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脇見歩きのつぶやき 牛頭天王編(1)


 尼崎市の富松神社には、毎年、茨木童子が登場する大絵馬が掲げられますが、新型コロナが拡大した次の年、2021年の大絵馬に、疫病退散を祈念している茨木童子が描かれていました。
 ワクチンの入ったバッグを腰に巻いた茨木童子が牛にまたがって、「蘇民将来子孫也」と書かれた幟をかざしています。

尼崎市 富松神社 2021年の大絵馬

ちょうどその頃(2020年)に、「牛頭天王と蘇民将来伝説-消された異神たち」という本を見つけて読み始めていました。

まず、基本的な牛頭天王に関する説話のストーリー(八世紀初期に編纂された「備後国風土記」に記されている逸話です)を紹介しておきます。

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 昔々、速須佐之雄(ハヤスサノオ)の神が、南の海の姫を娶るために旅に出ました。
 宿をとるため、長者「将来(ショウライ:後にコタンショウライとされる)」に宿を頼んだが、断られました。
 次に、貧しい兄の「蘇民将来(ソミンショウライ)」を訪ねると、快く迎え入れてくれました。
 姫を娶ったハヤスサノオの神は、帰路、コタンの一族を滅ぼしてしまおうとされましたが、
ソミンには、「茅の輪を腰に巻いておけば殺さない」そして、「今後、「あなたの子孫は、腰に茅の輪を巻いて、「蘇民将来の子孫である」と名乗れば、疫病から免れることができる」といって、コタンの一族を滅ぼしてしまわれました。
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 実は、スサノオノミコトは、各地のスサノオ神社において、牛頭人身の姿をした疫病神の親分「牛頭天王(ゴズテンノウ)」と同一視されています。

「蘇民将来子孫也」の疫病除けのお守り札は、八坂神社や長野上田市の信濃国分寺など各地の寺社で配布されていますが、最古のものは、2001年に、長岡京(784年~794年)の発掘現場で発見されています。この記事が新聞に載ってて、記憶の隅に引っかかってたのが関心を持つきっかけかもしれません。
ここで、もう少しイメージを持ってもらうために、たまたま、2021年の新年に長野の地方局で放送された牛頭天王の話が録音されていたので、紹介します。

私の生活圏、生まれ育った高槻~現在住んでいる尼崎間、で、2021年に牛頭天王の痕跡を探してみて、いくつか見つけました。

 ここでは、それらを紹介します。