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強がってしまう心のクセで、人生こじらせてます。

先日、朝ごはんの時の話。

娘が「お水のみたーい」とリクエストしてきて、
親の私たちは「自分で持ってきて」と動かなかったら、

弟が動いた。

私と夫と娘、

〇ちゃんが動いてくれたね!
ヒーローだね~ありがとうだね~!

と話しながら待っていて、
戻ってきた息子に、娘が

「ありがとう」

って言ったけど、
うんともすんとも返事をしない。
そっぽ向いてる。

でも顔を見たらわかる。

嬉しそう。


それを見て私は、
(あぁ息子は私と同じで受け取り下手なんだなぁ)
と思った。

娘と夫は、どちらかというと受け取り上手。


「私たち(私と息子)って受け取り下手なのかもね。
ありがとうとかヒーローだねとか言われると、
恥ずかしいのかなんなのか、その言葉を弾き飛ばしたくなっちゃう。
そんな気持ちになる?」


息子に聞いてみたら、
下向いてこっくりうなずいた。


受け取り下手より、受け取り上手な方が
生きやすいと思うのに、

私も息子も、そこんとこ、こじらせてる・・・笑



その後、

なんで受け取れないんだろう・・・?

恥ずかしいのか、なんなのか・・・?


この「なんなのか」にモヤモヤして
愛犬の散歩しながら無意識に考えていた。


心の学びもしたので、これは
「自分を大きく見せる心のクセ」だなっていうのは
見当がついていた。

(「心」と書いたけど、脳も関係してるし、それが行動としても現れる。
いずれにしてもこのクセを自己制御できないから人生がこんがらがる)


「ありがとう」「すごいね」「かっこいいね」
いい行動をして褒められたとき、なんですよね。

自分の「優しさ」とか「愛」とか純粋な自分、
つまりは、対外的な「強さ」よりも
「柔らかさ」とか自分の本質の方にフォーカスされると

途端に、いやいやいや、そこは触れないでください、、

になってる気がする。


強く存在しているように見せて、
実は、本当のところでは自信がない。

強がるってことは、自信がない。
強がるってことは、弱い部分を隠し持ってる。


だからこそ、
ピュアなところに触れられると、

やばいぞ!強くあらねば!

が発動する。


筋肉ムキムキで絶対に倒れない自分
そうでなければ、この世界では生きていけない!

そう刻み込まれているみたい。

頼っちゃいけないとか、弱い所見せちゃいけないとか、
愛みたいな抽象的なものじゃなくて結果こそすべてとか、

そんなふうに世界を生きてしまっているんだろうな。


もちろん強さも大事。

でも、弱さとうまく付き合って、の「強さ」が
本物なんだろうな。



そんな考察が広がった、散歩となりました。



で、ここまで書いてきて、

またしても教育に関連させてしまうんだけど、

学校の先生は、この強くあらねば、が強くなりがち。と思う。
元々強い人もいるし、学校という環境で強くなる人もいる。

自分のクラス、自分の教科、自分の部活など担当業務、
それをきっちりやれて一人前っていうのもあるし、

万が一何かやらかしてしまったら
保護者からクレームがくるかもしれない。

職業柄、新聞沙汰になってしまう可能性だってある。

世間の目をどうしたって気にしないわけにはいかない。


「つつかれたらやばい」


そんな環境なんですよね。


でも、一歩外に出てみて初めてわかった。

そんなにきっちりやらなくても大丈夫。
そんなに批判する人ばかりじゃない。
応援や協力してくれる人もいっぱいいる。

そんでもって、

抜けてるところもあって人間味。
そんなところであーだこーだ考えてないで、
子どもたちにもっと目を向けるべきだった。


先生に限らず、どんな仕事でも、母親としてでも、
自分を安心して出せるかどうか、って
すんごく重要だなと思う今日この頃。


だけど、単に「何でもOK」「自分ファースト」がいいわけではない。

それとこれとは違う。


ということも、また次の機会に書きたいなと思います。



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