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脇見歩きのつぶやき:山田という所(2)

全国には山田という地名が何千とあるようですが、ここでは、伊丹市山田と、吹田市千里の山田、そして伊勢の宇治山田について。
吹田市山田の散策から帰ってから調べてみました。

爬虫類みたいな狛犬について

神社のHPにある由緒書きによると、「明治末期、大連にあった金洲城の屋根の飾りを模して製造し奉納されたものです。」とありますがそれだけです。改めて、先日現地で撮った写真を見ると、台座のところにそれらしい文字が見えます。
 金洲城はどこの城や?と思って調べると、日露戦争の時に遼東半島にあるこの城の南、南山で激戦が繰り広げられたようです。推測しかできませんが、この時の戦いに功労のあった方が関係するのでしょうね。しかし、金洲城の歴史については、今のところ手掛かりがありません。

「茨木童子の素顔」で、山田別所関連の項目で、読み飛ばしていたところを読み直してみました。

円照寺について
 
少し要約して抜粋(先日の散策では、訪れませんでした)
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万博記念公園の北側、吹田市山田東三丁目に平安時代の古刹「円満山円照寺」がある。
ここは、天台座主の慈覚大師(円仁)が、文徳天皇の勅願により仁寿三年(853)に当山を開いたとのこと。
天皇の念持仏十一面観音を安置したといわれ、万治年間(1658-1661)板倉周防守再建したという。そして、円照寺には府文化財に指定されている平安後期の木造観音菩薩像があり、
「慈覚大師と十一面観音」は“別所”に共通するそうです。
また、すぐ近くに「伊射奈岐神社」(ちゃんと書いてありました)、
別所の南西二キロメートルに「佐井寺」がある。天平七年(735)、行基創建と伝えられ、十一面観音を本尊とし、ここにも「伊射奈岐神社」が鎮座する。
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ウ~ン、なるほど、ここには、前日「青面金剛祭所」を見つけた、伊丹市山田と共通することが二つ書いてありますぞ。
まず、十一面観音が安置されていること。伊丹市山田の青面金剛祭所には、十一面観世音菩薩の棟札がありましたなー。
二つ目は、近くに行基創建とされる寺があること。伊丹には、行基開設、創建とされる、昆陽池、昆陽寺があります。

もう一つ、宇治山田との関連でいえば、吹田市山田の「伊射奈岐神社」には、豊受大御神が、天照大御神と共に従者を連れて、元伊勢から宇治山田の外宮に移られる前にここに立ち寄られたといわれているわけです。
では、伊丹市山田の山田神社はどうでしょうか。すでに牛頭天王のところで紹介しましたが、祭神が高皇産霊尊。今日、気になって確認してきたのですが、この神社の境内に、稲荷神社があって、何と、祭神が「豊受姫大神」となっているではありませんか。(稲荷神社って、何を祀ってるんだったっけ、知ってるようで知らんような・・・)

山田神社の境内社 豊受姫神を祀るお稲荷さん


 さあらに「伊射奈岐神社」は、祭神が伊弉冉尊(いざなみのみこと)です。なんで伊弉諾尊(いざなぎのみこと)ではなくて伊弉冉尊なのか、いまのところ、読解しきれてませんが、この神様が、既に、牛頭天王のところで紹介した、伊丹市の山田神社(高皇産霊神社)にもありました。
これも今日、再度確認しました。
牛頭天王編のところでは、摂社として牛頭天王が祀られていることを紹介したのですが、ここには祇園牛頭天王以外に大梵天王と、愛宕神社の御祭神に「伊弉冉尊」(字体が違うけど、「いざなみのみこと」やろ)が祀られていたのです。

山田神社の摂社 愛宕神社

 なにかしら三社、関係ありそうですな。単純に、昔の人が、地名が同じや、ということでお互い共感しただけやろか。

十一面観音菩薩について

牛頭天王編で紹介した書籍「牛頭天王と蘇民将来伝説ー消された異神たち」に、次のような記述がありました。
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 鎌倉時代末に承澄がまとめた天台密教の図像集「アサバ抄」の毘沙門天王巻には、次のような文章がある。
「昔国あり、トハラ国と名く、その国〇大疫病発し、人民皆悉く病死す。時に国王発願念仏し、観音に帰依す。時に十一面観自在菩薩十一牛頭毘沙門と変化し、毘沙門亦十一頭牛頭魔訶天王と現るなり。」
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 これって、今のアニメ映画やSFXを駆使した映画に出てくる変幻自在なヒーロー(怪人ヒーロー?)とかみたいで、庶民がワクワクするキャラクターだったんじゃないかな。

いろいろ思うこと、つぶやきたいこと、多々ありますが、また、項を改めます。