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津田沼PARCOのごく私的な思い出


いやーついにきたか、と肩を落とすとともに、色々な思い出が走馬灯のように駆け巡る。津田沼のPARCOは渋谷パルコのような時代の最先端というよりは、もっと地域に密着した憩いの場としてのデパートであったように思う。

ニュースによると津田沼パルコの営業開始は1977年ということで、この商業施設がそれなりの歴史を重ねてきたことがわかる。私が生まれたのは1985年。物心ついたときから、津田沼PARCOは存在していた。

津田沼は気軽に行ける、一番身近な繁華街という印象で、私の実家は船橋と習志野の市境にあったが、船橋駅前よりも、津田沼の方がよく通ったし、親しみも持っている。

津田沼PARCOのテナントの中で、一番足を運んだのは今はなき、B館4Fの芳林堂書店だろうか。丸善ができるまでは、津田沼の中でも屈指の売り場面積を誇る書店だったように思う。それまで津田沼PARCOは親に車で連れて行ってもらう場所だったが、自転車で遠出ができるようになると、芳林堂書店に通っては、ずーっと飽きずに本棚を眺めていたものだ。どんな本を買っていたのはもはや記憶にはないけど。自分は編集の仕事をするようになって、はじめて関わった雑誌を書店で見たのもここの芳林堂書店だった。

芳林堂のあるフロアにはCDショップもあった。中学でビートルズにハマり、高校でパンクにハマった自分は、やはりこの場所にもよく通った。後に同じ津田沼にあるディスクユニオンの存在を知るまでは、ここでよくCDを買っていたように思う。

また、B館の6階には、昔映画館があった。

1985年11月に津田沼パルコB館6階にオープンしたテアトルシネマ津田沼。当時はシネコンの走りとして話題を呼んだ。現在もミニシアター作品など話題の映画企画上映も行い、全国ロードショーだけでなく、アート性の高い映画の上映も行っていたので、今回の閉館を惜しむファンも多い。

映画館のあるフロアはちょっと薄暗くて、特別な雰囲気がしたものだ。確かスクリーンが2つあって、外壁がレッドとグリーンで色分けされたいたように思う。親に連れられてインディペンデンスデイを見たことを覚えている。また、中学生の頃に男友達3人とアルマゲドンを観に来て、なぜか上映されていなかったので、代わりに中学生男子にまったくそぐわないラブコメ「ユーガットメール」を観たことはいつまでたっても忘れることができない。帰りに1階にある無印良品でソフトクリームだかを買って食べた。今は確かスタバになっている場所に無印良品があって、ここで親に飴玉を買ってもらったことも覚えている。

B館に比べるとA館に足を運ぶ機会は少なかったが、5階の島村楽器は大学に上がる前くらいによく行っていたように思う。大学に入ったら軽音サークルに入りたくて、ここでギターとアンプ、シールドなどがワンセットになった1万円の初心者ギターセットを買ったのだった。結局、実際に入ったサークルは1ヶ月くらいで辞めてしまったけど......。家に誰に聞かすともなく、島村楽器で買ったエレキギターを延々と弾いていた。

私が熱心に津田沼PARCOに遊びに行っていたのは大学に入って東京に行く前までのことで、20代の頃の一時期に実家から会社に通勤していたこともあったが、東京に出て様々なお店を知ってしまったこともあって、以前のように津田沼PARCOに「何か」を期待して行くことはなくなってしまった。横目でその変化を追っているだけだったが、ヴィレッジヴァンガードやしまむらがテナントに入ったことは、個人的には時代の変化を強く感じさせる出来事だった。

いつもJR津田沼駅の北口を出ると、すぐ目の前にPARCOの大きなロゴが目に入ってきた。そういう意味では津田沼のランドマーク的だ存在であったようにも思う。津田沼には昔から本当に商業施設が多かったが、PARCOは確かな存在感を放っていた。東京に出るまで、PARCOが津田沼以外の地にもあるということを知らなくて、渋谷PARCOの存在や、かつてのセゾングループの勢いを知ることで、そんなオシャレで最先端のPARCOが自分の地元にあることが、ちょっと誇らしく感じることすらあった。

津田沼PARCOが実際に閉店するのは2023年。それまでに、また何度か足を運んでみようと思う。

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