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non-commital


今考えていることを忘れないうちに残しておきたいと思う。

普段自分が作品として写真を撮る時に考えているのは主に「何を思って/感じてシャッターを押したか」ということ。

綺麗だとか面白いとか、何かしら心が動かされたときに僕はシャッターを押す。

良い写真を定義するのは一概にできることではないが、自分の作品に一貫して存在するテーマ、目標みたいなものは、


「いつか改めてその写真を見た時に、僕にシャッターを押させた"何か"を再び感じられるかどうか」である。

僕の中の「良い写真」を構成するピラミッドの最下の段にこの考えがあって、その上に構図だの露出だのピントだのがある。

それが「記憶のための写真」だと思う。


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一方で先日。

2/20,21の2日に渡って、ひたすら「記録」としての写真を撮った。

non-commital主催の野外イベントにスタッフの一員として参加させていただき、舞台設営から本番、その後までひたすらシャッターを押し続けた。

おそらく他のスタッフさんからすれば「こんなとこ撮る意味ある?笑」的な場面までずっとファインダーを覗いていた。

記録したかった。

1つのライブ、舞台、音を作るために動く人たちがいること。

容易ではないこと。


演者と比して格好良くはないこと。地味なこと。(僕は格好良いと思いながらシャッターを押していましたが)


今後の人生のどこかでこの2日間を思い返す場面が来るなら、きっと転機だったと言い切ることができると思う。


その機会をくださったnon-commitalの皆様、ならびに他のスタッフ、そして演者の皆さんに本当に感謝しています。

この2日間を糧にします。



…今帰りのバスの中なんですけど、

ライカで1000枚とちょっと、αで4000枚ほど撮っていました。

帰ってせっせと現像します…

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