には巨大な差があるけど、確かに気になる。才能の差?うーん。でもトップギタリストでもある年齢までたいしたことなかった、って話よくあるけどね。

ま、こういう話はメールでなくて、直接会ってお酒でも飲みながらしましょうか。ご都合きかせて下さい。またね。くまがい。


 その次の週、うちで三人で飲んだけど、結論のない話をあーだこーだ言って楽しかった。山田桃子がドミンゴ・エステソを持ってきてくれて、三人で弾き合いをしたのもよかった。ジョーも、簡単な曲を一曲弾けるようになったので、弾いてくれた。ジョーはレッスン以外で弾くのは初めてで、緊張でガタガタではあったけど、ドミンゴ・エステソの感触をジョーなりに楽しめたみたいで、「熊谷の楽器とは全然違っていいよ!」とうれしそうに僕に何度も言っていた。そう言われてちょっといやだったけど、そこは流石ドミンゴ・エステソ、ということだろう。

 ドミンゴ・エステソも酒の席を楽しんでいた。ドミンゴ自身はギターなので人間がなぜそれほど酒を好むのかよくわからない面もあったが、雰囲気が酒でよくなることがあるのは理解していた。この三人の友人関係は、まだ始まったばかりのようだが、大きな可能性を秘めている。ただ、異性間ということもあって、恋愛がそれを阻害するかもしれない。ドミンゴ・エステソはそう思った。ドミンゴは、ジョーがドミンゴを弾いたとき、この若者の精神と対話した。あーあ、山田桃子のことが好きなのか、やめた方がいいのに、ドミンゴ・エステスは直感的にそう思った。一方で、この30過ぎの青年が、なんのトレーニングも受けていないけど音楽の天才であることも見てとった。ジョーのポップソングに対する知識の幅広さには恐るべきものがある、どれだけの時間をポップソングを聴くのに費やして来たんだろう、なんの仕事をしているのだこの若者は?そう不思議がった。
「ジョーさん、はじめまして。ドミンゴ・エステソと申します。90年ほどギターをしております」そうジョーの精神に話しかけた。
「?だれ?」ジョーはそう思った。
「このギターの精神です。名前は本当はありませんけど、私を作った人の名を仮に名乗っております」
「へー。俺はジョー。ひきこもり」
「ひきこもり?」
「聞いたことあるでしょ、家に居て基本なにもしないんだ」
「ああ、いつの時代にもいます。知っています。……。ジョーさん、ところであなたは自分の人生になにを望んでいますか?」
それを聞いてジョーは苦笑した。
「ドミンゴさん、俺は自分の人生になにも期待していないよ。死ぬのを静かにおとなしく待っているだけだ。釣果のない釣りを延々としているだけさ」
「もったいない。まあそれはともかく、山田桃子さんのことが好きなんでしょ?」
「あはは。まあね。まったく望みがないけどな。彼女が俺のことを好きになるわけがないでしょう」
「そうですね。確かに」ドミンゴは深く頷いた。ドミンゴは、ジョーが音楽の天才であることを教えようか迷った。が、いつもの通り直感に従って、今は教えないことにした。
「ジョーさん、お願いがあるのですが、あなたの意識の片隅に場所を作って頂いて、私に住まわせてもらえないでしょうか?」
「今みたいな感じで?ああ、いいよ、別に」ジョーは極度にこだわりのない性格だった。ドミンゴ・エステソは、ドミンゴとエステソの二人に分かれ、ドミンゴはジョーの精神に、エステソは今まで通り楽器の精神として、しばらく離れて住むことにした。

 ドミンゴは、人間で言うと陽の部分、明るく前向きな部分を担っていた。一方、エステソは、ダークサイドを担っていた。二人合わさって完全な人格を構成していたので、分かれるとお互い寂しく思うというか不完全な存在だった。山田桃子にギターとして連れられて、エステソは山田桃子の家に帰った。エステソは酒でも飲みたい気分だった。やってらんねえ。ドミンゴの奴、なんであんなしょーもない若造のところにいっちまうんだ。俺が寂しいじゃねーか。山田桃子はギターケースを開けて練習を始める。エステソは思った。まあよ、このねーちゃんもまあまあギターうまいけどよ、だからなに?って部分がなきにしもあらずだな。まあしょうがないから鳴ってやるけどよ。ポロローン。本気で鳴ってやる気はありませんよーん。ポロローン。おい、キスするな、山田桃子。抱きしめるな、山田桃子。なにが「彼氏がいなくて寂しいよ」だ。こら、脱ぐな。俺はそんな気ないからな。なんだ寝るだけか。ちゃんと俺をケースにしまえ。シャワーを浴びてから寝ろ。

 一方、ドミンゴの方はジョーの部屋で静かに対話を楽しんでいた。
「ジョーさんはきれい好きですね。部屋が片付いています。部屋はその人の内面を表す、といいます。きれいで簡潔な内面なんでしょうね」
「おいおい、ドミンゴ、お世辞を言うなよ。幽霊のくせに」
「幽霊ではありません、ギターに宿った精神です。ギターのことならなんでも訊いてください」
「なんで熊谷でなく俺なわけ?客観的に言って、熊谷の方が面白い奴だし、ギターに詳しいから話も合うんじゃない」ドミンゴは心の中で苦笑した。
「さあ。気が向いたとしかいいようがありません」
「そう。まあいいけど」ジョーはのんびりと答えた。

