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「ポメラ日記34日目(未送信ツイートで打線組んでnoteで供養する話)」


・未送信ツイートを一年くらい掛けて熟成したのでnoteで供養します



 こんにちは、もの書きのkazumaです。今回の記事はネタ投稿なので、ゆるゆるとお付き合いください。このあいだ、ツイートをしていて送信するかどうか迷って「下書きを保存する」を押したら、意外と未送信ツイートが溜まっていたことに自分でちょっと驚きました。

 見直してみるとなかなかいい味を出していて、このままお蔵入りするのはどうかなと思ったので、どうせならポメラ日記のネタにして、打線を組もうと思いました。kazumaの約1年分の未送信ツイートをちょっとした本人解説付きでお届けします。では、どうぞ。

 

1番・遊(ショート)

 blackwing602という鉛筆があって、それは昔、カポーティが好んで使っていたということで気になっていた。


 

2番・二(セカンド)

 ぼっち・エンド・(河川敷読書)ラン。



 

3番・中(センター)

 何かを生み出さなければ、そこに存在していることすら認められない。そういう世界にうんざりしている。


 
 

4番・一(ファースト)

 たぶん中途半端な嘘つきではだめでほんものの嘘つきが小説家になれるのだと思う。



 

5番・捕(キャッチャー)

 どこかでもうどうなってもいいと思っていなかったら、ものなんて書いてはいられない。



 

6番・左(レフト)

 無人の線路の前に立つときはいつもさみしいような、ほっとするような気持ちの間で揺れている。



 

7番・三(サード)

 憎しみだけでは生きられないな。


 

8番・右(ライト)

 限りなく夏に近いナツ一(ナツイチ、集英社文庫の夏フェアでよくあるやつ)


 

9番・投(ピッチャー)

 ヘンリー・ダーガーみたいに作品だけ残して消えてしまうのが理想だと思っている。



 

DH(指名打者)

 なお食後はスライスりんご盛り盛りの蜂蜜がけ玄米フレークヨーグルトを食しつつ、ポケ森をしながら一服している。フレンドゆるぼ中です。


・打順(各ツイート)ごとの解説


 1番(遊)は、カポーティが使っていた鉛筆・blackwing602の話。カウチに寝そべりながらその鉛筆で1分間に百語書いたとか、書いてないとか。何となくスマートな感じがするので、これは一番の遊撃手に。こういう作家のこだわりシリーズ、いいですね。

 2番(二)は、去年は過ごしやすい時節に河原まで本を読みに行ってました。散歩にもなるし、外にベンチに腰掛けて本読むのはいいですよ。1番が出塁したと考えて、ここはヒット・エンド・ランで。

 3番(中)は、何かを生み出してないとそこにいちゃいけないのかっていう疑問を言葉にしています。べつにいていいよね、ライト方向へ痛烈な当たり。

 4番(一)は、押しも押されぬ感を出してみました。小説家は中途半端な嘘つきではだめで、たぶん生まれつきの嘘つきっていう部分がどこかにあると思います。三振覚悟のフルスイング。

 5番(捕)は、もの書きっていうのは膨大な時間を現実ではない、架空の世界を生み出すために使うわけです。どんなにいいものが書けたと思っても、世に出ないかぎりは認められないし、一銭にもならないものに身を粉にしていくわけだから、しらふでやっていくのは中々きついものがあると思いますよ。そんな暴投に体ごと喰らいついていくキャッチャー。

 6番(左)は、線路沿いを歩いたときに思ったことです。僕が徘徊している地域ってけっこう線路が見えたりするんですよ。そういう線路沿いの道って、路地を入ったような裏手にあったりするから、ほとんどひとけがなかったりするんですね。フェンスの向こうにはどこまでも鉄の線路が伸びていて。寂しさでも安堵でもない、そういう気持ちをどうやって表現したらいいだろうと思うのです。試合が終わったら球場から一番早く家に帰りそうなレフト。

 7番(サード)は、最近考えたことだったんですよね。『地下室の手記』を書いたドストエフスキーや、『地獄変』を書いた芥川龍之介、『ツァラトゥストラ』を書いたニーチェ、これたぶん普通のひとが考えたら、みんな行き着く先は自暴自棄か、自殺か、発狂かっていうことになりかねないと思うんです。

