人を信用することができない

自分の経験の話だ。興味のない人はスルーしても構わない。

僕は人を信じることができないし、怖い。

なぜこうになるか、きっかけのは過去にある。

前にある塾に通っていた。

この塾の先生や生徒は、僕に対して嘘を付いていた。

例えば、「今日水族館に行く?」とS先生に言われた。

僕は大喜びをして、勉強を頑張ろうと思った。

しかし、約束していた時間より過ぎていた。

「それはやめた。君らが勉強をしていないからだ」とS先生に言われた。

僕は大きなショックを受けた。

僕が勉強をしていなかったので、水族館に行けなかった。

早く勉強を終わらせようとしたが、次々と課題を渡された。

自分が悪いとわかっている。

なぜなら渡された宿題をちゃんとしていないからだ。

自分のせいでみんなが行きたがっている水族館に行けなかったと思い込んだ。

課題をクリアしても、再び新しい課題を渡された。

それをクリアした。しかし、なかなか終わらない。

永遠に続く感じがする。

ゴールが見えなくて苦しいなと思った。

課題を解いた後、K先生に採点をしてもらった。

もし間違いがあったら、表情が怒りになっている。

なぜ同じ問題で間違いを繰り返しているのか!と怒鳴れた。

僕は体が固まって、何を言えば良いか分からなくてただ謝るだけだった。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

ごめんなさいという言葉を繰り返して、泣きながら謝った。

もし正解できたら、表情が明るくなる。

「やったね!」と笑顔でハイタッチをしてくれた。

もし問題を間違えたら怒られる、もし正解したら笑顔になる。

次に何をすると、また怒られるなのか怖くてすぐに踏み出せなかった。

S先生とK先生とI先生の顔を見ると、僕を見下すような笑顔が見えて怖かった。

大きな決断でもないのに、なのに一つだけ間違えれば終わりだと思った。

躊躇って、すぐに決定することができなかった。

どのように決めれば良いか分からなかった。

一つの選択によって、表情が変わると思った。

そのせいで、自分で決めることができなくなってしまっった。

今はこの塾に通っていない。

自分の好きなように生活をしている。

しかし、心や体はまだ忘れていない。

進路、行きたいところ、食べたいところなどは自分で強く決めることができなかった。

人と話す時、何を決める時に相手の表情を窺うことが多かった。

頭の中では、間違っても怒られないとわかっている。

でも体は頭と同じように理解することができなかった。

人に関わる時はずっと相手の表情を窺ってしまう。

なぜ人を窺う必要があるのか分からなくて、苦しいし、疲れた。

今の表面は人のことが好きと言っていたが、実際には人間のことを好きになれなかった。

人間は信用ができないし、怖い。

でも嫌われるのが怖い。

嫌われないように、努力に好きになろうとしたが、結局は無理だった。

本当の気持ちを無視して、ただ自分の理想だけ追いつくだけばかりだった。

少しずつ心の中に一杯一杯になって、考える余裕がなくなった。

最後に本当の自分が現れてきた。

本当の自分は人間のことが怖いし、嫌い。

本当の自分を隠して、好まれるような人物で振る舞おうと思った。

しかし、結局は我慢ができなかった。

ただ苦しくなるだけだった。

でも過去のせいにするのはできない。

現在でも過去でもどっちも自分である。

だから過去に責めることができない。

責めることができず、ただ苦しみを我慢するだけだった。


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