 次の日、熊谷とジョーは一緒に朝食を取った。ジョーは考え込んでいた。ドミンゴのことを熊谷に言うべきかどうか。他の人間が相手だったらまず言う気はなかった。頭がおかしいと思われるからだ。ひきこもりって精神に本気で悪いんだな、と口にしなくても心では思われるだろう。しかし、熊谷は、友人のジョーから見てもかなり変わっていた。不思議な現象を平然と受け入れる傾向があった。試しに打ち明けてみよう。ジョーはコーヒーを飲んで心を落ち着けた。
「熊谷、変なことを打ち明けていいか?」
「ああ、いいよ。僕、変なこと大好きだし」
「秘密だぞ、親友や親にも言うなよ」
「ああいいよ。水虫にでもなったか?」
「ああ。それは認める。それとは別件でな、昨日のギターの精神が、なんというか、俺に宿ったんだ」
「ドミンゴ・エステソの?すごい怪しいね、それ。本気で言ってんの?」熊谷はププッと笑いかけた。
「どんな感じ?」
ジョーはしばし考えた。
「んー、悪くはないね。礼儀正しいし、物知りだし」
熊谷は腕組みをした。
「物知りだろうね、とくにギターのことは。ジョーも山田桃子のCDとか持っているけど、基本的にはあんまりギターには詳しくないよね」
「まあな、初心者だしな。それがどうした?」
「試してみよう。クイズで。フェルナンド・ソルは何年生まれでしょう?」
ジョーはしばらくじっとしていた。
「1778年生まれ。偉大なギタリスト兼作曲家らしいな。ドミンゴは、どの曲もおすすめだが、とくにエチュードOp.31の前半11曲を練習するといい、と言っている。技術的にはさほど難しくないが光るものがある、と」
「……その通りだ。確かにジョーの知り得ないことを知っている…。もっと遊んでみよう。山田桃子の好きな人は?いったいだれ?」
「……うーん。ドミンゴによると今はいないんじゃないかな、とのことだ。俺たち二人のことも、恋愛対象としては意識していないらしい。もちろんギターだからいつも山田桃子のことを見張っているわけではないけど、弾かれているときの感触からすると、恋も性も感じないそうだ。ちなみにドミンゴの好きな人は、セニョリータ、だそうだ。……今長い説明が続いているが、あんまり紹介する気にならん、もういい、ドミンゴ」
熊谷はうんうん、と頷いた。
「まあ、同居人が増えたみたいなもんだね。口外しないでおこう、僕まで変人だと思われてしまう」
「そうだな、ただでも変人だと思われやすいものな」
「ああ。気をつけよう」

 山田桃子のレッスンは流行っていた。山田桃子は、レッスンにおいて身体性を大事にしていた。「ひじの使い方が違うよ、こうだよ」などと言って、自分で手本を見せたり、生徒のひじに触って動かしてあげたりした。「演奏はフィジカルが50%、音への狙いが50%」という信条で、音楽的指導もしっかりとしていた。生産的な次の一歩、を非常に意識した指導法で、過度に難しくならず、徐々に音楽が楽しいと思えるやり方で進めていった。始める人はいても、辞める人はほとんどいなかった。日々、生徒の数が増えていった。山田桃子の生計は安定するばかりだった。一方で、アイドル芸術家時代にはなかった、自発的にコンサートをやりたいという欲求も芽生えつつあった。そんなとき彼女は途方に暮れた。私、コンサートやろうと思えばできると思う。今までいっぱいしてきたしね。でも、本当に自発的なコンサートってなんだろう?全部バッハとか?やってみたいけど、聴く人に負担がかからないかな?桃子の人気のおかげで人は集まったけど、二時間バッハで、なんだかげんなり、とかならないかな?わかんない。私にも意味があって、聴く人にも意味があるコンサート。だんだん脱いでいく、とかいいかもな。私、脱ぐの好きだし。でもそれをやってはいけないな……。私が得意な曲を並べる、っていう今までやってきたやり方は商品としてある程度価値があったけど、作品としてはどうかな。ギター界の宣伝マシン、みたいな感じで、商品性だけが際立っていたかもね。良くも悪くも、ハリウッド映画みたいな。かといって、タルコフスキーの映画みたいな、お芸術オタクのおたしなみ、みたいなコンサートも嫌だな。まあタルコフスキー自体はわけわかんなさとかあって不思議で個人的には割と好きだけど、私自身のコンサートはもっとポピュラーな感じがいい。どういうのが作品性のあるコンサートなのかしら。まあ気長に考えよう。さー、明日は休日、お買い物。なにを買おうかな。るんるん。

 僕のギターを売る展示会が明日から始まる。準備を入れて6日間、火曜日から日曜日まで小さな画廊を借りて、ギターの展示をする。僕のギターは4本、岐阜の寡黙な天才製作家、大谷くんのギターが二本。大谷くんも今日からしばらく茨木に来てうちに泊まる。長身細身おしゃれの大谷くんを迎えに茨木市駅まで行く。大谷くんは相変わらず無愛想だ。「よ、熊谷くん。相変わらずダサめだな。まあいいけど。とりあえず熊谷くんちに行こうか」大谷くんはそうカルく挨拶するとさっさと僕の家に向けて歩き出した。ジョーと大谷くんは初対面だが、簡単に挨拶しただけで、お互いシャイなので距離を取って近寄らない。僕が主に話をする。近況、ギターのできばえ、山田桃子のこと、そんなことを話していたらあっという間にうちに着いた。駅から近いのだ。

 事前に山ほどチラシを配って電話もかけまくったので、展示会にはそれなりに人が来てくれた。大谷くんの二本が早々と初日に売れる中、僕の四本は最終日まで全く売れなかった。来る人来る人、僕のギターと大谷くんのギターを比較し、「大谷くんのいいね!」という話になり、もうすでに売り切れたのを残念がって帰って行った。この展示会で自分の評価を下げてしまったかもしれない、失敗したな、あはは、という気持ちが僕の中をよぎった。そのくらい大谷くんのギターはよかった。高い音、低い音、真ん中の音、それぞれが見事にバランスを取っていて、いろんな曲が似合うギターだった。また、日本っぽくないというか、いい意味で日本人ばなれしていた。さすが海外の製作コンクールで優勝しただけのことはある。完全に対戦相手を間違えたな、便乗するつもりがあっさり食われてしまった。情けない話だ。大谷くんのギターは一台80万円、僕の倍だが、あっさり初日で完売した。材料代、経費代抜かしても100万以上のもうけだ。うらやましい。もんもんとした。お客さんがいないときに大谷くんと雑談した。
「大谷くん、まずは完売おめでとう」僕がそう言うと、大谷くんはさも当然という顔をした。
「まあ。ありがとう。僕は注文たまっていて、作るスピードが追いつかないから、そもそも展示会する必要ないんだけどね」
「ふーん。そう。大谷くんって年に何本くらい作っているの?」
「そうだな、月2本ペースだから24本くらいじゃない?金額で言うと2000万くらいかな。もちろん材料とかは高いけどね」
それからしばらく材料代の昨今の高騰について憤慨し合った。
「ところで、熊谷くん、才能あんまないのにギター製作続けるってどういう気持ち?単刀直入に訊いて悪いんだけど」
うーん、と僕はうなった。気持ちのいい質問ではないけど、大谷くんの意見を訊くチャンスでもあるので、まともに考えてみることにした。
「僕は大谷くんに比べて才能がない。それは認める。また、ギターを作る人の中でも、たぶん上位じゃない。それも認める。ただ、やりたくてやっているのであって、才能があるからやるとか、ないからやめるとか、僕はそういうふうには考えない。才能の多寡で自分のやることを決めていたら、DNAの奴隷みたいなものだと思う。ただ、日々進歩するのは可能だけど、容易でない。苦しい。でも進むしかない。たまに売れる。そんな感じだけど?」
「ふーん。俺は、自分に製作の才能があって、音楽の才能もあって、作るのが大好きで、ラッキーだって思っている。金持ちの子、みたいな気分だね。その分スポイルされているかもしれない。熊谷くんは、来るお客さんごとに手を変え品を変えなにかしら会話していたけど、俺にはそういうの無理。やりたくても無理。俺は、ここだけの話だけど、能力の低い人とどう会話していいかわからない。つまりスポイルされている。俺はもっと普通になりたい。いや、なりたかった。今は半分あきらめている」
「ふーん、そんなこと考えるんだ。まあ、芸術の世界で天才肌の人にはそういうこともよくあるじゃん。別に関われる人の範囲が狭くてもいいんじゃない?作品がよければ」
「まあね。ただ、俺の場合対人恐怖っぽいというか、関わりたいと思う人とも関われなくなっている。たとえば山田桃子とは俺は面識ないが、今現れてもまともに会話できなくて自己嫌悪に襲われるだろう」
「ふーん、きさくな人だけどね、山田桃子」
「知り合いなの?山田桃子、茨木に住んでいるとは聞いたけど。緊張するから展示会に呼ぶなよな」
「はいはい。でも向こうから勝手にくるかもよ」

