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ノートルダム寺院という劇場

火災という悲劇に見舞われたノートルダム寺院は、もちろん宗教施設だ。だが同時に政治の劇場としての役割を果たしてきた。たとえば1789年のフランス革命がおこると、革命政権は王制を支えてきたカトリック教会に冷たかった。この寺院内の多くの王の像などが破壊された。生き残ったのはマリア像だけであった。また寺院は「理性の女神の神殿」に変えられた。革命政権の理性崇拝というイデオロギーの反映であった。さらに、その後にはワインの貯蔵所として使われた。革命政権はノートルダム寺院を侮辱することで「カトリック教会いじめ」という劇を上演したわけだ。

革命の混乱の中で登場したナポレオンは、この寺院を政治ショーの劇場として最大限に利用した。まず、この建物をカトリックの寺院に戻した。革命で倒された旧勢力と和解しようという象徴的な動きだった。しかも、ナポレオンは寺院の内装を古代ローマ風に変えて、ここで自らの戴冠式を行った。ローマ風にしたのは、古代のローマ人のようにナポレオンがヨーロッパの統一者になるという決意表明であった。しかも、戴冠式の様子を巨大なキャンバスに描かせて、世界に自らの野心を示した。ヨーロッパでも最も有名な建物であるノートルダム寺院ほど、その舞台にふさわしい場所はなかった。1804年であった。ナポレオンの没落の11年前であった。

さて今度はフランス人と世界の人々の協力によるノートルダム寺院の再建というドラマを見たいものである。

*写真はジャックルイ・ダビッドによるナポレオンの戴冠式の絵画


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