ばあちゃん

なぜ、祖母は「信仰心」に厚いのか? ~祖母の人生を鑑みる~

父方の祖母は既に亡くなっているが、90歳をゆうに超えた母方の祖母は健在だ。現在は私の伯母(母の姉)一家と生活をしている。

しかし、「形式的」には未だだが、高レベルの要介護認定状態だ。食事も運動も排泄も…見ているこちらの方が辛くなってしまう。

私のルーツが「大陸」にあることは、導入の記事として書き上げた、

35歳にして本質的な「使命」に気付いた民族的マイノリティの「物語」(←クリックで該当ページへ)

にて述べた。故に、もちろん祖母のルーツも大陸にある。

祖母の生まれは「半島」だ。終戦前、既に「本土入り」をしていた祖父の元へ「来日」し、10代後半で夫婦となった。私の母を含めて、上から順に1男4女(私の母は3番目の次女)をもうけた。

何の因果だろうか、苦難は続く。

母方の祖父は、長男が小学校高学年、4女が1歳の時に癌で亡くなった。5人の子供たちを抱えた祖母。たどたどしい話言葉としての日本語。日本語の識字能力は「今でも」ない。どれだけ苦労をしたかは想像に難くないだろう。

「行商」で生計を立てる。朝が早い為、家事は長女が仕切る。生活保護も受けていたそうだ。

私の母からこんなことを聴いた事がある。

「支給された中学校の制服、みんなと比べて明らかに生地が違うんよね(笑)。みんなの生地と違う事に揶揄もされたし、やっぱり最初は戸惑ったなあ(笑)」

まてまて。そこ笑うとこちゃうから。

そんな話を聴いたこともあった。

祖母も、「時代」や「宿命」に翻弄された人生だったのかもしれない。

ーーーーーーー

半島の出身者は、少なくとも「儒教」の文化の基に育っていると思う。因みに「儒教」は「宗教」ではない。「神様」を拝む代わりに「祖先」を拝む。旧盆・旧正月を含め「祖先」の命日には「チェサ」と呼ばれるイニシエーション(儀式)を取り行う。

「信仰」の対象は「神様」じゃない。

あくまで「祖先」だ。

それ故か、祖母は体に不自由をきたした今でも「信仰」に厚い。

・どうか、息子娘婿孫たちをお守りください

と、祖父の遺影に向かって毎日のように唱えている。
それはまるで、「呪文」のようにだ。

ーーーーーーー

祖母を見ていると自分の「人生」をまるで罪深いものの様に捉えている感覚に苛まれる。全く、そんなことはないのに。真っすぐに人生と向き合い、子育てを務め上げたのに。

「背景」を鑑みる。感情移入してみる。

祖母は、自分自身の「精神」を保つために、「神」としての「祖先」を必要としていたのだろうし、今でもそうだ。

「要介護状態」である祖母。祖母は会うたびに、我々に対して自分の「今」「懺悔」する。孫である我々に対してもだ。『生きている』という、その事実に対して。

「そんなことないよ。」以外の言葉が見つからない。

いい加減 家に帰るかな
冷たいコーヒー飲んだから
コーヒー好きな オマエのさ 馴染んだ顔が浮かんだよ

こんな一日の話を 笑ってくれるんだろうなぁ
こんな一日の思いは お見通しなんだろうなぁ

「格好つけて強がって」繰り返してる俺です
覗いてみれば 全然ダメで ホントに まいるなぁ

いつもの顔で コーヒーを飲んでいる オマエです
いつもの顔で 全然ダメな 俺のとなりに居ます

こんな歌を 明日 オマエに 渡せますように
冷たいコーヒーが あたためてくれた

「 ベンチとコーヒー」  作詞作曲:藤原基央 

文脈は全く異なるにも関わらず、祖母の事を想うとなぜか、この曲が浮かんできます。そして、いつも涙が出てしまいます。

「生きる」とは…
「幸せの定義」とは…

いつも考えさせられるのです。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?