 結局、僕のギターは一本も売れなかった。でも多少は宣伝になったかもしれない。手にとって試奏して、「いいですね」と言ってくれた人は何人かいた。そういう人はたいてい既にいいギターを持っていて、展示会には遊びに来ているだけなのだが。大谷くんは大もうけで、僕は大赤字、打ち上げは大谷くんが気前よくおごってくれた。山田桃子も噂の天才ギター製作家・大谷くんに会いにやってきた。二人にはせっかくだから隣の席に座ってもらった。店は「杏」という駅近くの洒落たカフェ・バーみたいなところだ。ドリンクが安くて充実していた。
 観察する範囲では、山田桃子が大谷くんに積極的に話しかけ、大谷くんはぼそっと短く返す、くらいの勢いだったが、極端に人見知りの大谷くんにしては喋っている方だと言えた。トイレで一緒になったとき大谷くんに「どう?楽しんでいる?」と訊いてみた。大谷くんは「ああ。俺も饒舌だな。山田桃子となんとか会話が成立するなんてな。夢みたいだ」とうれしそうにしていた。トイレから戻ったら、みんな微妙に席替えしていて、山田桃子のとなりにはジョーが座っていて、なにやら話込んでいた。「トイレ行くんじゃなかったな。席取られてがっかり。表で煙草でも吸っているよ」大谷くんはそう言って外に出て行った。

 一夜明けて、大谷くんは百数十万を手ににこやかに帰っていった。一方、僕は売れ残りのギターを部屋に並べて、自分のどこが悪いのか真剣に考えていた。自分のせいだけだとは言えない、というのが結論だった。大学生くらいだったら、40万のギター、欲しくてもなかなか買えないよねー、かと言って退職して金もある愛好者はすでにいいギターを持っているし、彼らが持っているギターを越えないと、僕のに買い換えてはくれまい……などとつらつら考えていたら山田桃子から電話がかかってきた。
「あのさ、熊谷くん、嫌みに聞こえるかもしれないけどさ、昨日展示していたギターまだ残っている?」
「ああ。残りまくっているよ。気難しい年頃の娘が10人くらいいるおかーさんのような気分だよ」
「あら。悩ましいね。私が少し悩みを解消してあげるよ。熊谷くんのギター、私は結構いいと思うんで、生徒さんに勧めてみたら見てみたいってさ。今日時間ある?」
「あるよ。いつでもどうぞ」
 山田桃子の連れてきた生徒さんは退職したての初心者で「善し悪しはよくわかりませんわ、ははは」と明るく言っていたけど「山田先生も勧めているし、私もなんとなく気に入りましたんで買いますわ」と言って買ってくれた。展示会での赤字がチャラになった。めでたしめでたし。ジョーにも報告しよう。ジョーの部屋をノックした。「どうぞ」という声がしたので入ったら、ジョーは窓辺に座って遠くを見ていた。ギターの練習の最中だったようで、足を気楽に組んでギターをじゃらじゃら鳴らしていた。ジョーは和音に対するセンスがあるみたいで、綺麗に和音を響かせた。「ジョー、ギターが一本売れたんだ」僕がそう報告してもジョーは無言だった。しばらく黙ってギターを鳴らしていた。僕はまあいいかと思ってその辺に腰を下ろした。「ジョー、ずいぶん熱心に練習するね」僕はあくびをしながら適当にそう言った。ジョーは言った。「熊谷くん、残念ながら私はジョーさんではありません。ドミンゴです。精神が入れ替わってしまいました。今は私の意識の中にジョーさんが住んでいます」なに言ってんだこいつ、と思ったがジョーはマジメな分そういうつまらない悪ふざけは普段しないのでなんとなく不安になった。僕はからかいたい衝動に襲われたので話を合わすことにした。「ドミンゴ、ね。スペイン人だよね。なにかスペイン語を話してよ」「わかりました。ロルカの詩を読みましょう。いい人でした」そう言ってから、朗々と詩を詠み出した。スペイン語が確かに本物っぽい。ジョーにはそんな特技もあったんだ、と思いつつ、僕は早くもこの「ドミンゴごっこ」に飽きだしていた。「ねー、ジョー、普通に話してよー」僕はだだをこねた。「ムリです。私はそんなに日本語堪能ではないんです」ジョーは流ちょうにそう答えた。そして目を閉じた。「…ジョーさんは『俺の体、好きに使ってくれ』と言っています。私も好きで乗っ取ったわけではありませんが、戻し方が分かりません。しばらくこの家に滞在していいですか?」
僕はちょっとしつこいなと思いつつ「いいよ。元々ジョーの家でしょ」と冷たく答えた。
 その夜、僕は久しぶりにジョーと川へ散歩に出かけた。ジョーは上手に口笛を吹きながら歩いた。二人でベンチに腰掛けながらビールを飲んだ。「この飲み物、おいしいですね、これがお酒なんですね」本物の感動をたたえながらジョーは言った。「ジョーさ、ドミンゴになっちゃった、って言うわりには、さっきギター弾いていて、今までどおりそんなに上手ではないじゃん。初心者じゃん。本当にドミンゴ・エステソの魂なら、もっと上手なはず」ジョーはそれを聞くとフフッと楽しそうに笑った。「そうですね。でもそのうち上手くなりますよ」
僕はつい大きな声で「なんだかめんどくさいなー」と言った。「熊谷さん、これからは私のことは、ドミンゴ、と呼んでください。でないと怒りますよ。ジョーさんは私の意識の中で生きていますから、私を通じてジョーさんと会話できますので安心してください」