 これらの作品ってもうほんとうに水面下ぎりぎりのところまで近づいて、これ以上進んだら溺れてしまうっていう絶妙なところで成り立っている特殊な作品だと思っています。こういう小説や哲学を生(き)のまま、個人の思想として持ち込んだら間違いなく生活の方面から破綻します。

『僕は善良な人間にはなれない』と叫ぶ引きこもりの男、娘が火車のなかで灼けていくのを見ながら画を描いた天才画師、神を殺してしまった哲学者。

 極限の状況を想定して描いたからこそ、普段では意識しえないものに触れてしまって、そこから却ってカタルシスを得るようなこともあると思います。でも、日常の場面でもそんなぎりぎりのことばかり考えていると、段々と偏りが生まれてきて、あとは「一切皆苦」みたいにみんなこの世には苦しみしかない、そういうどん詰まりからものを見るようになるかもしれません(そのこと自体をわるいとは思いませんが)。

 そこまで行くとお坊さんみたいに悟りの方へ行こうとするか、ニーチェの『ルサンチマン』を持って、自分は間違った世界に生まれてきたと、絶望を懐に抱えて鬱々と考え続けながら一生を過ごすことになるかと思います。

 人間ってそういう極限状態にさらされ続けることに耐えられるようにはできていなくて、ストレスや負荷が掛かり続けるとのちに何らかの代償を心身で払わされるようになります。

 僕はお坊さんみたいに悟りの方向へ行くっていうのは全然できなくて、神様みたいなものもあんまり信じられず、生きれば生きるほどただ煩悩の塊だ、と思うことばかりでした。かといって、ルサンチマンを抱えたまま平然と生きられるような度量ある人間でもなく、僕はその埋め合わせというか、抱えたものから逃れるためにせっせと文章をこしらえていて、僕はそうすることで自分を空っぽにしたいんだなと思うことがあります。

 書くことって何かを覚えるために書くと思われがちですが、それは逆だと僕は思っていて、書く当人にとってみれば、どうにも逃れられない、頭から離れないものを逃すためにあるんだと思っています。そうやって書かれた言葉を覚えておくかどうかは、読む人が決めればいいことだと。

 ついこの間、電車に揺られてつり革に掴まって、窓の外を眺めているとき、何にも考えていない自分に気が付いたんです。あれ、いま僕何も考えてなかったなって。いつもなら、人目が気になったり、誰かの笑い声に気後れしたりしていたのに、僕はそのときただ風景のなかを通り過ぎていっているだけのように感じて、そのことをすごく楽に感じたんです。そんな清明な気持ちでものが書けたら、どんなにいいだろうと思いました。
 
 長くなりましたが、7番サード、異色の守備職人。

 8番(ライト)は、去年に集英社文庫の帯を見て、「ナツイチ」ってまだやってるんだ、と思ったときに呟こうと思いつつもスベりそうと思って投稿しなかったツイート。漢数字の「一(いち)」と「ー(伸ばす棒)」のミスリードを狙いました。もちろん元ネタは「限りなく透明に近いブルー」。ライトに打球はこないと踏んだ、日和見のライパチ。

 9番(ピッチャー)は、ヘンリー・ダーガーの生涯について調べていたときに出てきたものです。べつに僕自身なんか残らなくていいし、書いたものだけが残ればいいよねって思っています。それくらいシンプルに考えたら、いらないものはみんな放り出せる気がして。消える魔球、幻のピッチャー。

 DH(指名打者)は、こんなこと考えつつスマホ片手に蜂蜜がけの林檎マシマシヨーグルトを食っているような人間ですよ? と。最近なぜか友人に誘われてポケモンにまで手を出すことに……。誰かポケカとかスカバイやっているひといますかー? いたらコメント欄まで。ポケ森もゆる募継続中。

 思ったより長くなったんだけど、今日はこれで。

 2023/02/21 23:24

 kazuma
  

もの書きのkazumaです。書いた文章を読んでくださり、ありがとうございます。記事を読んで「よかった」「役に立った」「応援したい」と感じたら、珈琲一杯分でいいので、サポートいただけると嬉しいです。執筆を続けるモチベーションになります。いつか作品や記事の形でお返しいたします。