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かつて居た場所とかつての彼と

私は自分の殻をずっと抜け出せなかったけれど
そうでないカズのことがうらやましかった

先日30年ぶりに会った学生時代の友人と食事をして
初めて知ったことがあった。

XXさんが私に会いに来てカズのことを聞いて来たのよ

かつての友人は、そのころ付き合っていた私のうんと年上のボーイフレンドXXさんのことを知っていたのである。

彼は私が当時働いていた編集プロダクションのボスで
お察しの通り”ふたり”になんやかんやあり
私はその編集プロダクションを辞めたのち
別の編集プロダクションに所属。
しかし狭い業界。
所属を変わっても私が担当するページは結局同じ情報誌で。

ここでライターをやっていても新しい展望がない!
私はかつて居た場所から飛び出して東京に来た。
そしてその時すでに出会っていた別の男性と私は東京の府中で暮らし始め
ライターとして働く場所を探したのである。

うんと年上のかつてのボーイフレンドは
忽然と消えた私の居場所を知るために
顔見知りだった私の親友を呼びだしたというわけである。

別に忽然と消えたわけではないのだけれど(笑)。
ひょっとして自由にしすぎた?

私がかつて居た場所。

特に自由にしているつもりはなかったけれど
その時代の
その地域の
その大学にいる女性の
典型ではなかったのかもしれない。

けれど私はごくごく日本の常識に沿って
生きてきたつもりで(笑)


府中で一緒に住み始めた男性と結婚するときに
夫婦別姓でもいいのにと言ってみたり
夫婦同姓が覆せないなら話し合ってどちらの姓にするかを決めようと提案したけれど

彼は耳を傾けることはなかったし

他の色々なことでも
それって男女差別じゃない?
それって人種差別じゃない?
幾度かその彼に問いかけたことがあったが
私の話を聞いても
それを本当に理解できる彼ではなかったのである。

日本では当たり前のことを当たり前にしているだけで
なぜ差別と言われるのかが彼にはわからなかったのだと思う。

そこはかつて私が居た場所。

それから何年も経って
せっかくモンテソーリ教育の国際免許を取ったのに
それが義務教育として認められていない日本にいては
本当のモンテソーリ教育を知ることができないではないか!

な~んていう
大それた考えがあったわけではなく
ちょこっとモンテソーリ教育の現場を見たいと思っただけのことだったけれど

カナダではあちこちにモンテソーリスクールがあるし評価が高いよ

そう言ったのちに夫となったジェイを訪ねて

かつて居た場所から文字通り飛び立って私は
生まれて初めてのカナダの地に降りた。

ごくごく日本の常識に沿って
自分が行きたい方に少しだけ
車のハンドルの角度をつけたら
ここに来ていた。

ハンドルを大きく回そうと思ったわけでも
大きく舵をきったわけでもなかったのだけれど。

友人には
自由に飛んでいると思われたのかもしれない。

大きなこともしていないし
特に成し遂げたこともない。
目標に向かって頑張ったこともない。
大体受験の時に
座ってする勉強が好きでないことを知ったし
おまけに
努力ができないたちだったから
出来る範囲のことしかしてこなかった。

それでも居る場所と時代の違いで
私という人間の見え方が変わるんだなと
かつての友人たちに会って思う。

カナダの友人たちの中で
この日本の友人たちのように
私が自由に生きていていいなと思っている人は多分いない。

自分が親の世代があるいは周りの人が
移民として苦労をしていることを知っているからかもしれない。

私がかつて居た場所。

そこは心地よくもあり
窮屈でもあり

そして私が今いる場所
そこは
自由でもあり
苦労もあり

立つ位置によって
時代によって
自分に対する見え方も変わってしまうのだなあとちょっと面白い。

ある2月のカナダ・オンタリオのモンテソーリスクール
マイナス20C以上であれば外遊びができる
ある2月の日
ランチタイムに
バレンタインデーのプレゼント
子どもたちどうしで交換する→保護者がクラスの子どもの人数分用意する💦
モンテソーリワークの時間
子どもたちはそれぞれのワークに集中するが
しんとしているわけではない
二人で仲良くワーク中

普段日本に居ないので何故だかわからないけれど
私が気づいた中では
日本での知り合いで
モンテソーリ教育を
マリア・モンテソーリが推進したものとは
全く別物でとらえている人が多いように思う。

マジですか、くらいに。
そんなことも
外に出てみると、わかるよ~(笑)

日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。