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解放のもどかしさ

自由を手に入れるまでの道のり

これまでの人生、私は親の期待や社会のルールに従って生きてきました。幼少期から、親に厳しく育てられ、「他者の期待」に応えることが最優先でした。進学、就職、結婚、そして親の介護…私の人生は常に親の影響を強く受けていました。

特に親の介護に携わるようになった頃、自分の時間や自由はほとんど失われ、日々のストレスや疲れが蓄積していく一方でした。しかし、親が施設に入ったことで、ようやく自分の時間が持てるようになりました。

自由を得られると期待していたのですが、いざその自由が手に入ると、心には大きな空白が広がりました。何をしていいのか、どう過ごしていいのかがわからない漠然とした不安が私を襲い、自由になったはずなのに、心はどこかもどかしいままでした。

自由を手に入れた後の葛藤

親の介護が終わり、生活には多くの自由な時間が生まれました。しかし、その自由をどう使うべきかがわからず、気持ちは次第に沈んでいきました。これまで、ずっと親のために過ごしてきた時間が急に空白になり、何をしていいのかわからなくなってしまったのです。

日々ゴロゴロと過ごしながらも、自分が本当にやりたいことが何なのかを見失っていました。過去の経験がふと頭をよぎります。親の期待や社会のプレッシャーに従ってきた結果、私は自分で何かを選び、決める力を失ってしまったのではないかと感じるようになりました。

自由になったはずの私は、実際には何も選べない不自由さに苦しんでいました。そして、それがもどかしく、無力感に苛まれる日々が続いています。

新しい展望と自分の未来

現在、私は新たな道を模索しています。しかし、無力感に苛まれる日々はまだ続いています。自由になったはずの今、家のことや物質的な面で何も不足はなく、時間も自由に使える状況にありますが、心の中にはまだ大きな空白が広がっています。この空白を埋めるために、私は自分自身と向き合い、何が本当に必要なのかを見つけようとしています。

私にとっての真の自由とは、ただ物理的な束縛から解放されることではなく、自分の意思で自分の道を選び取る力を持つことです。そして、その過程で自分自身を再発見し、充実した人生を築くことだと感じています。無力感を抱えながらも、このテーマに向き合い続け、自由という名のもどかしさを乗り越えていきたいと思います。

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