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原子力と「外部化」の連鎖

原子力発電所をめぐった地域・都心の関係性は、資源を巡った途上国と先進国の「外部化」の関係性に似ている。

ちょうどウクライナのザポリージャ原発がロシア軍によって占拠された頃、斎藤幸平先生の『「人新生」の資本論』を読んで、こう思い至りました。

そして、その構図は震災から10年以上がたった今も、続いているのかもしれません。

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今年の2月中ば、大学の研修で訪れた福島県。そこで、双葉町・大熊町の帰宅困難区域や中間貯蔵施設、遠くからですが福島第一原子力発電所を視察させていただきました。

2011年、東日本大震災とそれに続く津波によって発生した、福島第一原子力発電所の事故。その放射能の影響を最小化するために、被害地域では「除染」という作業を行いました。放射線濃度の高い土を除去し、それを一時的に集積したのが「中間貯蔵施設」です(現地で見聞きした内容をもとに書いているため、多少正確さに欠ける表現になっているかもしれません。すみません。)。

更地に広がるブルーシート、
いくつも並ぶ土が入った黒い袋、
その中に点在する、今にも崩れそうな小屋、錆びて朽ち果てた農機具、
まばらな作業員と大きなトラック。

色のない世界の中で、「今日も無事故で頑張ろう」「作業手順を守ろう」というカラフルな看板に踊る文字が、虚しくこだましているように感じました。

そこで、3月11日が近づいた今、「原発」について再び意識するようになったのです。

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私が生まれ育った福井県には、多くの原子力発電所が点在しています。私の家は原子力発電所からは遠く、正直、原子力発電にはあまり馴染みがありませんでした。

そんな中、ウクライナ侵攻の中で原発が占拠・攻撃されたというニュースが昨年の夏に飛び込んできました。

戦争が起こると、原発が攻撃されることさえある。
その時、周囲に住んでいる住民はどうなるんだろう。

日本が外国に攻撃されることは容易に想定されることではありません。
でも、もし福井の原発が攻撃されたり、事故に遭ったりしたら、私のふるさとは消滅してしまうかもしれない。福井県内の原発の再稼働が議論される中で、その時改めて原発を持つことのリスクを再確認したのでした。

その時に読んだのが、冒頭で紹介した斎藤幸平先生の『「人新生」の資本論』です。この本では、鉱物資源をめぐる先進国と途上国の関係が「外部化」という言葉で語られています。

鉱物資源をめぐっては、「先進国が途上国から資源を輸入する」という構図が成立していることが多いです。

先進国は、途上国から鉱物資源を輸入することで、それを利用して経済を発展させることが可能です。また、鉱山所有に伴う諸リスクを負わずに済みます。一方で、途上国は鉱山における過酷な労働環境や、環境への悪影響などのリスクと隣り合わせの状況です。それでも途上国がこの状況から脱出できないのは、その国が鉱物資源に輸出を依存する「モノカルチャー経済」で成り立っているためです。途上国が先進国のリスクを引き受け、その対価を収入源にして生き延びる。これが「外部化」の構造です。

私は、この構図がそのまま日本の原発問題に置き換えられるのではないかと考えました。

原子力発電所は、人口の少ない過疎地域など、地方に設置されることが多いです。そして、そこで発電された電力は都市部に送られています。福井県に設置されている原発は関西電力が保有しており、その電力のほとんどが大阪大都市圏に輸送されます。福島第一原子力発電所は東京電力が保有しており、その電力は東京大都市圏に輸送されていました。つまり「都市部の電力供給を地方が担う」という構図が成立しているのです。

もちろん、原発を保有することは災害時の事故や戦時の攻撃などのリスクを伴います。そのため、原発が立地している市町村には国から補助金が支給されます。また、原発内部の労働者は原発が所在している地域から雇用されている場合が多く、この点でも原発のある地域の経済は原発に依存しているとも言えます。地方が都市部のリスクを引き受け、その対価を収入源にして生き延びる。まさに先ほど見た「外部化」と同じ構造が、日本でも起こっているのです。

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現在は、福島第一原発の廃炉作業が進んでいます。
では、この「外部化」問題は、原発が廃炉になれば解決するのでしょうか。

少なくとも私にはそう思えません。

先述の通り、福島第一原発がある双葉町・大熊町には現在「中間貯蔵施設」が設置されています。中間貯蔵施設は本来、除染した際に出た汚染土を「一時的に」保管しておくための場所です。しかし、まだこの汚染土を最終的にどこに持っていくかは決まっていません。「このままここが最終処分地になるかもしれない」という声も上がっていると聞きます。

私が中間貯蔵施設を見学した際、「中間貯蔵施設の安全性」が強調されていました。ただ、私にはそれが「原子力は安全である」という、過去の安全神話と似たようなものに思えてなりませんでした。外部化の構図は、原発が中間貯蔵施設に置き換わって、現在も続いているのかもしれません(中間貯蔵施設に伴う補助金の流れなどが調べきれていないので、あくまでも推測に過ぎませんが)。




※本稿に、研修に際し、受け入れ・見学をさせてくださった中間貯蔵施設の職員さん並びに現地の方々を非難する意図はありません。今回このような問題に目をむけ、考察する機会をくださった皆様に深く感謝いたします。


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