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Door5: 恋をした国~ダルエスサラムからセレンゲティ(タンザニア)

南アフリカのヨハネスブルグの空港に着いたら、周囲の黒人達はレザーのコートに、ニット帽といったいでたち。
アフリカにも冬があるということを、すっかり忘れていたので、前日までの灼熱のインドとのギャップに驚いた。

空港の中はひっきりなしに清掃され、すみずみまでピカピカしていた。
アフリカの豊かさを謳った、お洒落なショップも並んでいて、洗練された雰囲気だけれど、空港から一歩外に出れば、世界で一番治安が悪いとも言われるヨハネスブルグの街。
ワールドカップ開催を間近に控え、周囲に広がるスラム街を無理やり取り壊しているというニュースも見たことがあり、少し複雑な感情を持った。

タンザニアに向かう飛行機が離陸し、外を眺めると、ほんの一瞬、都市のような風景が見えた。と思ったら、窓の下はすぐにまっ茶色になった。それから延々と続く、ひたすら茶色い景色。
山脈は見えるのだけれど、表面に緑がないので、輪郭が剥き出しになっている。
初めて見る異質な風景に、まるで別の星を見下ろしているような気分になった。

タンザニアの首都、ダルエスサラムは、想像していたよりも都会だったけれど、たくさんの人から治安の悪さについて聞いていたので、昼間の大通を歩く時ですら、びくびくしていた。
アフリカの人には陽気なイメージを抱いていたけれど、スーパ-ハイテンションなインド人達と過ごした後だったので、街の人々は落ち着いていてクールに感じられた。

でも、ダルエスサラムから、次の街に行くため長距離バスに乗ってみると、周りの座席のおばちゃん達はみんな優しく気を配ってくれて、少しづつ気持ちがなごみ始めた。
乗車の途中、草むらで降ろされ、みんなわらわらと外に出る。
わたしの背丈ほどもある草の生い茂る原っぱのあちこちで乗客がトイレタイム。お互い顔だけ見合ってたり。
なんともおおらかだけれど、バスに戻ると、人数確認もないまま即出発。のんびりしていたら、草原に放置されてしまいそうだ。

そうして着いた町では、ホテルにチェックインして、ポシェットだけ持って外に出ようとしたら、ホテルマンに全力で止められた。
どんなに小さな荷物でも、持って出ると危険だから、手ぶらで行きなさいとのこと。
ポケットに小銭だけ入れて外に出てみたものの、何メートルも先からも、たくさんの視線を感じて落ち着かない。
出歩く気もなくなって、ホテルのそばに立ったまま、町行く人を眺めることにした。

眺めている内に、わたしは、地元の女性達のファッションに釘付けになってしまった。
みんな、カンガと呼ばれる大胆な色使いのプリント生地を身にまとっている。
おばちゃん達はビッグな体にゆったりと、若い女性はスリムな体にぴったり巻きつけて。
巻き方のバリエーションやアレンジも様々で、上下布をまとっている人もいれば、フリースやジーンズに合わせている人もいる。

個性的に着こなして、頭に大きなかごや小包を乗せて歩いている姿が格好良くて、一人一人を写真に撮りたくなったけれど、とてもカメラを出せる状況ではなかった。
虫よけのリストバンドをしているだけで、遠くからも人が集まり、たちまち囲まれてしまったツーリストの姿を見ていたし、携帯電話にも人が群がっていた。
その時のわたしには、バスの車窓から撮るのが精一杯だった。

この時に限らず、旅の間、本当に撮りたかった風景は写真には残っていないものが多い。
車窓から流れる一瞬に目に焼き付いた村の風景や、ジャマイカのスラム街、砂漠の星空・・・

形に残せなかったことを残念にも思うけれど、日本に戻って生活している中、ふとしたはずみで、いろいろな風景がよみがえる瞬間があって、自分の中にたくさんの風景が積もっていることに気付く。
撮らないことで、一層残るものもあるのだなと思う。
そしてそれらが、また旅に出てみたいとか、文章で伝えたいというふうに気持ちを揺さぶっているようにも思う。

実際に行くまで、わたしはサファリにそれほど期待をしていなかった。イメージが貧困すぎて、日本のサファリパークを大きくしたようなものしか考えられていなかったので。

ダルエスサラムからバスで10時間もかけて到着した中継地点の街から、サファリ地帯まで、更に車で8時間くらいかかるという。
ボロボロの日本製のワゴン車に乗り込み、でこぼこの道を揺られながらドライブがスタート。
バスから見た風景も同じだったけれど、基本的に茶色い草原がひたすら続き、アフリカは茶色いというイメージがわたしの中でますます育っていった。

