Twitterがロックされまして

落ち着いて考えてみるとメディアというものは見る人がいてこそ成り立つわけではありますが、ことツィッターとなりますと個人での発信でもあり繋がる点が重なり連鎖が起きるとBuzを産み落としたり炎上が起きたりするわけですがなんのことはないただ2つのツィートを報告されただけでロックアウトされたりしてしまうと思うところもあります。

そこでまたちょうどよくジャックドーシーが政治との隔離を行うとツィートしてまして、政治とSNSこれはまた難しいところに手を入れてきたなと感じます。
で、ツィートを検索してもジャックドーシーのアカウントは出てこずネタツィートが盛り上がってるあたりまたそこはそこでツィッターの楽しいところでもあります。
ツィッターが一般的に受け入れられ始めた頃というのはちょうどオバマ政権であったわけですがこの頃から政治とツィートとなるとかなりややこしいことが起きてました。選挙ともなりますとアメリカではスマホ片手にご近所さんへ「この人に投票してよ」といった感じでクーポン付き投票参加メディアなどがあったかと思います。
ちょうどモバイルで書いてるのでいい感じで沸点には湧かず、日々なんかあったなぁ、、とそれぞれの人がボヤいたりあちこちに回覧板がごとく突撃したり賛同を得ようと人文の記事を流していたりネタを投稿してるわけですがそれって健全なこと?と思うのですね。
わかります
なんかノリで始めたら泥沼のようにはまっていきここが私の主戦場と実社会の生活よりインターネットの中が生活の術となっていくわけですからロックアウトされて冷ややかに見ながらもこういう世界もあっていいのかなと思います。

ただその距離を正しくとる

ここが古来のインターネットよろしく私も含め皆様方勘違いされてるのかなというのもあります。

いま、電車の中を見ていると朝からLINEをしてる人やスマホガチャでデジタルのしかも大量生産された顔のない顔に対してお金を出している人もいるわけですから人それぞれとはいえ健全とはいえない世の中になってきて果たしてこれは必要なものなのかとも感じてます。

テレビをつけてる人は音を消して10分でも見てもらえればわかると思うのですが表現が稚拙となりつつあります。
表現とメディアという点で映画の価格帯もほぼ2000円くらいになっているという点も見逃せないです。
色と表現・音のない世界
これらを感じてるとインターネットで話題になっていることが主だったメディアで展開されているというのは危惧される点でテレビは高いからいらないよという方も少し気をつけてみていただきたいところです。

隙間の表現

これが視覚野での中点・焦点として大切なのですがその範囲が狭まってきてることに対してなんらかの対策が必要な時期に入ってるのかなと。

テレビが「アァー」といってるから注目して同じように「ああ悲惨だ何か起こる」と共鳴してもビールが売れるわけでもないのでそこの距離感はほどほどに

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