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「ポメラ日記44日目 〆切間近に思うこと」


 今日は近況報告ということで。一週間くらい転職(といってもアルバイト)のことで動いていた。午前から昼頃に掛けてのちょうどいいアルバイトが見つかった。

 事業所の代表の方にお会いして、かくかくしかじかの事情を説明したら、ライターとしての採用になった。元々の求人票にはデータ入力と書かれていたんだけど、実際に行ってみると、どうやらライティングの案件もあるらしく、幸運にもそちらの方を任せていただけることになった。

 在宅のライターとしてもう一度、新しい勤務先で続けられることになったので、僕としては申し分ない条件で雇って貰えることになった。次が決まるまで、三ヶ月くらいは見込んでいたのだけど、有休消化が終わる翌週には働けることになり、ありがたいというほかない。いまは次の勤務先と調整を進めているところ。

 この間、何をしていたかというと、ほぼ原稿に掛かりっきりになっていた。noteの創作大賞の〆切が間近になっている。7月17日が応募の〆切なので、それまでに作品を公開できるように急ピッチで進めていた。原稿は思ったよりも長引いて、いまでは4万字超の原稿になっている。原稿用紙換算で100枚以上、中編小説と呼べる程度の分量になった。

 7月の頭から働き始めるので、原稿だけに取っかかれる機会はおそらく今週と翌週しかない。いまは最後の詰めのシーンを描いているところで、創作大賞にギリ間に合うかというところ。公募からは3年くらい離れているので、久しぶりに〆切に追われる感覚を味わっている。もちろん、そんなにいいもんじゃない。

 原稿だけをやってていい日が何日かあったんだけど、進み具合でいうと、実は用事があるときとそこまで変わらないんじゃないかということに気が付いた。僕は朝と夜のどちらか(あるいは両方)で少しずつ原稿を進めるタイプなんだけど、日中は思うように捗らないことがある。

 なので、原稿をやる時間は朝と夜のみと割り切って、日中はきちんとお金になるようなことをやっていた方がいいと思う。プロの小説家なら、小説を書くことが生活に繋がるけれど、僕は在野のもの書きなので、そういうわけにはいかない。ご飯になるところは、在宅のアルバイトやライティングやブログなど、どこか別のところから取ってこなくちゃならない。それをやってはじめて落ち着いて創作ができるスタートラインに立てる。

 いまどき専業だけで食べていけるほど甘い世界ではないだろうと思っているし、僕みたいな零細の書き手ならなおさらそう思う。1円にもならない小説を書き続けているのは、ほとんど意地みたいなものだ。

 生きていても面白くもなんともない、そんな世界をちょっとだけ引っくり返したかった。引っくり返すってのは、何かの賞を取って世の中を見返してやりたいとか、作家になって印税を得たいとか、そんなばかばかしいことじゃない。もの書きは誰かから認められてもの書きになるんじゃなくて、ただ文章を書き尽くしたか、その文章を読んでよかったと思うやつがいるかどうか、それだけだと僕は昔から信じている。

 僕は逃げ道を作りたかった、それがいっときのものでもかまわない。カポーティの文章を読んでいれば、目の前の不愉快な人間のことは忘れられる(あまりに完璧にでき過ぎているので、読んでいて僕は時々笑い出したくなる)。サリンジャーの物語を読めば、生きていても死んでいても大して変わりはないな(ホールデンは死んだやつを生きているように扱う。生きながら死んだやつのことを考える。どっちでも同じなら、まだ生きていてもいいか)と思う。芥川やドストエフスキーやカズオ・イシグロを読めば、僕が悩んだ事なんてとっくの昔に考え尽くされている(それでも答えは出ないけれど)と思う。

 僕はたぶん、死ぬまでうだうだやっていたいのだ。ミセス・ミラーのもとへ唐突に現れて、ジャムサンドイッチが欲しいと言い、花瓶を叩きつけて帰って行くミリアムのことや、五十七丁目と三番街の角で煙草を吸って立っている、緑色のレインコートを着た夢遊病者の女の子のことや、河童的存在は悪いと信じていますから、と言って生まれてくるのをやめた河童のバッグの子どもや、弟のバディ・グラスに作家としての将来を案じて真剣に助言するシーモア・グラスのこと、それらで頭をいっぱいにして、しばらくこの世界で息をしていることも忘れて、物語のなかの彼らの声を聴いていたいと思うのだ。べつにそれ自体に意味なんかなくてもかまわない。

 本を開けば、べつの世界と繋がっていて、活字の通路を辿っている間だけ、この息苦しい場所から抜け出せる。僕にとって本や小説はそういう装置だった。この世界の抜け道を作ること、それが作家の役目だと思っている。


 ぼくの目が途方もなく冴えてくるような物語にしてくれよ。満天におまえの星たちが全部出ているというただそれだけの理由でいいからぼくが五時まで起きているようにしてくれ。

『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア──序章──』J・D・サリンジャー著 野崎孝・井上謙治訳 新潮文庫 p.206 より引用  

 おまえは死んだとき、すばらしい感動的な作品を手がけていたかと、きかれることはないだろう。それが長編なのか短編なのか、悲しいものか滑稽なものか、出版されたかされなかったかきかれることはないであろう。おまえがそれを手がけているときは、調子がいいか、悪いかをたずねられることはないであろう。それを書き終えるときがおまえの最後の時になることを知っていれば、おまえはその作品を手がけてきたであろうかどうかということすら、きかれることはないだろう――そんなことをたずねられるのは、あのあわれなゼーレン・Kだけだろうと思う。確かなことはおまえに対して二つだけ質問が出されるということだ。おまえの星たちはほとんど出そろったか? おまえは心情を書きつくすことに励んだか?

『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア──序章──』J・D・サリンジャー著 野崎孝・井上謙治訳 新潮文庫 p.208 より引用



 2023/06/22 22:36

 kazuma   

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