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久々に『毛皮のマリーズ』を聴いて、感じたことと学んだこと

毛皮のマリーズが大好きだった。いや、今も大好きである。久々に聴いたけど、相変わらずカッコすぎる。胸が熱くなる。

特に夢中になったのは10年ぐらい前。
当時私は25歳で、就職を辞めて窮屈や束縛から解放された時だった。髪もようやく耳元まで伸びてきたぐらい。

音楽がやりたい。音楽がやりたい。歌を歌いたい。ギター弾きたい。ロックンロールを歌いたい。

ただただひたすらに音楽に熱くなっていた頃、どういうきっかけだったか毛皮のマリーズを知った。

ボーカルの志磨さんの姿は、まさに私が夢を描いた姿そのものだった。髪が長くて、ロックンロールを歌ってて、バンドで叫んでてとにかくメチャクチャで、観客全員を熱狂させていた。

「初期のほうが好きだった」を分析してみる

音楽ファンがよく口にする言葉として、初期のほうが好きだったというものがある。

「あの人は変わってしまった。」
「メジャーになって事務所の言いなりになってしまった。」
「お金を持ってハングリー精神がなくなってしまった。」

言われてみれば、確かに私もドレスコーズ(志磨さんの次のバンド)より、毛皮のマリーズのほうが好きだ。しかも後期より初期のほうが好きである。

志磨さんが売れたから音楽性が変わってしまったのか。
毛皮のマリーズが有名になったからなのか。
時間を重ねるごとに技術が増していったからなのか。

もっかい聴き直してみる。やっぱり初期のほうが好きだ。胸が熱くなる。

一体何が違うのだろう。いろいろ考えてみた。

私なりにこうじゃないかという”答え”らしきものが2つ見つかった。

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「知らない」は二度と手に入らない

ひとつめは「知らない」の希少性ではないだろうか。

最初はお金なんてないし、社会の仕組みなんて知ろうともしなかったし自分のやりたいことしか考えてなかっただろうから、知識だとか経験だとか技術なんか何もないし何も知らないまま、ただただ感情だけが前のめりで爆発していた。

一度「知る」を通ったら、僕らはもう二度と「知らない」に戻れない。

「知らない」からこそ発せた言葉。「知らない」からこそ生まれた作品。「知らない」という人生で一度しか味わえないものが、その人の味となり魅力となり、他にはない希少性となったのではないか。

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毛皮のマリーズと一緒に成長していった

どうして後期より初期が好きなのか。
もうひとつはおそらく、僕らも若かったということじゃないかな。

バンド(毛皮のマリーズ)だけでなく、自分もまだ成熟していない。音楽を聴き続けることで、追いかけ続けることで一緒に成長していく。

長い時間をかけて一緒に成長していくと、人って強い愛情が芽生えると私は思っている。子どもの成長を親が見るように。テレビの成長とともに育った世代の方々は、今もテレビを見続けているように。

今が成熟しているとはとても思えないが、少なくとも25歳の私は精神的にもすごく若かった。毛皮のマリーズを聴くことでたくさん感情を揺さぶられたし、何度も何度も聴いてたくさんのことを教えてもらった。

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私はもう若くない。ただ「知らない」はまだまだある

私も来月で36歳。「若かった」なんてもはや通用しない。

だけど「知らない」はある。まだまだたくさんある。

その手のプロから見れば、粗々しくて見ていられなくて、きっと色々どうしようもないだろう。

だからこそ愛しい。一生に一度しか味わえないからとてもとても美しい。

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私は今、自叙伝を書いている。
当然、本なんて書いたことがない。つまり、何も「知らない」。

毎日毎日書きながら感じるが、技術もへったくれもない。30代の男が書いたとはとても思えないぐらい、かなり粗々しい。

だけどそれでいい。そのまま行こうと思っている。なぜなら「知らない」は二度と手に入らないから。

10年経った今、久々に毛皮のマリーズを聴いてまた色々と教えてもらった。今日も眠くなるまで執筆頑張ろうと思う。


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