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「相手の懐に入っていくんだよ」――編集者・中川六平さんの言葉

六平さんという人

タイトルが絶妙である。

『おーい六さん』

中川六平(ろっぺい)さんの遺稿追悼集『おーい六さん』を読み終えた。
表紙に大きく写っている人懐こい笑顔。気さくな人だったことが伝わってくる。

六平さんは、学生時代にベトナム反戦の市民運動「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)に参加。ベ平連が、米軍基地のある山口県岩国市につくった反戦喫茶店「ほびっと」の初代マスターを務めた。

その後、「東京タイムズ」の記者、編集委員長を経て、フリーに。『朝日ジャーナル』の書評欄などに関わった後、晶文社の編集者として『鶴見俊輔座談集』(全10巻)、鶴見俊輔『期待と回想』(上・下巻)など、鶴見さんの本を数多く手がけた。小沢昭一さん、坪内祐三さん、赤瀬川原平さんらの本も世に送り出した。

私は、思想の科学社で働いていた時に、六平さんと出会った。
残念ながら一緒に仕事をする機会はなかったが、折々に聞いた言葉は、今も自分を支えている。
そのことを、少し書いておきたい。

沖縄に行って、タクシーの運転手をやったらどう?

私が思想の科学社を辞めるとき、六平さんは気にかけてくれた。
イベントの真っ最中、裏方で大わらわしていた時だったと思う。六平さんが声をかけてきた。一杯引っかけてきたのだろう。酒の匂いがした。

「お前、これから、どうするつもりなんだ?」
「先のことは、まだ決めてません」

すると、六平さんはこう言った。

「沖縄に行って、タクシーの運転手をやったらどう?」

唐突な言葉に驚いた。
何を意味しているのか、全くわからなかった。

「ええっ? 何言ってるんですか」と、つれない返事をした気がする。イベントが進行するのを横目に、今、それどころじゃないんですよ…と(すみません、六平さん)。
その後、真意が気になりながらも、改めて尋ねることはなかった。

あのとき、六平さんは何を伝えたかったのだろう。

沖縄の現実を見てこい。そこにある歴史と文化に触れてこい。
沖縄から、日本は、アジアは、世界はどう見えるか。
タクシーの運転手という生業は、老若男女さまざまな人と出会うだろう。
彼の地に暮らし、見て、聞いて、歩くことは、きっといい経験になるにちがいない――。

こんなふうに言いたかったのかもしれない。

でも、私は六平さんの提案には乗らなかった。
本屋でアルバイトを始め、友人に誘われて始めたミニコミづくりに夢中になり、やっぱり文章を書きたいと、ライターとして独立した。

もしも、あのとき、六平さんの言うとおり、沖縄に行ってたら……。
考えても詮無いことだ。
でも、その言葉を思い出すたびに、ふっと気持ちが楽になる。風通しが良くなる。もっと自由に生きていいのだと思えてくる。

相手の懐に入っていくんだよ

もうひとつ印象に残っているのが、インタビューのこと。

あるノンフィクション作家を「あいつは相手の懐に入っていけないんだよ」と、六平さんは厳しく評していた。これも、酒席でのことだった気がする。

順序立てて、問いを重ね、事実を明らかにしていく。取材の基本だろう。
だが、時には、相手の奥深くまで飛び込んでいく。それも、さりげなく。「気づいたら、こんなことを話していた。自分は、実はこんなふうに考えていたのか!」と話し手が感嘆するように。

インタビューは、尋問ではない。
インタビュアーとインタビューイの対話であり、セッションであり、ライブである。
互いが生き生きする時間を作り、思いがけない話を引き出すのが、いいインタビュアーなんだ――。

「相手の懐に入っていく」

六平さんのこの言葉を、私は勝手にこう解釈している。

とはいえ、言うは易く、行うは難し。
インタビューの理想として、ずっと追いかけている。

道でたまたま、すれ違った人に気さくに声をかけ、話が弾み、笑い合っている。
六平さんは、そういう人だった。

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*『おーい六さん 中川六平遺稿追悼集』(大河久典編)

本書の前半は、六平さんの遺稿集。

「鶴見さんの言葉」と題し、六平さんが鶴見俊輔さんについて、200頁近くにわたって綴っている。

六平さんは学生時代に、大学で開かれた抗議集会で鶴見さんと出会う。以来、40年以上、鶴見さんと関わりを持ち、本を作り続けてきた。

実際に鶴見さんから聞いた言葉と、手がけた本のエピソードを述べながら、鶴見さんの本の記述をたどっていく。さらに、六平さんがそこから受け取ったことを記し、自らの軌跡も綴っている。

いわば「評伝・鶴見俊輔」であり、「鶴見俊輔を通した中川六平のライフヒストリー」でもある。これが、とても面白かった。

六平さんの文章がいい。易しい言葉。ゆるりとしたリズム。センテンスは短く、間(ま)が心地いい(六平さんが書いた人物ルポ集『「歩く学問」の達人』(晶文社)も、好きな本なのです)。

そして、本書の後半は追悼集。

「京都・ベ平連」「岩国・ほびっと」「晶文社・神保町」など5つの章が設けられ、それぞれの時代・場所で、六平さんと関わりがあった総勢50人の方たちが文を寄せている。

「折に触れて六平さんから降ってきたのは『お前はこの本で何をいいたいんだよ』という言葉だった」(鶴見太郎)
「場所はたいてい酒場だった。(略)きまって途中で酔っぱらってしまうけれど、本作りの心構えを熱心に教えてくれた」(宮里潤)
「つまり中川さんは人と人を引き合わせる、まさに天性の編集者だった」(坪内祐三)

六平さんは、実にたくさんの人たちの背中を押してきたのだと感じる。

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