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数年ぶりに開講されたアイヌゼミ

2015年4月。大学2年生となった私は、お誘いを受けて牧野ウーヴェ教授の「アイヌ研究」ゼミに参加することとした。中央大学法学部では、1年時、2年時、3~4年時と3度ゼミに参加する。だが、ここ数年は最低開講人数の3名に達せず、開講できていないとのことだった。私は心当たりのある友人に声かけをしたのだが、うまく人数が集まらず、またもや閉講かと心配していたのだが、蓋を開けてみると私も含めて4名からの応募があった。
ちなみにこのゼミ。近年はゴールデンカムイの影響なのか、人気を博しているとのことだ。牧野先生は登山がお好きで、定期的に教員仲間らと都内の山を登られているのだが、2020年に私が参加した際に、「最近はゼミ生を選抜しないといけないから困っている」と聞いて驚いた。

牧野先生はドイツのご出身。先住民族の権利や難民問題などに詳しく、アイヌ民族についても研究やドイツ語での執筆などの活動をされている。最近では2020年に、知里幸恵 銀のしずく記念館の「いろんな言葉でアイヌ神謡集」というプロジェクトにおいて、ドイツ語訳を担当されている。

久々に開講されたゼミでは、主に①遺骨問題 ②イヨマンテなどの宗教文化 ③アイヌ語 について学んだ。なお、北海道にある大学はもちろんのこと、慶応大学や早稲田大学など多くの大学でアイヌに関する授業やゼミが存在している。

無断で盗掘された遺骨。中にはまだ肉の付いたものも

明治時代から戦後にかけて、日本各地の大学が研究目的で遺族らに無断で墓地から掘り出したアイヌの遺骨が、11大学で1633体保管されていることが、文部科学省が2011年11月から1年余りをかけて行った調査結果が2013年4月19日に政府のアイヌ政策推進会議作業部会で報告された。うち、最多は北海道大学の1027体。他にも札幌医大251体、東京大198体、京都大94体、大阪大39体、東北大20体、金沢医科大4体、大阪市立大1体、南山大1体の保管が確認された。また、新潟大と天理大にも骨の一部が保管されていることがわかった。管理体制がずさんだったこともあり、個人が特定されたのは北海道大19体と札幌医大4体のみと保管されていた遺骨の1%に過ぎなかった。
この問題に関して、2012年9月14日には、遺骨返還をもとめた城野口ユリさんや小川隆吉さんらによる北海道大学を相手取った訴訟も起こされた。裁判は2016年3月に北海道大学が遺族に12体の遺骨を返還することで和解。同年7月17日に浦河町杵臼にあるもとの墓地に再埋葬された。
また、ラポロアイヌネイション(旧浦幌町アイヌ教会)は2014年5月に北海道大学を相手取った遺骨返還訴訟を起こし、2017年3月に和解成立。82体の遺骨と69件の副葬品が返還された。その後札幌医大や東京大学とも和解が成立。浦幌町から持ち出された遺骨は全て返還された。
ラポロアイヌネイションの代理人である市川弁護士によると、裁判を通して画期的だったのは、判例は遺骨の所有者は祭祀継承者にあるとしているのだが、この和解で「裁判所が適当と認める集団に返還する」としており、従来の日本の民法はアイヌの方々には適応せず、掘り出された場所が明確になれば、その地域のアイヌの方々の集団に返還される道が開けたことだったとのことだ。個人が特定できず、遺族が不明なため返還できないと各大学が主張していたこともあり、重要な結果だと言えるだろう。

参考記事
・アイヌの遺骨12体、故郷へ 北大が返還、17日に埋葬(朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/ASJ7H4S2NJ7HIIPE01B.html
・東大に遺骨返還求める訴訟始まる(NHK)
https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-n79eaaef53290
・科学者に持ち出された先祖の遺骨 アイヌとは何かと問い続ける人々の闘い(Yahoo! Japan)

ゼミの中では、遺骨の持ち出しを行った中心的存在として考えられている、北海道大学教授だった児玉作左衛門についても学んだ。最初にThe JAPAN TIMESの記事を読んだのだが、そこで挿入されていた写真をみて言葉を失った。そこでは、児玉教授が数え切れないほどの頭蓋骨や、おそらく副葬品だったであろう夥しい数のアイヌのマキリなどに囲まれてポーズを取っていたのである。彼は「児玉コレクション」と呼ばれる膨大な数の考古資料、民俗資料、そして人骨を収集していた。

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2002年11月17日THE JAPAN TIMES Skeletons in the academic closetより引用

金持ちが道徳的にも正しい!?

