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蒼天を殺す

「白沢(はくたく)様を呼びましょう」
 昭(しょう)が言った。子を喪ってから初めて口にした言葉だった。
 張(ちょう)は弟達に小声で「はくたくってのは、一体誰だろう?」と尋ねたが、二人とも首を横に振る。村で学があるのは昭だけだった。
 建寧三年、冀州(きしゅう)の農民は貧困に喘いでいた。疫病が流行し、年寄りや子供は皆死んだ。時の帝が幼いことをいいことに、官吏達は肥え太る日々だという。
「白沢様は神獣よ。病の治し方を教えてくれるんですって。名君にしか姿を現さないの」
「名君など、いないではないか」
「ええ。だから、誰かに名君のふりをしてもらうの」
 張は弟達と顔を見合わせた。ついに昭は気が狂ってしまったのか。
「そしたら、噂を聞きつけて白沢様が様子をきっと見に来るわ」
 張さんがやって、と昭は言った。
「村で二番目にイケメンだから」
 夫と子を喪った女に反論する気力を、男達が持っているはずもなかった。彼らもまた、親と子を喪っていた。

 まずは身なりだ、と、昭は村一番の裁縫の腕で襤褸を縫い合わせ、一見立派な服を仕上げた。それを張に着せ、夕暮れ時に村の周りを歩くように言った。
「薄暗い時なら、実は襤褸だなんて分からないわ」
 半信半疑の張だったが、言われるがまま歩いて十日目、病に倒れた妻を治してほしいという隣村の男がやってきた。「あの村には貴人がいる」という噂を聞きつけたのだと言う。
 昭は「導師様の符水です。これを飲ませて七日寝かせておきなさい」と男に水の入った瓢箪を渡した。ありがたがる男の前で、張は内心ひやひやしながら、重々しく頷いてみせた。
 七日後、元気になった妻を連れて男が礼を言いに来た。張はひどく驚いたが、なんということはない。この男、妻が体調不良を訴えても休ませようとしなかったので、十分な休みを取った結果、小康を得た、というだけである。
 すっかり信心しきった夫婦は、数日後、村中の人々をつれてきた。

【続く】

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