 ドミンゴは、ジョーが継続して受けてきた山田桃子のレッスンを受けると主張してきた。山田桃子にもなにかしら事情を説明した方がいいだろう。僕もレッスンに付いていくことにした。山田桃子は説明を一通り聞くとうさんくさそうにドミンゴを見つめた。「ふーん、私のドミンゴ・エステソの魂ねえ。信じられないね、そんな下らない遊びをしつこく実行するなんて。ジョーさんどうしたの?本当にドミンゴだって言うんなら証明してよ。ホセのソナタを弾いたら信じてあげる」ドミンゴは力なく答えた。「まだムリです…」「ムリってことはないでしょう、私、自分のドミンゴ・エステソで何度となく弾いたよ。覚えているはずだよ」「…覚えてはいます。声で旋律だけ歌いましょう」そう言うとドミンゴは立ち上がって、激しく運命に立ち向かう、とでもいえそうな名曲・ホセのソナタを大声で歌いだした。そのハイテンションは僕と山田桃子を圧倒し、出だしのみならず、第一楽章を、第二楽章を、歌い上げて行った。大声で正確にダイナミックに歌い続けるその姿は、能を連想するというか、もののけというか、とにかく尋常ではなかった。よく、「曲を弾くより歌う方が難しい」と言うけれど、これだけ歌えたら弾けない方がむしろおかしい、と思えるくらいの歌いっぷりだった。スペイン内戦で、民衆の人望が厚かった、という理由だけで惨殺されたホセ。残した数曲は、激しい生を生き抜く勇気と静かな激しさが支配する名曲。カラオケが得意なジョーとはいえ、ジョー本人ではここまで的確に歌えまい。山田桃子も「もういいよ。しばらくは、キミをドミンゴだと認めるよ」と降参した。「でも本当はキミのことジョーさんだと思いたいけどね」とも付け足した。

 ドミンゴは日がな一日ギターを練習し、かつ山田桃子に的確なテクニックも習ってくるので、毎週少しずつ上手くなっていった。山田桃子の教室会にも、まだ下手くそさの残る「ホセのソナタ第三楽章」で出演したが、そもそも初心者が弾く曲ではないので、弾けるだけでもあらびっくり、という反応を引き起こした。打ち上げでドミンゴは言った。「私は自分で生計を立てていません。恥ずかしいことです。なにか仕事をしたいです。スーパーのレジがしたいです。私はよくスーパーに行きますから、前から気になっていたのです」というわけで、ドミンゴというかジョーというか、彼は十数年ぶりに働きに出ることになった。
 ドミンゴはあまり家事や料理をしなかったので、その分僕は負担が増えたけど、ギター製作上のアドバイスをくれたり、気楽な雑談につき合ってくれたりするので、ジョー時代と変わらず彼と暮らすのは楽しかった。
 
