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作家になりたかった僕の、したかった『暮らし』


作家になりたかった僕の、したかった『暮らし』


 僕は作家になれなかったもの書きです。昔だったら書生くずれというのでしょうか。未だにネット上に文章を書き散らして暮らしています。そんな僕にも憧れた生活がありました。今回は『#どこでも住めるとしたら』というお題で、僕がしたかった暮らしについてお話しようと思います。

・ブラウンストーンのアパートメントに住みたかった



 僕の好きな小説に『ティファニーで朝食を』という小説があります。これはトルーマン・カポーティというアメリカの作家が書いた作品なのですが、僕は学生の頃、この作品を夢中で読んでいたことがあります。映画はオードリー・ヘップバーンが演じたことで有名ですが、僕が憧れたのは、このヘップバーンが演じたホリー・ゴライトリーのセレブな暮らしではなくて、原作小説の語り手である『僕』の生活です。べつにニューヨークの五番街に住みたいとか、そういう大それた話じゃありません。

 この作中の主人公である『僕』はイーストサイド72丁目あたりにあるブラウンストーンのアパートメントで暮らしています。べつに何丁目だっていいんですが、この主人公の『僕』は作家志望の青年ということで、このアパートメントについて冒頭でこんなことを話していますのでちょっと引用してみましょう。

 とはいえ、ポケットに手を入れてそのアパートメントの鍵に触れるたびに、僕の心は浮き立った。たしかにさえない部屋ではあったものの、そこは僕が生まれて初めて手にした自分だけの場所だった。僕の蔵書が置かれ、ひとつかみの鉛筆が鉛筆立ての中で削られるのを待っていた。作家志望の青年が志を遂げるために必要なものはすべてそこに備わっているように、少なくとも僕の目には見えた。

『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ著 村上春樹訳 新潮文庫 p.9-p.10より引用



 僕が『ティファニーで朝食を』に惹かれたのは、この文章を読んだ瞬間だったかもしれません。そして何となく遠い世界のことのように見えた、このブラウンストーンのアパートメントと、ひとつかみの鉛筆、というのが僕のなかのイメージとして立ち上がってきたのです。いつか僕がしたいのはこれだ、とぴんと来てしまったわけですね。物語の筋をそのままなぞろうとした、単純な思いつきでした。

 僕はのちのちまでその単純な思いつきに引っ張られることになります。僕が以前、アパートを借りたとき、最後の二軒がほぼ同条件で、どちらにするか迷った際に、アパートの外壁が『ブラウンストーン』に似た色のタイル張りだからという理由で決めたことがあります。

 わけあってそのアパートは結局引き払うことになったのですが、そういう理由で決めたことをあまり後悔していません。いまも一人暮らしの物件をときどき覗いたりしていますが、何となくブラウンストーンのレンガっぽいタイル張りの物件があれば、つい見てしまいます。

 憧れっていうのは、べつに叶わなくったって持ち続けていいものだと思います。いつそんなチャンスが巡ってくるかは分からないし、割に合わないものだけど、惹かれると感じるものの方へ転がった方が面白いんじゃないかと。いつか小説のなかにいると錯覚してしまうようなアパートに住んでみたいものですね。
 

・現代に文士村があったらそこで暮らしてみたい


 僕には友達ってほとんどいないんですが、偶然、大人になってからできた友人がひとりだけいます。きっとこのままひとりで生きていくんだろうなと思っていた人間だったので、同じ道行きのひとがいるというのは、ありがたいことだなと思います。

 小説を書いていて行き詰まっているんだよねと話したら、こうしたらいいんじゃないとアドバイスを貰ったり、読んだ本の感想を言い合ったり、ときには小説とまったく関係のないゲームの話なんかもしたりします。

 ところで、「文士村」という言葉をご存じでしょうか。過去に作家や芸術家たちが集まった場所を指す言葉で、日本では東京都の田端や馬込に文士村がありました。

 僕は現代にこういう文士村が復活したらきっと面白いだろうなと思うんです。とくに田端文士村は芥川龍之介が暮らした街として有名で、芥川がこの街にいたことで、次々に芸術家たちが集まってくる流れができたと言われます。

 大人になってから同じ趣味のひとと出会うのはネット上では簡単ですが、リアルに会うとなるとやっぱり難しいところがあると思うんです。

 でも、もし日中の仕事が終わってから、ちょっと近所の誰々さん家に寄って小説の話をして帰る、とか、もくもくと本を読んだり、書いたりする会みたいなものがあったらいいなと思うんですよね。

