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なぜ通訳は偶然性が高いのか

【通訳の育成編】外国人を日本に招くことがサッカー界の発展に繋がらないと断言できる「8」の根拠

▼宗教/言語編はこちら


根拠⑥:通訳の育成

サッカーにおいて「通訳」というポストは"非常に重要"な役割を持つと考えています。特に【宗教/言語編】でも書いたように「日本語は日本人しか話さない」という揺るがない事実があるので、仮に私たち日本サッカーに海外のサイエンスを持ち込もうとするのであれば、「通訳」に関して突き詰めていかなければならないことは間違いありません。日本に入ってくる外国語の訳し方にも気を使う必要があります。

そしてまたサッカーにおける「通訳」が重要なポストであると同時に、非常に特殊な能力が必要であるということも、忘れてはなりません。


■修正をするには言語が必要である

まず前提として、日本人と外国人の間には「他国にはない問題」があることは前の記事で触れました。もちろん、大小無視すれば欧米や南米内でも国単位(宗教/文明/地域等)における「違い」が存在していますので、価値観や認識のすれ違いが起こるケースがあります。その際に、人間が修正をする方法は3つしかないと思っています。

①時間をかける:時間をかけて接してきた人間同士であれば、ある程度相手の行動が「予測」出来るようになります。同じ時間を共有することで、文化・価値観の違いや、行動パターンの違いをお互いが理解出来るようになるので協力もしやすくなります。

②会話をする:最も早い方法は会話をすることです。問題が生じるたびに言語を使って会話をすれば、それを解決をすることが出来ます。その際には当然ながら共通の言語が必要で、言語というものはその国や地域の「文化」が強く影響していますので、より関係を密にすることが出来ます。

※③相手を学ぶこと:前回の記事でも書いたように、私たちは外国人が置かれている背景を理解するために、彼らよりも彼らのことを学ばなければなりませんが、今回の主題から外れるので割愛します。

例えば多くの場合、日本サッカーではの条件を満たすことが出来ません。外国人と協力をする、もしくは相手の意図を「読む」ことが難しくなります。では、①はどうでしょうか。


■代表監督

クラブの監督と代表の監督が違う職業である、ということは前にも触れました。大きな差異の一つとして「接している時間」があります。代表監督と選手の接している時間は「非常に少ない」と言っても過言ではないと思います。「①時間をかける」というのは、紛れもなく「直接接している時間」のことを指しますので、代表監督と選手は試合前の一定期間のみになり、その分多大な"期間"が必要です。日本の場合プランがない(アート性がない)ので、外国人監督の任期は長くて4年です。私は「不可能」な仕事だと主張します。

クラブ監督が外国人でもある程度成功する反面、代表監督における外国人が成功しにくい理由はここにあると思っています。


■時間帯と場所

人間が理解し合うには「様々な状況下」の時間共有が必要になると思っています。例えば私の場合、相手と共有する時間を常に夜に設定せず、朝に会う日、昼に会う日と使い分けます。時間帯と共に重要になってくるのは「場所」です。いつも同じレストランで食事をするよりも、違う環境を作り出して時間を共有した方が、新しい刺激が入ります。監督と選手との関係性においては「ピッチ」という場所が主になりますが、それだけで関係性を築くことは非常に難しく、だからこそキャンプ(共同生活)を行ったり、クアルディオラであれば必ずランチを共にすることを義務付けます。「監督」という職業はそれら事項をデザインする必要がありますので、コーチはサイエンスだとしても、監督はアートであると言えます。


■連続性

それとは別に「連続性」というポイントがあります。接している時間が一定期間確保出来たとしても、そこに連続性がなければ関係は薄れていきます。外国人監督を代表監督にする難しさはこの「連続性」にあります。キャンプが終われば自クラブに戻ることになりますので、例え接し方が密だとしても、再び長期間離れることになります。その際に厄介なのが、メディアから入ってくる「情報」です。

直接のコミュニケーションがない期間にありとあらゆる情報が耳に入ります。あること、ないことを想像します。ただ、これはメディアも監督も決して悪いことをしているわけではないというのが、厄介な点です。インターネットから入る情報は時に関係性を密にする妨げになりますが、だからこそ監督は「メディアを利用する」というアートをしなければなりません。

日本の代表監督の場合は、時間をかけることもできない(①)、共通の言語で話せない(②)かつ連続性を持つことが出来ない、という非常に難解な状況に置かれます。


■パートナーシップ提携

昨今の日本サッカーは空前の「提携」ブームですが、代表監督と同じように非常に難しいと思います。提携をしただけでなく、これらのことを考慮してプロジェクトを進めていかなければ、必ずすれ違いが生じ、成果を出すことなく終わってしまいます。①も②も満たすことが難しいからです。JFAは多くの組織と提携を結んでいる様ですが、それが目に見えた成果として現れていないことに疑問を呈す人間が居ません。そこへの投資は、本当に正しいものなのでしょうか。