 ドミンゴの、ギター製作上のアドバイスがあまりに的確なので、一回とことん彼を利用してギターを作ってみようと思い立った。材料屋に一緒に行き、材料を見比べて、ドミンゴの推す材料を仕入れた。図面も、ドミンゴの意見を聞いて引き直した。治具や細かい道具もドミンゴのいいなりに買い揃えた。作業手順も普段の僕のとは違うものにした。作業自体は僕がやったものの、表面板の細かい調整(そこを0.1mm削って!とか)力木の配置等もすべてドミンゴが考えた。勉強にはなった。「どういう発想でそうするの?」と質問すると、ドミンゴはあることないこと事細かに説明してくれたからだ。「スペインの天気を思い出してください。日本にはない、カラッと晴れた青い空です。そうすれば、表面板のそこはあと0.2mm削るはずだ、と分かるはずです」などとやや飛躍したことをよく言った。イメージと具体性を大事にしているらしい。とにかくそうこうして手取足取り見てもらったギター「ドミンゴ・イ・クマガイ(ドミンゴと熊谷)」が出来上がった。どんな音が出るのかわくわくである。山田桃子も呼んで三人でどんな音がなるのか試し弾きすることにした。弦を張る手になぜか緊張が走る。駄作だったらどうしよう。まずは僕が弾いてみた。和音がきれいに鳴る。和音を切り替えたときにはっきりと雰囲気が変わる。メロディーが歌いやすい。なんだか次の音が自動的に浮かび上がってくるようだ。とにかく、今までの自分のギターとは一線を画したギターができちゃったことは確かである。山田桃子に手渡すと、山田桃子は和音をいくつか鳴らし、「これ、本当に二人でつくったの?すごいじゃん。ちょっと嫉妬」と呟いた。それからホセのソナタを弾いてくれた。原曲は結構暗いというか深刻な曲なのに、この新しいギターで弾くと、ちょっと明るいというか厳しさがやや目減りした穏やかな感じになった。これ、いいギターだけど、もう一度同じ水準の作れ、って言われても困るよなー、と思った。続いてドミンゴが弾いてくれた。うんうん、と頷きながら「熊谷くん、よくやってますよ」と褒めてくれた。山田桃子に訊いてみた。
「山田、こうやってドミンゴを利用してこういう水準のギターをつくる、って続けてもいいんだろうか。どことなく間違った道であるような気もするけどね。自分の本当の実力でないし」
「そうね、ずっと続けたらキモイかもね。今回だけの記念、ってことにすれば許されるんじゃない?あーあ、でもなんか熊谷の実力が一段上がったようにも感じられてなんだかショック。桃子悲しい」
「そう?まあ勉強にはなったけど。ドミンゴの利用価値は恐ろしいものがあるね。ドミンゴ自身はどう思う?」
そう訊かれるとドミンゴはビールの缶をプシュっと開けた。
「私は、なんというか、あんまり世間的な成功にはもう興味ないですから、熊谷くんの勉強になったんならそれでいいか、みたいな感じですね。続けたければ一緒に作るのを続けてもいいんですよ。スペインで、親から子にギター製作を教えるのにちょっと似たやり方ですね。実力はゆっくり上がりますが、完成品は最初からレベル高くしちゃう、というやつですね。息子の名前で出して、息子にプレッシャーかけたりしてね。私は、自分の演奏が上手くなることにも興味がありますが、やはり、若い人に成長してもらうことに興味がありますね。山田先生にももっとうまくなってもらいたい」それを聞いて山田桃子はちょっとムッとしたようだった。
「…余計なお世話だよ、だったらなんで私に習っているんだよ、ってちょっと言いたくなったよ。でも悪気はないんだよね、ドミンゴは」
「そうです、私は悪気はありません。私は言わば、ゾンビのようなものです。死んでいるはずなのに、なぜか生を授かっている。神に対する感謝でいっぱいです。ゾンビはみんなそうです。ゾンビの命は長いようで短い。どの映画でもそうです。私もきっと遠からず、ジョーさんの意識と入れ替わるでしょう。それまでに、ジョーさんの意識に、労働の尊さと、ギター演奏の技術を教え込むつもりです。そのために毎日熱心に練習しています。私は、ジョーさんにまっとうな人生、穏やかな太陽のあたる人生を歩んで欲しいのです。それが私の願いです」
へー、そう、と僕と山田桃子は頷いた。「願いはそれだけ?」と僕はつい訊いてみた。ドミンゴはすばやく頷いた。「それだけです。あんまり欲張ってはいけません。そりゃ、日本の右傾化とかファシズムとか多少は気になります。でもなんでもかんでもできるわけではありません。左翼にもいい人はいます」
「?あれ、ドミンゴって右より?左より?」
「どちらでもありません。ただ一つ言えるのは、政治に対する意識は作品に非常に色濃く反映されます。だから大事です。あるピアニストが伸び悩んでいたら、原因は彼の右翼的な思考だった、とか、反対に人権に幻想を抱いているからだった、とかよくあります。この点、熊谷くんも山田先生もしっかり考えてほしいところです」僕は首を振った。
「よくわからないな、政治に対する意見と、作品の質は別物なんじゃないの?」
ドミンゴは穏やかに微笑んだ。
「そう思うのはよくわかります。でも、意外に大事だ、と言っているのです」
「そうかなー、一市民としては一定大事だとは思うけど、作品には関係なさそうだ、というのが僕の正直な気持ちだ。ホセだって大分左よりだったって話じゃん?名字をあえて名乗らなかったんでしょ?」
「そこは難しいところですね。ホセは、まあ確かに左よりだったかもしれませんが、民衆の真の気持ちを代表できていたから、あそこまでの作品を書けたんでしょうね。今の日本の民意は、表面上はかなりナショナリズムなものに見えるかもしれませんが、それは虚像です。虚像に乗っかろうとしてもコケます。実像とイメージに大きい乖離ができてしまってはいい作品はつくれません。私の言いたいのはそういうことです」
山田桃子は言った。「ちょっと待ってよ、熊谷ってむしろ左よりじゃん。人権大事だ、っていつも言っているじゃん。外国人に寛容じゃん。どう見ても左だよ」それを聞くとドミンゴは悲しそうに首を振った。
「左より、というのは、今の日本では共感を呼びにくいのです。多数の人は、過去数十年のタテマエとしての人権の大切さに疲れ切って飽き飽きしているのです。人権の大切さに安住していてもいい作品はつくれません。私の言いたいのはそういうことです」
 この夜は遅くまで議論が続いたが、ドミンゴの「言いたいこと」はシンプルそうだがつかみ所がはっきりとはなかった。三人ともやや疲れた。ドミンゴは最後に言った。
「私は、熊谷くんと山田先生には、高いレベルに到達して欲しいのです。そのためには、二人とも足りないところ、無駄なところがいっぱいあります。一枚一枚はがしていかないと」「あっそう……」僕と山田桃子は力なく答えた。

 3ヶ月が経った。その間、山田桃子はイケメンの生徒さんと恋をした。田中さん、という穏やかで痩せた男だった。四人で一度山田桃子の家で飲んだこともある。山田桃子が、よっぽど楽しかったのか、早々に潰れて自室に帰ったので、男3人が取り残された。田中さんは会話上手な人だったので、それなりに楽しく会話が続いた。ドミンゴも楽しそうだった。田中さんは大分酒が入ったところで言った。「ところでさあ、君たち二人、桃子とはどういう関係なの?」「友だちですよ、仲良しなんです」簡潔に僕は答えた。「友だちねえ…」うさんくさそうに田中さんは言った。「熊谷さんもドミンゴさんも、桃子と付き合いたいとか思わなかったの?」単刀直入に田中さんは尋ねた。「僕は別に。つき合うより友だちでいた方が楽しいし長続きしそう、という判断ですねえ。でもドミンゴは、ジョー時代は山田のことが好きでした」と僕があっさり答えたら、ドミンゴはなにか不満だったらしく、僕の足を蹴った。「熊谷くん、ばらさないでください。ええ、ジョーは今でも山田先生のことが好きです。確かに山田先生にはかわいらしいところがあります。私にも、誰かを好き、という感情はわかります。よくわかります。でも、元々が元々ですから、恋愛したいとかセックスしたいとかいう気持ちはよくわかりません」
それを聞いて田中さんは驚いたようだった。
「ジョー時代?まあそれはともかく、セックスしたいのがわからない、ってどういうこと?」
ドミンゴはそれを聞いて顔をしかめた。「まあいいじゃないですか。個人的なことですよ。ところで田中さん、山田先生のレッスンはどんな感じですか?」
「いやいや、話題をそらさないでよ、ドミンゴさん。そもそもどうして外人みたいな名前なの?いろいろ謎が多すぎるよ、あなた。どう見ても日本人でしょ」田中さんは吐き捨てるようにそう言った。田中さんの友好的な態度は変化を見せつつあった。
「ドミンゴ、は確かに自分で勝手に名乗っている名前です。スペイン文化が好きなんですよ。というのは本当の理由ではないですが、いいじゃないですか、私は自分ことをドミンゴだと思っているし、そう人にも呼んでもらいたいんです」
田中さんは「嫌だね。あんたの本名を教えなさい。それで呼ぶから」と言い切った。僕は仲裁の必要を感じた。「こいつの戸籍名は確かにドミンゴではありません。でも、なんていうか、田中さんとこいつでは文化がまるで違うんですよ。こいつはアイデンティティや名前は自分で決めるもの、と思っていて、田中さんは、いやいや名前とかは社会の中で決まるものでしょ、と思っているんですよ。平行線になりますよ、この議論は」
「まあそうかもしれないね」田中さんは素直に同意した。「でも僕はこれ以上、この人のことを訳分からん内輪のニックネームで呼びたくない、ふとそう思ったんですよ。いけないかな?」田中さんはすぐさま挑戦的に問い直した。
「いけないよ」いつの間にか部屋にいた山田桃子がそう断言した。「この人はドミンゴなの。それを受け入れないのはよくないよ。ホセはホセ、ドミンゴはドミンゴ。桃子は桃子。理由はいらないの。名前に理由はいらないの」
田中さんはそれを聞いて「わかった。桃子がそう言うなら。ごめんねー、ドミンゴさん」と軽く謝った。何日かして、山田桃子と田中さんはケンカして別れたと聞いた。恋というよりむしろ単なる消耗かなー、と僕は密かに思った。