ゼミでは、アイヌの宗教文化についても学んだ。はじめに、知里幸恵のアイヌ神謡集を読んだ。「銀の滴振る振るまわりに、金の滴振る振るまわりに」という文章ではじまる「梟の神の自ら歌った謡」は大変有名だ。1903年に北海道登別市に生まれた知里幸恵はわずか19年という短い生涯だったが、このアイヌ神謡集の出版は、アイヌ文化の復興運動に重要な役割を果たした。2010年にはその功績を顕彰した知里幸恵 銀のしずく記念館が出生地である北海道登別市に設立されている。また、弟の知里真志保はアイヌ最初の大学教授となった言語学者で、多くの著作を残している。

このアイヌ神謡集なのだが、様々な神が自ら語る形式で話が進んでいく。日本の昔話のように、教訓を伝える内容になっているようなのだが、背景知識なしでいきなり読むと、それぞれの話の最後の締めくくり(教訓)の部分で、こんな結論になるかな、とヤマト的価値観で考えていると予想を裏切られる。特に驚いたのは、人間によって神が最後に懲らしめられてしまう話だ。神が常に正しく、道徳の模範を示してくれるように思い込んでいたが、アイヌの世界では神と人間は対等の存在。神だって悪いことをするし、間違えることもあるし、その結果として人間から文句を言われたり、懲らしめられたりするのである。もはや、神がその子孫に教訓を語って死ぬというものもある。
以前、水難事故で亡くなったアイヌが出た時に、人々は川の神に向かって、「あの男はちゃんと祈りをささげていたのに、どうしてこのような結果になったのか」という趣旨の抗議を行い、川の神の債務不履行というのだろうか、仕事をちゃんとしなかったことに対して怒るという話を聞いたことがあるのだが、まさにこの対等関係を示していると感じた。

また、金持ちや貧乏人という言葉が、「梟の神の自ら歌った謡」に何度も出てくるのが気になった。ヤマト的価値観では、金持ちはこれも、道徳的に正しい人間のもとを訪れることを神は選んぶので、その結果として狩猟が成功して豊かになる。つまり、金持ちは道徳的にも優れているということらしい。

他にも、アイヌの人間と神の対等生を表すものとして有名なのがイヨマンテだろう。熊送りの儀式とも言われ、アイヌの人々にとって特別なものだ。
そもそも熊はアイヌ語でキムンカムイなどと呼ばれ、最も重要な神の1つである。冬の冬眠を狙って熊の狩るのだが、その際に死んだ親熊のそばに小熊を見つけることがある。そうした場合に、小熊を連れ帰って育てるのである。私が以前、北海道の二風谷で幼少期に小熊と一緒に遊んだ記憶のある方からお話を伺ったことがある。

ちなみにこのような熊送りの儀式はアイヌに限らず、北方圏の諸民族に共通して存在する。秋野茂樹によると、サハリンからアムール川流域に住むニヴフ、ウイルタ、オロチ、ウリチをはじめ、北欧のサーミ、西シベリアのハンティ、北米のアルゴンギンなども同様の習慣を持っているという。だが、それぞれの民族にとって、熊そのものや儀式の意味合いは異なるという。

アイヌにとっては、育てた神である小熊を殺すわけだが、その際に盛大に神の国へ送り返す儀式をする。そして、様々な豪華なお供え物と共に戻ってもらう。神の国では、そのお供え物を他の神々に振る舞う。これにより、その神の、神の国での地位が向上する。その様子をみた他の神々が、毛皮というお土産を持って人間の国へと向かう。そういう循環を想定している。

アイヌの人々にとっては非常に重要な儀式であるが、「野蛮だ」「動物虐待」などの声もあり、1955年に北海道知事の名前で禁止通達が出た。2007年5月に儀式的な意義が見直されたことで通達は撤廃されたが、実施は容易ではない。2020年公開の映画『アイヌモシリ』には、阿寒湖を舞台に、アイヌの方々が実名で出演し、イヨマンテをめぐる人々の思いを表現した。

さて、たった1年間のゼミで学ぶことができた内容は、アイヌ文化の奥深さと比較するともちろん限られていたのだが、アイヌに関する様々なテーマを概観することができたことは、その後の私の学習にとって非常にありがたかった。当記事でのリンク以外にも、アイヌ関連の書籍や映像は多数世の中に発表されており、東京駅八重洲口にあるアイヌ文化交流センターなどにも関連書籍はセミナーなどが開催されているので、興味のある方はぜひ。

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