 何となく「文士村」に似た雰囲気を感じたのは東京の神田神保町ですかね。あそこは学生の頃に何回か行っただけなんですが、やっぱり古書の街ということで、年代を問わず本を探すという目的でひとが集まっていて。

 それの創作版があればいいんじゃないかと思ったりします。海外では例があって、たとえばフランスのシェイクスピア&カンパニー書店がそうみたいですね。


『シェイクスピア&カンパニー書店』のノンフィクション小説



 ジェレミー・マーサーというひとが書いた『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』というノンフィクションを読んだことがあって、その書店では、店の手伝いをする代わりに、ただで書店のなかに泊めて貰えるというんです。

 この店の店主、ジョージは変わり者だけれど器の広い人物で、店に泊まった人物にあれは読んだか、これも読んだかと売り物の本を押しつけては、原稿の進捗を尋ねます。日曜日の朝には宿泊者全員にパンケーキを振る舞うような太っ腹な一面もあったり。

 それで、噂を聞きつけたお金のない作家志望の若者や芸術家の卵が夜な夜な集まってきて、お互いに切磋琢磨しながら、のちに文学や芸術の世界で大成する人物を輩出したという、伝説的な書店になっています。

 ここまで大がかりにやるのは日本では難しそうですが、週末に公園や喫茶店でちょっと小説の話をして帰る、そんな暮らし方がいつかできたらいいなと。いまのところは僕と友人の二人だけでこじんまりとやっています。

・書斎みたいな作業のためのアパートを借りてみたい



 僕は在宅のライターで、持病もあったりするので、ちょっと特殊な働き方をしています。あんまりお金がないので、いまは賃貸アパートを借りるのもそう簡単にはできません。でも、もしできるのなら、作業場所になるアパートを借りてみたいと思うのです。

 書斎というと恰好を付けたみたいな言い方ですが、六畳一間のワンルームアパートでいいんです。僕は普段は在宅で作業していて、週に1、2度は事業所に出かけていくのですが、やっぱりずっと家にいると行き詰まる、ということがあります。

 そういうときに、ちょっと出かけていって作業できる場所として安いアパートを借りられたらと思うのです。

 安い賃貸物件だとどうしても壁が薄かったり、近所の騒音に悩まされたりすることもあります。アパートだけで生活のすべてを完結させようとすると、僕はうまくいかなかったんです。どこかに逃げ込める場所が必要でした。

 僕はいまのところは実家で暮らしていますが、過去にはアパートを借りていたときもありました。実家にいるとやっぱり家族であっても気を遣いますし、却ってしんどくなってしまうときもあります。どんな人間関係でも、同じ場所に居つづけると淀んでしまうときがあるんです。

 なので僕はアパート→実家→友人宅→アパート……という風に場所を転々としながら暮らしたことがあります。こうするとそれぞれの場所で同じひとに会うのは週に2日か3日程度で、あまり気兼ねせずに済むんですね。

 僕は物音にかなり敏感なタイプで、とくに寝る前は神経を使います。なので、アパートは日中の作業場所として割り切って借りて、どうしても眠れなかったら実家に戻って寝るくらいでいいんじゃないかなと。翌朝は、アパートに「出勤」して作業し、仮眠が取れるようならそこで取って、週末は友人宅で過ごせるようになったら理想かなと思っています。

 完全にそこだけで暮らすわけじゃなくて、日中の活動拠点としてアパートを借りるのだから、家賃もべつに高いところじゃなくていいし、概ね3万~4万円くらいのワンルームを借りて暮らせるようになったら、僕はそれで文句はないなと思っています。いまはちょっとずつお金を貯めて、近所の物件を探してみたりしているところ。これを叶えるのが、当座の目標になりそうです。

 以上が、僕の考えるしたかった暮らしです。想像するだけならタダなので、こんな風に暮らせたらいいなって考えるだけでも楽しかったりします。いつかそんな風に考え続けたら、ほんとうに叶ってしまわないかなって。どれか一つでもできるようになっていたら、もうけもの。

 2023/03/04 13:26

 kazuma

もの書きのkazumaです。書いた文章を読んでくださり、ありがとうございます。記事を読んで「よかった」「役に立った」「応援したい」と感じたら、珈琲一杯分でいいので、サポートいただけると嬉しいです。執筆を続けるモチベーションになります。いつか作品や記事の形でお返しいたします。