憲法審査会での浅田議員の発言について


 国民投票法改正案をめぐって憲法審査会が両院で開かれました。参議院の憲法審査会のほうで、浅田均議員(日本維新の会)が発言しました。以下で発言を確認できます。〈https://www.youtube.com/watch?v=k3otEKf03-U
 以下は私の書き起こしです。引用部分の[ ]は浅田議員による追加や削除を表します)。

 日本維新の会、浅田均でございます。今回は緊急事態宣言下での憲法審査会であるということを皆さん認識を共有していただきたいと思います。緊急事態宣言が発令されている地域、あるいは蔓延防止等対策措置が発令されている地域で、人々はどういう暮らし、どういう[聞き取れず]、どういう暮らしをしているのかということを念頭に置いて発言させていただきたいと思います。わが方、松沢委員からもこの緊急事態に関して発言がありました。
 私は、この際ですね、注目したいのは、私とはまったく思想信条が違う、そういうイタリア人思想家の発言内容に賛同できる主張があるということでございます。このジョルジョ・アガンベンという思想家でありますが、この発言の契機となっているのは今回のパンデミックです。イタリアでも、まあ規模は全然違いますけれども、本質的には日本と同様のことが生じています。感染者が多数発生して、ロックダウンが繰り返される、そういう権利の侵害にあたることが生じているということでございます。
 彼が言うにはですね、以下、要約・引用させていただきますが、「[ブルジョワ民主主義者は]ブルジョワ民主主義の諸パラダイムを彼らの諸権利、議会、憲法もろともに惜しみなく捨て去ろうと決めた。その代わりに彼らが置こうとする新たな諸装置[……][を]垣間見ることができるが、[それらは]当の者[……]にさえ依然[……]明瞭ではない[……]。[……]彼らが課そうとしている大変容を定義づけるのは、その変容を[……]可能にした道具にあたるものが新たな法典ではなく、例外状態だということである。例外状態とはつまり、憲法上の保証の数々を単純に宙吊りにするということである。[これは]1933年にドイツで起こったことといくつかの接点を[共]有している。そのとき、新首相アドルフ・ヒトラーはヴァイマール憲法を形式上は廃止することなく例外状態を宣明したが、その例外状態は12年にわたって続いた[のである]」。ここまでがジョルジョ・アガンベンの引用でございます。
 いままで、諸委員からさまざまな意見が表明されておりますけれども、今回のパンデミックと言われる事態を契機にですね、この例外状態——さきほども申しあげましたけれども、国民の権利が侵害されている——と緊急事態宣言、憲法との関係を明確にするために、いまこそ、このコロナ禍だからこそ、憲法についての議論が必要であるということを申し述べさせていただきたいと思います。終わります。

 私は、浅田議員が引用したジョルジョ・アガンベン『私たちはどこにいるのか? 政治としてのエピデミック』(青土社、2021年)の翻訳者です。私は20年以上にわたってアガンベンの著作を研究・紹介してきた者でもありますし、この言及に対して何かを口にする資格は有していると思います。
 端的に言って、曲解にもほどがあります。
 引用箇所は、翻訳の10–11ページにあたります。アガンベンは統治モデルの大変容について言及し、ローマ帝国末期の思いきった構造改革を例として挙げたうえで、次のように続けています。以下が元々の文章です。

いまの支配的な諸権力はそれと同じように、ブルジョワ民主主義の諸パラダイムを彼らの諸権利、議会、憲法もろともに惜しみなく捨て去ろうと決めた。その代わりに彼らが置こうとする新たな諸装置の図案は私たちもかろうじて垣間見ることができるが、それはおそらく、輪郭を描いている当の者たちにさえ依然、まったく明瞭ではない図案である。/だが、彼らが課そうとしている大変容を定義づけるのは、その変容を形式上可能にした道具にあたるものが新たな法典ではなく、例外状態だということである。例外状態とはつまり、憲法上の保証の数々を単純に宙吊りにするということである。この点では、この変容は1933年にドイツで起こったことといくつかの接点を有している。そのとき、新首相アドルフ・ヒトラーはヴァイマール憲法を形式上は廃止することなく例外状態を宣明したが、その例外状態は12年にわたって続いた。憲法上の規定は一見したところ効力を維持されていたが、事実上は無効化されてしまった。

 議論はこの後、とはいえナチ・ドイツは人々を動かすのに全体主義的なイデオロギーを必要としたのに対して、現在展開されている例外状態のほうでは保健衛生上の恐怖が人々を動かしている云々と続いています。
 さて、浅田議員の引用についてですが、冒頭の主語に差し換えが見られる——「いまの支配的な諸権力」(具体的には行政権力、およびそれと帯同する諸権力)が「ブルジョワ民主主義者」になってしまっている——以外は、引用それ自体にはおおむね意味の歪みはありません。
 しかし、そもそもの立論がおかしい。
 ナチの事例では、もともとヴァイマール憲法第48条に大統領の国家緊急権が定められていました。国家緊急権とは、非常事態に際して憲法のいくつかの条文を停止させることができるという権限です。この条項があったからこそ、悪名高い全権委任法が成立することになりました。
 ナチは国会議事堂放火を仕込み、共産主義者たちに罪をなすりつけ、周知の全体主義体制をそこから一気に確立したわけですが、それとコロナ騒動下の各国政府の動きに似たようなところがあるのではないかというのが、ここでのアガンベンの立論です。つまり、平たく言えば、ナチと見まごう例外状態(具体的には私権の制限)を、コロナに乗じて火事場泥棒的に成立させようとしているのではないか、ということです。コロナは降って湧いた国会議事堂炎上ではないかということです。
 だとすると、この議論をそのまま日本社会に適用するのであれば、「コロナ騒動に乗じて憲法に緊急事態条項を書きこもうなどと主張する連中には気をつけろ」となるわけです。浅田議員の主張とは正反対です。
 あるいは、浅田議員がアガンベンの議論を誤って援引することで図らずも表明してしまっているのは、「私たちはナチがやったようにやりたい。そのためにはまず憲法に国家緊急権が書きこまれていなければならない。コロナ騒動は恰好の口実だ」ということに他ならない、と言ってもいいでしょう。浅田議員がそのように考えているかどうかはわかりませんが、少なくとも論理的にはそのようになってしまいます。
 アガンベンの今回の議論には賛否がいろいろとあることでしょう(よろしければご自身でアガンベンの議論をお確かめください〈https://www.amazon.co.jp/dp/4791773616〉)。しかし、緊急事態条項の必要性を訴えるためにアガンベンの議論を援引するということが明らかなナンセンスだということは確認しておかなければなりません。
 あまりに愚かしいエピソードであり、あえて意見を表明するまでもないかとも思いましたが、やはり看過できませんでした。