けれど、このドライブにわたしはだんだん夢中になってしまった。
時々、派手な布をまとった人々がぽつんぽつんと現れ、その姿が風景に映えてとても美しい。
岩や木々も、ひとつひとつが個性的で、これまでアジアで見てきたものともまるで違う。

そして、ここからサファリの区域に入ると言われた場所も、これまでドライブしてきた道のりの続きといった様子で、見渡す限り草原が続いているだけだった。
掴みどころのなさに、ぼんやりしている私に、ドライバーが指を差すので見たところ、車のすぐ脇に、3匹の雌ライオンがくっついて寝そべっていた。
その姿は、まるで大きな猫といったかんじで、ほのぼのとしていてかわいらしかった。
その後に見た駝鳥は、その大きさにも驚いたけれど、突然車の正面にしゃがみこみ、砂で羽繕いを始めた姿があまりに愛らしくて見とれてしまった。

動物達がみんな、動物園で見るものと筋肉のつきかたも違うし、動作がいきいきとしていて、彼らの世界にどんどん引き込まれていった。
もっと動物がそこらじゅうにいる風景を想像していたのだけれど、実際には広大な草原の中に時々ちらりと現れるくらいだ。驚くほど視力の優れたドライバーが、わたしには点にも見えない、遥か先の草陰に潜む動物を発見しては、連れていってくれる。

象ひとつとっても、耳をぱたぱたさせながら、泥浴びをしている姿、群れから離れ、気が触れた様子で車に向かって来る巨大象、まだうまく鼻を使えないあどけない子象や、100頭ほどの集団などいろんなシチュエーションを見ることができた。

それ以外にも、猛スピードで走るイノシシや、ヒヒの親子や、インパラの群れ。しまうまと一緒に行動するヌー達。
しまうまを離れたところから狙うライオン。葉っぱを食べ続けるキリン達。木の上の豹やカバの群れ。まだまだたくさんの動物の姿を見た。
こんな動物達が野生で暮らすアフリカってすごい土地だと思わずにはいられなかった。
サファリの中だけではなく、例えばゴミ箱を漁りに、わたしの肩くらいの身長の巨大鳥がのしのし歩いてやってきたり(日本ならせいぜいカラスだろう)、ホテルの庭には体半分が青で半分が赤い謎のトカゲがいたり、車の下に一抱えくらいある大きなモルモットのような生き物が隠れていたり、なんというか、スケールが違う。

アフリカの植物にも、わたしはとても心惹かれた。
大きくて斬新なデザインの、まるでオブジェのような存在感の植物があちこちに生えていた。
下半分は木、上半分はサボテンのような不思議な植物が赤やピンクの花を咲かせていたり、ソーセージのような実を鈴なりにぶら下げている木だとか。
自然って本当に奇抜だなあと感心してしまった。

行ってみるまで、アフリカの風景や人に対して、漠然と、素朴さや原始的なイメージを想像していて、実際そういう一面はあったのだけれど、同時に、驚くほど洗練されて、現代アートが目指す先のような印象も持った。

空間と動植物のバランスも、まるで計算されているかのように感じたし、夕方ショッキングピンクの夕日が沈む真ん中に、木の下に佇む象の親子のシルエットが浮かんでいるのを見ていると、舞台を眺めているような感覚に陥った。
自分の中で、自然に対しての新しいイメージが更新された感じがした。

翌日は、クレーターの中にできたサファリを探索し、そこでは動植物以上に、地形そのもののダイナミックさに感動した。
青みがかった山にかこまれた巨大クレーター。干上がった湖の塩分が彼方に真っ白なラインを引いていた。
そこから、また数時間のドライブをして、空港に送ってもらうことに。

草原の中に、時々マサイ族のような姿が見える。動物と同じくらいちらほらと、たまにしか出会わない。
茶色い風景の中、わたしには決して着こなせない色の服を着た人達が佇んでいる。
日本にいたら、みんな振り向いてしまうだろうけれど、ここでは、動植物と同じくらいにさりげない。
ユニークな植物も車窓から通りすぎていく。

それを眺めていたら、車が進むにつれ、なんだか胸が苦しくなってきた。
なんだろう、この気持ち?旅を始めてから初めての感じだ。胸がきゅんとする。
ああそっか、これは恋だ、と気付いた。
どうやらタンザニアに恋してしまったらしい。
手の届かない高嶺の花に片想いの気分。
こんなに、キュートでセクシーでユーモラスな、味わい深い土地から離れたくないなあ。
シンプルだけど刺激的で、それでいておおらかで。

そんな切ない気持ちを抱えつつ、途中で寄った土産物屋ではしっかり値切ってしまい、
女子のタフさを実感したのだけれど、
でも、その後行ったどこの国でもこんな気持にはならず、この旅一度きりの恋だったなあと
思い出したら、少ししみじみしてしまう。


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