新曲だけは「悲哀」が表現できる
2020年は再び新曲を作ろうと決めました。2018年〜2019年はとにかく流し一点集中で、楽曲提供のご依頼を除けば、能動的に自ら作った曲はたぶん1〜2曲ぐらいだったと思います。
どうして新曲作りに目覚めたのか
実は「(自分が)もっかい作りたい!!」が最初ではなく、流しや昨年のワンマンライブを見てくれた皆さんの声が何よりの理由です。
ここだけの話、流しに没頭していた2018年〜2019年は「仮に今新曲作っても、歌う場所が無いしそもそも求められていないよなぁ。」と思っていました。いきなり新曲歌っても、誰も何も知らないですしね。
「一馬のライブが見たい!」「流しもいいけど私は一馬くんの歌が聴きたい!」「新曲作ってほしい!」このようなお声を、特に2019年後半からたくさん頂くようになりました。本当に感謝です。
「新曲の魅力」とは何か
再び新曲について深く考えるようになり、まず「新曲の魅力」について考えるようになりました。ここでこれまでと違うのは、今の私なら流しと比較することが可能という点です。
私の流しを皆さん触れて頂いた上で「一馬の歌が聴きたい!」には、何か流しを超える新曲ならではの魅力が必ずあるはずです。まだ生まれてもいないので、誰も知るはずのない曲だし一体どこに魅力があるのか。
そこで閃いたのが、人間味ですね。流しは極論、私がやんなくてもいい。だけど一馬の新曲は、一馬しか歌えない。一馬の考え、一馬の視点、一馬が伝えたいことや一馬が今何を思っているかを、歌で表現することができる。ここかなと。
技ではなく人間勝負ってことですね。ようやく私も、2020年にしてライブというステージに立てた気がします。順番が逆だったんですね、きっと。
新曲だからこそ可能な表現がある
私は流し以外にも、こうしてブログ書いたりラジオ配信したりYouTubeやったりと、色々な形で発信・表現しています。
こんなにたくさんの手段で発信しているなら、新曲で何を表現するのか(他とかぶらないのか)とふと考えました。すると、見つかったんです。新曲だからこそ可能な表現方法が。
それは、悲哀ですね。誰にも見せたくない心の内と言いましょうか。やっぱり生きていれば色々あります。ただ私は負の感情を伝えたいのでは無く、心の片隅に残っている悲しみだったり、安易に言葉にしたく無い苦しみからの物語を吐き出し、後の笑い話にしたいってのはあります。
2020年からは、楽しさ嬉しさだけでなく「悲哀」も伝えていく
生々しくて、切なくて。だけど多くの曲は、心の奥深くの想いだったり嘆きのようなものが、人の心へ突き刺さるものだと私は思います。
そんなことを考えながら想いながら、昼流しを終え、曲作りに没頭していました。てか、没頭できた自分がいました。やっぱり押し殺しているだけで、実は私も誰かに心の内をわかってほしいのかもしれません。
2020年は、また新しい1年になりそうです。精進します!
出張流しやってます!!
全国どこでも飛び回ります。ご興味があればぜひ!!
これからもぶっ飛ばします。良かったらぜひ!