 そんな中、ドミンゴのギターの腕前は着実に進化していった。僕もギターを20年くらいやっているから、アマチュアの中ではそこそこ弾ける方だけど、ドミンゴはそんな僕ともう遜色ないくらいに弾けていた。始めて一年経っていないのに。ドミンゴは毎日アホほど練習している。その割にはゆっくり目の進歩かな?とは思うが、なんせずんずんと止むことなく積み重ねていくので、完全に時間を自分の見方につけていた。一ヶ月前には「今からバッハのシャコンヌを練習します」と宣言し、いくらなんでも難しすぎるだろー、と思っていたところ、毎日10時間くらい練習するので、今ではなんとなく形になるくらいに弾けていた。ブルドーザーのように、遅いが着実に強引に有無を言わせず積み上げていった。山田桃子も目を見張った。「練習しすぎだよ。体、壊すよ?みたいに言いたくなるね。でも着実に進歩している」そう言った。スーパーでのレジの仕事も順調だった。毎日3時間ほどしか働かないが、意外にも着実な気配りを見せ、近所のマダムにそこそこ人気があった。仕事終わりに、総菜などを買って帰り、夕食を一緒に食べる。そこからまた10時ごろまで練習する。朝は8時ごろから弾き始め、レジのバイトに行くまでぶっ通しで練習する。ジョー時代はよくネットでゲームしたり本を読んだりしていたが、ドミンゴはそういうことは一切しないのでありったけの時間をギター練習に注ぎ込んでいた。こんだけ熱心な人間が側にいると僕もさぼってたら悪い気になるので、なるべく熱心にギター製作をした。そんな中でも、ドミンゴは他人を圧迫するのが嫌いなようで、雑談には気楽に応じてくれたし、山田桃子が遊びにくれば練習の手を休めた。僕には「熊谷くん。私に合わせて熱心になりすぎていますよ。あなたの場合は、もう少しノンビリやらないと」と言った。余裕をもって作業するように、とよく言われた。

 それから更に数ヶ月が過ぎた。山田桃子は田中さんの一件で懲りたのか、本当に気の合う恋愛相手を探しているようだったが、そうなるとなかなかいい相手が見つからないのであった。山田桃子は、何人かのイケメンからの求愛を、もったいないと思いつつ断った。夜寂しいと泣くらしい。寂しいときには僕にもよく電話がかかってきた。
「や、熊谷。私、今、寂しいんだよーん」明るい口調で彼女はそう言った。
「そう。じゃあ、僕とつき合う?」僕は軽口を叩いた。
「つき合わないよーん、だって熊谷、一人でなんでもできるもん。恋人を必要としてないもん。ギター製作より私を上位に置いてくれるなら、つき合ってあげてもいいよーん」僕はそれを聞いて、「あはは、ムリムリ、ずっと昔に決めちゃったから今更変更できないよーん」と答える。それは本当だ。今からでは自分の意思で変更できないことって確かにあると思う。世界最高のギター製作家になる、という決意もその一つだ。
「でも熊谷、決意しているわりには、現在のレベル、まだまだだよーん」彼女はしつこく「よーん」ごっこを続ける。
「わかってるよ。ところで、来月いよいよドミンゴのリサイタルだね。どうなるかね。確かにもうプロとも遜色ないレベルだけど、彼、あまり人前で弾いたことないでしょう。緊張とかするかな?」
山田桃子は電話の向こうで、うんうんと頷いた。「すると思うね。やっぱ舞台は練習と違うからね。いくらジョーの進歩がすごいからって、舞台では実力発揮できるとは限らないよ。そこは時間かかるんじゃないかな。でもこんなに上手くなってどうするつもり?今からプロのギタリストになるつもりかな?」
「こないだドミンゴに訊いてみたんだ。プロのなるの?って。そうしたらブンブンと首を振って『上手くなりたいだけです。リサイタルも、あくまでこの体に経験を積ませるためです。もちろん、聴く人に楽しんでもらう、というのは前提ですけど』とか言っていたよ。見上げた向上心だね。山田もそのうち抜かれちゃうかもよ」
「てゆーか、抜かれるよ。私、一日10時間も練習できないもん。仕事でレッスンあるし。仕事なくても、そんなにがんばるのムリ。しかもドミンゴ、ガンバリズムだけじゃくて、楽譜の読みが深いっていうか、構造とか展開に対するセンスがずば抜けているもの。ほんと、どこまで上手くなるのか底が知れないよ。まあ、ドミンゴのことはともかく、私今寂しいのよ。どうしたらいいと思う?」山田は冷静に話題を戻した。
「ギターの練習でもすれば。私、上手だなー、とか思って気が晴れるかもよ」僕はいい加減にあくびをしながらそう返事した。
「そうねーそうするしかないかなー、私の楽器、音がいいから気持ちいいのよねー。ギターに慰めてもらおっと。じゃあね」そう言って山田は一方的に電話を切った。僕はベランダに出てしばらくボーッとすることにした。なんで僕は誰かとつき合いたいとかあまり思わなくなったんだろう、とかつらつらと考えた。昔はそうではなかった。セックスもしたかったし、「とりあえずつきあってみて、だめなら別れればいい」という態度だった。でも、最高のギター製作家になることを決めたとき、これからはあんまりいい恋はできないかもな、となぜか思った。さっき山田は「自分をギター製作より大事にしてくれるならつきあってもいい」とか言っていたけど、冗談半分本気半分だと思う。山田とは気は合うと思う。本気になれないだけで。おっと地震だ。震度4くらいかな?変な揺れだったな、あんまり逃げたい気にならないというか…。また電話だ。ひょっとしてまた山田か?
「熊谷。山田だけど」
「どうしたの?まだ寂しいの?」
「いや、ギター弾いていたら寂しさは紛れたんだけどさ、それどころじゃないっていうか、体調がすごく変なんだ。悪いけど介抱しに来てよ、ドミンゴと一緒に」
「大丈夫?救急車呼ぼうか?」
「救急車呼んだよ。でもなんか対応が変なんだ。妙に冷たくてさ、『今夜は救急車は出払っていて、予約?も一杯で行けませんから、ご自分でタクシーでも拾って病院に来て下さい』なんて言われちゃった。だからとりあえず来てよ。私、意外に友だち少ないんだから。熊谷が一番気楽だからさ、助けてよ」
「わかったすぐ行く。ドミンゴはもう寝ているから僕一人で行くよ」
「ありがとう、助かるよ」
出かける支度をしていたら、ドミンゴがのそのそと起きてきた。「地震で起きました。山田桃子の家に急ぎましょう」とドミンゴは冷静に言った。「?どうして山田になにかあったことを知っている?まあとにかく急ごう」手早く準備して、家にある薬を集めて自転車に飛び乗った。
 

