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私はワタシ。今日もちゃんと生きてる。

今日からここに思いを書き残そうと思う。

出来るだけ、私のその時の気持ち全部そのまま。

自分をさらけ出したい。

今までは誰にも見られないようにInstagramにアカウントを作って、その時の感情、恋愛だったり今考えてること、悔しかったこと、頑張ろうと思ってることとか沢山沢山思いを綴ってきた。

誰かに見て欲しいという承認欲求なのか??

分からない。こんなの見ても誰も何も得をしないかもしれない。友だちにも言ってないことが多分ここには沢山詰まってると思う。

でも、ここに思いを綴ることによって、少しずつ共感してくれる人がいたり、似た経験をしてきた人といつか思いを共有していけたらいいなって思ってる。そういう「共有」のツールにしていきたい。

わたしのこと

まずは自分は何者なのか、改めて自分でも整理してみたいので、書いてみる。

私は田舎生まれの、現在都内に住んでる大学四年生。

地元は自然豊かで、空気も美味しい。高校なんて田んぼに囲まれてた。そのくらい田舎。すなわち、何にもない田舎で元気にすくすく育った娘だ。

地元にいた頃の性格は、「いつも明るくて元気ですよ。」このセリフを歴代の担任の先生はいつも言っていた。言わなかった人はいない位。その位しか取り柄がなかったのだ。勉強は苦手、スポーツは少し得意くらい。ただ、美術的センスは唯一少しだけ自信が持てる。親も友達もずっと褒めてくれる所だからだ。

友だちにも恵まれて、中学、高校と過ごしてきた友だちとも今も仲がいい人が多い。(狭く深くってよく自分で言ってる)

大学進学を機に東京に出てきた。

本当はずっと大阪に行くつもりだったし、行くものだと思ってた。

でも、高校卒業辺りに1年半年付き合ってた彼氏が東京に行くことを目指してたので、自分も自分に都合のいい理由を言い聞かせて、東京に進路を変えた。高校3年生の夏だった。

東京に住んで、彼も同じ沿線に住んで、ああ私この人と一緒にいれるんだって思ってた。でも東京に出て2か月で上手くいかなくなって、3ヶ月目で別れた。

その時の私は見ず知らずの土地に、慣れないひとり暮らしをして、勉強も朝から夜まである学科で、頼れる人も当時は居なかったので、毎日泣いてた。苦しくて、帰りたくてしょうがなかった。毎日辞めようと思ってた。

ホームシックは結局1年続いた。

夜職という仕事の出会い

1年生の夏。19歳になってすぐ、学校も夜まであるから、なかなかバイトに入れない。雇って貰えない。でも稼ぎたい。夜から入れる仕事は無いか考えた時に、夜のお仕事というワードが浮かんだ。当時、友だちが舞台女優をめざしながら、生活費を稼ぐ為にキャバクラで働いていたので、話は聞いていたが、どうしてもキラキラすぎるキャバクラは自分にとって難易度が高すぎたので、ちょっと都心からは離れたスナックパブで働きだした。

ご縁があって、スナックで半年働いたあと、新宿のクラブで働くことになった。ドレスも着て基本的な接客マナーは覚えた。学業と両立しながら女の子達とも仲良く、楽しく働いていた。

そして、おいおい詳しく話すが、コロナが流行りだす半年前位から私は風俗嬢にもなった。ホストにハマった訳じゃない。お金に困りすぎてた訳じゃない。むしろ、21になるまで歌舞伎町で働いているのにホストクラブやらボーイズバーやら何も行ったことは無かった。その位あまり夜の世界にはハマることは無かった。

たた、きっとこの頃から、効率よく稼ぐというワードに取り憑かれていた。

じゃあなんで風俗嬢を選んだか。

風俗嬢になった理由は  特にない  。

それは少し語弊があるかもしれないので付け足すと、興味があったから。

風俗嬢だからあーだこーだ偏見もってとやかく言われる世界線が嫌いだったから。人の考え方次第によるが、わたしは立派な仕事だと思っていた。

だからやってみようと思った。経験してみたかったのだ。

やってみて、びっくりしたが、私は飲み屋さんよりこっちの方が向いていると思った。楽しかったのだ。精神的にやられる日もそりゃもちろんあったが、お客様と2人だけで話すと、運良く良い方ばかりだったからもしれないが、色んなお話、色んな方がいるんだって、身をもって知れた。それが凄く楽しかったのだ。


現在はというと最近お店を辞めた。

学費とある程度の貯金が溜まったからだ。

今からは、奨学金という借金から開放される目処がついたので自分のやりたいことを探していきたいと思う。

とりあえず簡単に私のことをここに書ききった。

おしまい。







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