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フレディ・マーキュリーの故郷

 『ボへミヤン・ラプソディ―』が快進撃を続けている。イギリスの伝説のロックバンドの「クイーン」を扱った映画である。クイーンのリードボーカリストのフレディ・マーキュリーを演じたラミー・マーレックはアカデミー主演男優賞の候補となっている。

 さて、このフレディ・マーキュリーの生まれたザンジバルを訪ねた経験がある。ザンジバルは、東アフリカのタンザニアの沖の島である。美しい風景の観光地である。かつてはイギリスが支配していた。イギリス支配下の東アフリカに多くのインド人が流入した。フレディ・マーキュリーの父親も、そうしたインド人の一部でイギリスの植民地経営を支えた官僚組織の一員であった。またビジネスで成功を収めるインド人も東アフリカでは多かった。

 しかしアフリカの人々の独立闘争が始まると、イギリス支配の手先と見なされていたインド人への風当たりが強くなった。そうした中でフレディ・マーキュリーの両親は、イギリスに移民した。これは東アフリカからインド人が追い出されたという大きな悲劇の一コマに過ぎない。タンザニアの北のウガンダでは、1970年代に独裁者イディ・アミンが突然にインド人を追放した。多くのインド人は塗炭の苦しみを経験した。地獄を見た人間は強い。今イギリスで最も経済的に成功している集団はウガンダを追われたインド人たちと言われる。

 ところでザンジバルとは、どういう意味だろう。ペルシア語に「ザンジール」という言葉がある。「鎖(くさり)」という意味である。「バル」はペルシア語で「運ぶ」である。つまりザンジバルはザンジールバル、鎖を運ぶと読める。何のことだろう。奴隷のことである。鎖をはこんでいるのだから。実は歴史的にはザンジバルは奴隷貿易で知られていた。アラビア半島の南端のイエメンにも同じザンジバルと言う名の港がある。アフリカのザンジバルから奴隷がイエメンのザンジバルまで運ばれていたのではないかというのが、筆者の推測である。美しい風景の隠す暗いザンジバルの過去である。

写真はフレディ・マーキュリーのザンジバルの生家(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Freddie_Mercury%27s_birthplace.jpg)


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