■通訳の育成

本題に入ります。

上記したように、人間が関係性を築いていくには、時間をかけることや会話をすることが重要です。しかし、例えば代表監督の場合、ドイツのように「長期間」という前提がなければ「①時間をかける」という条件を満たすことが出来ません。そこで「②会話をする」という条件を満たすために最も重要な役割を担うのが「通訳」となります。その非常に重要なポストを「偶然性」に任せて良いのか?という問題があります。私は、もし日本サッカーが外国人を日本に招くのであれば「通訳の育成」をしなければならないと考えています。


■偶然性が高い通訳

※過去の代表監督の通訳の優劣について触れているものではありません

代表監督を外国人にした場合、その国の言語が扱える日本人を探すことになります。仮にサッカーに精通した言語を操れる人間が少数だった場合どうなるか。選択ではなく消去になるかもしれません。通訳の能力というものを把握せずに、ただサッカーの知識がある、またはその言語が話せるという理由で採用をしたらどうなるのか。たまたま良いかもしれないし、たまたま悪いかもしれない。そもそもどの様に能力を判断するのか。…つまり非常に偶然性が高くなってしまいます。

サッカーにおいて、監督やコーチやメディカルスタッフ等は育成を行います。スタッフ構成も非常に気を使います。ただ「通訳」というポストで全てが台無しになる可能性があるのにもかかわらず、そこに偶然性があるのはどうなのか?外国人監督の成功は「通訳に依存する」可能性があります。

例えば、トルシエ監督の通訳であるダバディさんにインタビューをした記事では、以下の様な記載があります。

「98年フランスW杯後に僕は仕事を見つけて日本に来るんですけど、そこでトルシエさんが抜擢されたんです。日本サッカー協会(JFA)はなかなかフランス語の通訳が見つけられなかったみたいで、色々なジャーナリストにも相談したと思うんですよ。僕は98年W杯のときに日刊スポーツの手伝いをしていたんですが、それでその時にお世話になった方から僕に話が来ました。」

この記事からわかることは、監督が決まった後に通訳を探し始めた時、フランス語の通訳者が少数だったという事実と、ダバディさんはサッカーの通訳が本職ではなかった、ということです。

この場合、たまたまダバディさんという良い通訳が見つかっただけであって、もしも彼がたまたま悪い通訳だった場合どうなってしまったのか、ということです。つまり、非常に偶然性が高かったという事実がわかります。


■通訳に求められる能力

例えば「同時通訳」という能力があります。ただ言語を話せるだけでは到底成しえない能力であり、それに特化した訓練が必要になります。

では、サッカーの通訳にはどんな能力が必要なのでしょうか?それを定義しなければ育成を行うことは出来ません。例えば…

①感情:監督の発した言葉には必ず感情が宿ります。その感情を出来るだけ選手に100%に近い状態で伝える必要があります。そのためには、監督の意図を把握している必要があり、ボディーランゲージ・表情を似せる必要があります。

②速度・間:話すスピードによって同じ言葉でも受け取り方が変わってきます。監督が早口で話すことで「緊張感」を作り出しても、通訳が間をおいて話すことによって「弛緩」を作り出してしまえば、大事なポイントが伝わりません。

③サッカー言語を嚙み砕く力:ほとんどの場合新しいサッカー言語は西洋から入ってきますが、それが直訳ではなくどの様な意図で用いられているのか、をチーム内で統一する必要があります。それを国単位で統一する(Translation:翻訳)のは本来JFAの仕事ですが、チーム内では通訳がその役割(Interpretation:通訳)を担います。

上図の様に、監督から発せられた赤の矢印(言葉)が通訳を通して選手やスタッフに伝えられる時、出来るだけ「何も失っていない状態」で届けなければなりません。外国人監督と選手間には「予想」という行為が行われます。この監督は何を言っているのか?選手たちは何を感じているのか?これらの予想には、言語のみではなく背景(文化)が絡んできますので、先述した様に「時間をかける」ということが必要になります。選手側としても、その外国人監督の置かれている背景を学ぶ必要がありますが、恐らくそれは個人単位で行う選手は行う、興味がない選手は行わない、という状況だと思いますので、日本代表はうまくいきません。もし私がスタッフの一員だった場合、必ず義務化します。


■シンポジウムから見る日本の意識

2017年「東アジア戦略会議」という名のシンポジウムが行われました。私も出席したのですが、非常に退屈でした。その理由の一つが本記事の議題である「通訳」、というより「通訳」をどう使うか?と言う部分まで気を配ってデザインされていないのが原因でした。この日はアジア各国の登壇者がトークセッションを行ったのですが、例えば中国語で登壇者が数分間話をしたあとに、その後改めて通訳をする、という方法をとっていたため、スピード感がなく、間が多く、非常に退屈な空間でした。あのシンポジウムの時に、私は通訳というものの重要性を感じたと同時に、通訳という領域に対する意識の低さを感じてしまったのです。


■通訳の育成は可能か不可能か

ヨーロッパには「Clark Football Languages」という、サッカーに特化した通訳の団体があります。以下の記事ではサッカーに特化した通訳者を「Football Interpreter」と呼び、どの様な役割を担っているのかについて書かれています。

