キャバ嬢

あなたは「水商売」に賛成?反対?~「水商売」から人生を問う、ただの禅問答~

唐突だが、「水商売」と聞いてどのような印象を持つだろうか?

・煌びやか
・華々しい
・儲かる
・ダメリーマンの掃溜め
・ドロドロした醜い人間模様の巣窟
・接待の場
・疑似恋愛
・気晴らし
・汚い商売
・儲かるかどうかは運次第

性別や年齢によっても様々だろうし、賛否もそれぞれだろう。

ちなみに「水商売」とは、

・先の見通しが立ちにくく、世間の人気や嗜好に大きく依存し、収入が不確定な業種や職業、およびそうしたものに従事する人を指す日本の俗語である。(出典:wikipedia)

と定義されるそうだ。故に、銀座や六本木、関西で言えば北新地に代表される「夜の世界」のみならず、例えば漁業で生計を立てる漁師や、飲食店経営者などもその範疇に含まれる。無形商材を売る営業マンも、ある意味「水商売」をしているのかもしれない。株やFX、今はやりの仮想通貨などの類も「水物」とされている。

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何故、僕がこのテーマを選んだのか。

プライベートで御縁を頂いた女子大生(就活生)との会話がきっかけだ。彼女が「夜の世界」に飛び込もうか迷っているとの話を聴いた。軽い相談のようなものだ。故に、本記事は、

「水商売」≒「夜の世界(キャバクラ・ラウンジ・クラブ等)」

と定義の上、話を展開していく。

彼女から一連の話を聴き終え、僕が彼女に伝えたこと、その結論は以下になる。もしかすると、彼女に益々混乱をもたらしたかもしれない。

メリット・デメリットはそれぞれ伝えた通り。その上で決断するのはお前だし、どのような結果になろうと、その責任を引き受けるのもお前だ。ただ、安直に飛び込む世界じゃない、と俺は思う。

彼女は更に悩んだ様子だった。

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予め断っておくが、俺は全く水商売を否定しない。

むしろ、水商売で生計を立てる人達を心から尊敬している。なぜなら、俺も水商売に従事したことがあるからだ。彼等程、辛酸を舐めながら、時には蔑まれながら、それでも懸命かつハングリーに生きる人達を、俺は他に知らないと言っても過言ではない。その「生き様」を、身を以って知っている。

35歳にして本質的な「使命」に気付いた民族的マイノリティの「物語」」(←クリックで記事詳細へ)

で述べた通り、僕のルーツは日本海を跨いだ「大陸」にある。祖父母が1世、父母が2世、そして僕は3世にあたる。多分に漏れず、我が家も「水商売(飲食店経営)」をしていた。幼少の記憶がある。商売が成り立たなくなり、父と母はそれぞれ「会社員」として働く道を選んだ。

僕自身も「水商売」に従事した。

・キャストの「後方支援」をするクラブのボーイ
・日常に細やかな「彩」を提供するバーテンダー
・「何でもござれ」のボーイズバー(「ガールズバー」の逆ver.)

従事だけでなく、一顧客としてサービスを提供頂いた事ももちろんある。「用途」は様々だが、今でもたまにはお世話になる。

一顧客としてもそうだが、「従事者」として得た経験は、今の僕自身を構成する大切な要素となっている。本当に貴重な経験を頂いたと思う。

「夜の世界」の人間は極めて「情」に厚い。思い出すだけで涙が出る。

『どないしてん?なんか元気なさそうやな?辛い事でもあったんか?一杯奢ったるからまあ飲めよ(笑)』

『ご飯まだ食べとらんやろ?コンビニのおにぎりやけど、開店までまだ時間あるし食べとき、ほら(笑)』

ショットバーのマスター、キャストのお姉さん、思い遣りに溢れる人達のおかげで今の俺があるといっても過言でもない。彼等の優しさはどこからやってくるのか。

大抵、「壮絶な過去」を背負っている。

だからこそ、こんなにも強く、そして優しくなれるんだろう。

故に、一顧客としてお世話になる際にも、彼等に対する「敬意」を俺は絶対に忘れない。たとえ理不尽な扱いを受けようともだ。

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だが一方で、良い事ばかりがあるはずもない。
夜の世界は「色」が1つの商売道具となる。