はあはあ。息がくるしい。私のからだ、どうしたの?なんか変なものでも食べた?ええ、食べたわ。ドッグフード。前から一度食べてみたくて、夕食に食べちゃった。まあまあおいしかったわ。ちょっとあっさりしていて塩分控えめだったけどね。そのせいかしら。ちがう、激しくちがう。ドッグフード食べたくらいで、こんなに目眩がしたり幻覚が見えたりしない。これはひょっとして伝説の魔のカーブ?…かもしれない。神経が表面にさらされるような、そんな危険な感覚がある。あるいは、アナザーワールドへの片道切符、って呼ばれているやつかしら?一定期間経つと一見元に戻るんだけど、実は戻っていなくて、精神の落ち着いた大事なところをアナザーワールドに置き忘れている、ってやつ。あるいは……盲腸?盲腸だってあなどれないわ、古代の人は盲腸になったら死んだでしょうしね。伝説の魔のカーブ、片道切符、盲腸、いずれにしてもやっかいなことになった。とにかく自分の精神を守ることを優先しないと。ピンポーン。熊谷来たかな。ドアを開けにいかねば。なにか大事なことを忘れている気がする。そう、水。水を飲まないと。ものすごく喉がかわいている。手を見ると、いつのまにかしわしわになっている。俺も年取ったな。もう32だものな。熊谷がドアをドンドンしている。とりあえず開けよう。「山田、大丈夫?」大丈夫じゃねーよ。はあはあ。なんか声がでないよ。ジェスチャーでそう伝える。熊谷は、分かりました、というジェスチャーでオーケーを出す。ジェスチャーで返してんじゃねーよ。お前は喋れるだろうが。タクシーを探しに行こう、というジェスチャーをする。おいおい、勘違いしてんじゃねーよ、車を運転したいわけじゃねーよ。しょうがないから震える手で紙に「タクシー探してきて」と書く。熊谷はやっとわかったようで、外に飛び出していく。ドミンゴだけが残る。「とりあえず水を飲んでください、今はそれが大事です」そう言って台所に行って水を取ってきてくれる。「現実的にいきましょう、たとえそれが難しくても、です」冷静にドミンゴはそう言う。しばらく横になる。ドミンゴは「私もそろそろ願いがなにか決めないといけませんね…」と一人呟く。願い?私の願いは、一流のプロになって活躍すること、だった。今も願いは同じだろうか。微妙に違う気がする。プロになって活躍はできたけど、一流という大事な要素がまだだったし、今は派手に活躍したいとか思わない。それより堅実な恋人が欲しい…。あー、なんかいろいろ欲しいもの湧いてきた。金、権力、男、実力……。「でももらえるのは一つだけですよ」とドミンゴは言う。え?そうなの?じゃあ恋人にする。はあはあ。体調不良なのに俺たちはなにしてんだ。タクシーはまだか。「恋人っていうのは漠然としていますねえ。誰がいいんですか?」とドミンゴは言う。そうだな、ジョージ・クルーニーとかいいな。白髪でハンサム、ギターに詳しくなく、俺が一流に届いてないことを見抜けないやつ。本当にそんなやつがいいのか。本当にジョージが欲しいのか。自問する俺。…。ま、具体的には恋人にしたい人っていないなあ。いたら俺からアプローチしてるっつうに。「熊谷のことは好きじゃないですか?」とドミンゴは問う。そらまあ、嫌いじゃない、むしろ好きだけど、あいつそんなに俺のこと大事にせずにマイペースで暮らしそうだからなあ。踏み込めない。でも好き。熊谷にしとくか。熊谷にしとこう。熊谷のことが好き。「じゃあ、正念場ですね。生還を祈りますよ」ドミンゴはそう言って微笑む。二人静かにタクシーを待つ。俺は気を失う。