同団体の設立は2004年なので、少なくともヨーロッパでは私たちよりも先に、サッカーにおける通訳の重要性を認識していたことになります。例えば先ほどのシンポジウムの件で言えば、欧米で「欧米戦略会議」のようなシンポジウムが仮に開催されることになった場合、間違いなくこの様な団体から派遣されることになるでしょう。2016年のEUROでは、この団体からこれだけの人材が派遣されています。

また、次の記事では、ある一人の「Football Interpreter」へのインタビューが掲載されています。▶︎http://www.genuinetranslations.co.uk/translation/interview-to-an-interpreter

ここでインタビューを受けているRonanという人物のTwitterを見ると、以下の様な投稿がありました。

ここには、サッカーの通訳(翻訳)という仕事について、国際コミュニケーション修士号の学生達に向けて話をしました、といった様なことが書かれています。

加えて、2008年のスイスとオーストラリアで行われたEUROでは、あらゆる状況における「通訳」を検証するために、記者会見等が録画、録音されていたそうです。非常に細かいの検証結果がこちらの論文に掲載されています。▶︎https://www.openstarts.units.it/bitstream/10077/7373/1/Sandrelli.pdf

ここでは「英語からイタリア語に訳した場合ペースがわずかに落ちた(117W / m)」といった様に、非常に細かく、細かく検証が行われた事実が記載されています。


■育成は可能である

つまり、私たちが通訳の重要性を議論していない間に欧米ではこの様な研究が行われ、さらにはサッカーの通訳に特化した団体が10年以上前に設立されており、大学へ講義に行く様な「育成」が行われている、ということです。ここに危機感を持たない限りは、日本サッカーがいくら「科学としてのサッカー」で上回る外国人を招いたとしても、長期的な成功はありえません。つまりこれが、私が「外国人を日本に招くことがサッカー界の発展に繋がらないと断言できる根拠」の一つになります。

日本サッカーは同団体よりもさらに"分割"をし「サッカー監督通訳者」の追求・育成をしていく必要があるのかもしれません。


■日本サッカーにある問題

そもそも「サッカーにおいて通訳は非常に重要である」という意識が日本サッカーに薄いことが致命的な問題です。それによって専門職として目指す人間の母数が増えないという問題に波及します。日本語は日本人しか話さないので「需要が少ない」という問題もありますが、これらを改善するには「Football Interpreter(サッカー通訳者)」という様な肩書きを名乗り、そこに特化した第一人者が現れ、目立つ必要があります。つまりそれらを意識的に作り出す工夫が必要であり、もしそれを行わないのであれば、今後も「偶然性」に頼った人事が続けられることになります。


■育成の方法

監督や指導者の育成と同じく、難しく考える必要はなく「若者を海外に出すために投資をする」だけです。指導者と同じく、海外にはすでに確立された方法論(通訳の場合「Clark Football Languages」)があるわけですから、そこに学びに行かせ、日本に戻し、現場を与えるだけです。そこから日本人としての理論を確立させていけば良い。日本サッカーは「まだ実績のない若者」に投資をしない(リスクをかけない)ので、海外に追いつくことは残念ながらありません。指導者も、通訳も。


■経験という財産

先ほど添付したインタビューを読んでいただければわかる様に、ダバディさんは日本代表での通訳キャリアで様々なことを経験し、ご本人が言うように様々なスキルを身につけました。その結果W杯で結果を出すに至ったわけですが、その財産を日本サッカーは無駄にしている、つまり十分な検証が行われず、経験を継承していく努力を日本サッカーがしてこなかった、ということです。

なぜなのでしょうか?


■問題の根深さ

ここには、日本人の根深い特徴が絡んでいます。

「W杯でうまくいかなかったのは、実は通訳の責任もあるのではないか?」という発想が出てこない、もしくはその発言をすることがタブーとなります。もちろん事実はわかりませんが、検証をしようとしていないのでこの先もわかりませんし、通訳の質も上がりません(偶然上がることはあっても)。

日本サッカーはこの日本人の特徴が顕著に出ます。責任の所在が曖昧なため、それを検証するに至らない。つまり「失敗から学べない」ことになるので、同じ失敗を何度も繰り返します。戦時の日本軍と比べても、当時から同じような特徴を持っていることがわかります。


もしも、このまま「日本人を海外に学びに行かせるために日本人に投資をする」のではなく「外国人を日本に招くために外国人に投資をする」のであれば、今回の主題である【通訳の育成】は必要不可欠になります。

つまり『通訳の育成を行っていないことが、外国人を日本に招くことがサッカー界の発展に繋がらないと断言できる根拠のうちの一つである』と、私はこの記事をもって主張致します。


続く・・・


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1992年生まれ(27歳)/ サッカー監督 (南米サッカー協会 Aライセンス)/ アルゼンチン在住 / 監督養成学校在籍中 / サッカーカルチャーブランド「92 F.C.」Founder / NPO法人 love.fútbol Japan 理事
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