それ故、一歩間違えば大惨事を招きかねない。

人間の「性」なのだろう。

・借金
・不倫
・枕営業
・暴力
・性犯罪
・ネズミ講

「喧噪」の中には、「ブラックなドラマ」も溢れている。自分自身に全く非がなくとも、思いもよらぬ事態に巻き込まれる事なんてざらにある。

この目で「目の当たり」にしてきた。

何でもそうだが、物事には必ず「光と影」がある。

その事を忘れてはならない。



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ところで、僕には大好きな場所がある。大阪市西成区にある通称「ドヤ街」だ。ドヤ街を中心に、新世界、飛田新地と、極めてディープな街が大阪にはある。僕は勝手に、この界隈を

・「水商売の遊園地」

と呼んでいる。良くも悪くも人間模様に溢れており、フィールドワークが抜群に楽しい。関東で言えば、蒲田や赤羽あたりのイメージだろうか。

この街が本当に好きだし、男女を問わず大切な人を必ず連れていく。少しかっこよく言えば大人のデートスポットだと思っている。

兄弟はもちろん、父とも散策をしたことがある。

JR新今宮駅で降車し、大阪メトロ動物園前駅へ向かう。そのまま商店街の筋を通りドヤ街へ。「三角公園」のベンチに座る。ここにいる人達にはどんな「過去」があるのだろうか。そんな事を想像しながら、ひとり一人の「ドラマ」に感情移入する。

・生き別れた兄弟がいるのかな…
・長年あっていない息子がいるのかな…
・親族との縁は切れてしまったのかな…

そんな事を考えると、ついつい涙が出てしまう。彼等も好き好んでこの場所にいる訳ではないだろう。「最果ての地」として行きついたのだろう。そんな風に考える。単なる同情でもない。何とも言えない想いが零れてしまう。

断っておくが、俺は決して彼らを見下したりなどしない。なぜなら、俺のルーツと彼等の人生の構造は似通っているからだ。

・マイノリティとしての「生き様」

祖父母や両親の「生き様」を、ドヤ街の人達に重ねてしまう。胸が熱くなる。涙が溢れる。

余談だが、飛田新地を散策した後、父は涙を流した。

「彼女達はなぜここにいるのか…どんな過去があったのだろうか…自分自身の心身を『削る』背景にはどんな事情があったのだろうか…」

マイノリティとして生きてきた自分自身の人生を、彼女達に勝手に重ね合わせたのだろう。つられて俺も涙を流した。

・両親、祖父母はどんな想いで人生を歩んできたのだろうか

そんな「問い」が延々とループした。


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ここは天国じゃないんだ
かと言って 地獄でもない
いい奴ばかりじゃないけど
悪い奴ばかりでもない

ロマンチックな星空に
あなたを抱きしめていたい
南風に吹かれながら
シュールな夢を見ていたい
見えない自由がほしくて
見えない銃を撃ちまくる
本当の声を聞かせておくれよ


弱い者達が夕暮れ
さらに弱い者をたたく
その音が響きわたれば
ブルースは加速していく

世界中にさだめられた
どんな記念日なんかより
あなたが生きている今日は
どんなにすばらしいだろう
世界中に建てられている
どんな記念碑なんかより
あなたが生きている今日は
どんなに意味があるだろう

『TRAIN-TRAIN』 THE BLUE HEARTS


中国古典の一つ「菜根譚」の著者である洪自誠は、儒教・仏教・道教を修め、それらをベースに我々「庶民へ対して」処世術を説いている。

書下し文の多くは「対句」を為し、一見「矛盾」する事象に対して、「中庸」の大切さを強調している。

引用した甲本ヒロトの「シャウト」と構造は同じではないだろうか。

物事には必ず「光と影」がある。

その上で決断し、どんな結末になろうと、その結果を引き受けるのは自分自身でしかない。その事を忘れてはならないと、俺は思います。

おわり

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