 タクシーが見つからない。正確に言えば、空車のタクシーが見つからない。阪急茨木市前にくれば、さすがに腐るほどいるだろう、そう思って来てみたが、一台もいない。代わりにあるのは、タクシーを待つ長蛇の列のみ。今日はいったいどうしたの?途方に暮れる。見つかりそうもないからいったん山田の家に帰ろうか。
 帰ってみたら、山田は意識を失っている。ドミンゴは「タクシーは?」と冷静に訊く。見つからない事情を僕は焦って説明する。とりあえず、二人で交代で担いで病院に運ぶことにする。山田は時折苦しそうに呼吸をする。それにしても重たい。小柄な山田だが、それでも運動不足の30代には重すぎた。とても病院まで歩ける気がしない。ベンチに腰掛け休憩する。目が覚めないかと思い、平手でぱしぱしと山田を叩いてみる。おーい。
「叩くなー……」消え入りそうな声で山田はそう言う。目を覚ましたのだ。よかった。「水をくれ…」山田がそう言うとドミンゴは鞄からペットボトルを取り出して山田に飲ます。「熊谷、よく聞けー」と山田は小声で叫ぶ。「なに?」「俺が熊谷を守ってやる…」それを聞いて僕は苦笑する。「あのねー、今大変なのは山田の方で、僕はピンピンしているよ。守る必要なんて全然ないよ」そのとき、空車のタクシーが向こうからやってきた。僕とドミンゴは道に出てそのタクシーを止めようとした。が、タクシーは僕らに気づいたはず(なんせ車道に出て塞いでいるのだ)だが、僕らを避けて去っていった。僕とドミンゴはがっかりして山田のところに戻った。山田は水を飲んでさっきより回復したようで、喋れるようにもなっていた。三人でベンチに腰掛けて休むことにした。ドミンゴは言った。「山田は熊谷のことを愛しているそうです。さっき家で熊谷を待っているときに私にそう言いました」僕はそれを聞いてふいをつかれた気分になった。「僕を愛す?…そら、うれしいけど、平常心で思ったことではないでしょ。あくまで、自分の体が危険になったから、ふとそう思っただけでは」
「そうとも言い切れないと思いますよ。まあ、山田が回復してからゆっくり話して下さい。ジョーも、くやしいけど祝福する、と言っています」
「へー、ジョーもねえ。ジョー、最近元気?」
「私の中でおとなしく引きこもっています。ネットやゲームが恋しいそうです」
「あっそう…。ねえ、ドミンゴはいつまでジョーと入れ替わったままでいるつもり?」
「来月までです」あっさりドミンゴは言った。「そう感じます。あと一月くらいで私はふたたびギターの魂に戻りそうだなー、って。人間として暮らして充実しました。もういいでしょう」
山田がまた一人呟く。「熊谷、私が守るから」
「山田、ありがとう。守ってくれて」僕は山田に合わせる。山田はドミンゴに問う。「ねえ、ドミンゴの願いってなんなの。教えてよ」ドミンゴはいつになく真剣な表情をして考える。「そうですねー、和の精神をみんなが大事にすること、ですね。あえて言えば」簡潔にドミンゴは答える。ちょっと拍子抜けするけど、ドミンゴらしいな、と僕は思った。
 結局朝までタクシーは捕まらなかったけど、三人でのんびり話をしながら山田の回復を待った。ときおり山田は脈絡もなく僕に向かって「君を守る」と呟いた。山田は検査入院というか三日ほど念のため入院したけど、特に悪いところは見つからなかった。

ふー、私、山田桃子は、「第三回・伝説の魔のカーブ」を無事に生き抜きました。無事、とはいっても、たぶんね、という感じで、本当に大丈夫なのかは現時点ではいまいち分からないんだけどね。熊谷、つき合ってみたら意外と優しいっていうか、私のこと大事にしてくれるし、入院したときもずっとつきそって介抱してくれたし、今のところ合格点かな。
 私、今回のことでいろいろと考えさせられました。果たして、こういう、極度に精神的にやばい状態に短期間とはいえ陥ることって必要なんでしょうか、と。私、中世に生まれていたら、確実に魔女として死んでいたね。そういう自信があります。
 こういう「制度」っていうか体験っていうか、もう人間社会からなくしたらいいんじゃないでしょーか。そんなふうにも思ったね。でもなくなったらなくなったで日常が日常すぎて変化に欠けるかもね。どうなんだろう。精神的にやばい状態にならなかったら、熊谷に告白したりすることもなく、友だちつき合いをだらだら続けていたかもしれない。そこらへんは、伝説の魔のカーブのおかげなのか。それともそんなものなくてもいずれ告白していたのか。わからない。一つ思うのは、たぶんこの「制度」「体験」、人間社会からなくならないと思う、ならばなるべく安全なものに改善していく必要があるのではないでしょーか、ということ。具体的にこうしたら、みたいのは特にないんだけどね。
 そうそう、こないだのジョーの初リサイタル、よかった。プロだね、どこからどう見ても。ホセのソナタ、泣けたね。スペインに飛んで行きたくなったよ。あれ、前半はドミンゴが弾いて、後半はジョーが弾いたらしいね。後でジョーがそう言っていた。特に緊張もしなかった、って。たいした度胸だね。大成するかもよ。がんばれ、ジョー!
 それで、ドミンゴのお別れ会というか、内輪で会を開いたんだ。スーパーのバイトでドミンゴと特に仲良かった内田さんと、私と熊谷とジョーとドミンゴで。内田さんとは初対面だったけど、きさくで素朴な人だった。私のギター、ドミンゴ・エステソも持って行って(というかドミンゴはそこに戻るわけなんだけど)ギター弾いたり、のんびり話をしたりした。楽しかった。内田さんは趣味でフラメンコやっていて、歌うの。めちゃうま、内田さん。ジョーと組んだらいいコンビになりそう。ジョーも、ためらいながら、スーパーのバイト続けます、ドミンゴがジョーに残してくれたものを大事にします、って宣言していた。それを聞いてみんな嬉しかった。でもね、本人以外だれもジョーとドミンゴの区別がつかないの。なんだかジョーのお別れ会みたいな雰囲気になってきて、ジョーは「俺は残るよ!ドミンゴだけだよ、去るのは!」ってちょっと怒っていた。
 ま、茨木には私たち以外にも「四人の達人」と呼ばれる伝説のギタリスト達がいるし、そこに私とジョーも加わって、益々ギターが栄えていくのね。ギターの街、茨木に栄光あれ!

 山田桃子のことは意外にも大事に思えた。誰かがすべて準備してくれたかのように。まあ、シャーマン的なところと超現実的なところと両方ある不思議な人だけど大事にしていきたいと思う。
 私生活が充実してきたとはいえ、いいギターを作れるかというと話は別だ。山登りをした人が自然の峻厳さを垣間見るときみたいに、厳しい側面もある。ギター製作、この厳しい山は一人で登らざるをえない。ドミンゴ・エステソみたいに、ギターに魂を込めたい。よき魂を。

(おわり)


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