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教育の活動をやっていて 自分の講座をやっていて 私は何者なのか、改めて自己紹介します! 宮尾多希(かずき) 1982年群馬県桐生市生まれ 小学生2人の母 埼玉大学教育学部卒業後、小学校教員として14年勤務 幼い頃から活発でなんでもやりたがり。 勉強も運動もよくできて、何かと代表に選ばれ活躍していた。 自信はある反面、 人様にみじめに思われてはならないって観念が強く 失敗しないように、バカにされないように 都合の悪いことは隠すように生きてきた。 教員になってからは特に
私は、教員を退職する前後あたりから、 社会活動に関わる機会が多くなった。 環境問題に取り組む団体さんが最初。 そこに属していた友人に声をかけてもらい、 事務のお仕事を少しだけさせてもらった。 その中の、環境と食の繋がりを伝えるグループに入り、 イベントを立ち上げたり開催したりしていた。 それらは東京を拠点に活動していたのだけど、 群馬に移住してからも 環境と食のつながりで出会いがたくさんあり、 自宅でワークショップを開くに至った。 そこから、 ずっと抱えていた母とし
「大好きだった祖母の家が、人の手に渡るかもしれない!?」 そこから急展開、約2週間で夫の退職&移住を決断しました。 それが①話。 けど実は、移住がしたかったのではなく、 無理して自分や家族を傷つけてしまう生き方を変えたかった。 というのが前回の話。 私1人で子育てするのは限界。 私も子どももみんな幸せになるために、家庭の中に夫の存在が必要だった。 その形で、家族の再スタートを切りたくて、移住したのでした。 当時の私は、うつ状態からちょっとずつ上がってきたくらいだった
こんにちは。 言語化コーチの宮尾多希(かずき)です。 約1週間かけて、教員をしていた頃から、 辞めて、言語化コーチとして歩み始めるまでを ストーリーにして書いてきました。 今、なぜ、私が言語化コーチをするのか 頭でも心でもわかっていたつもりだったけど、 改めて言葉にしてみることで、 厚みも深みも増して 自分に強く根差しているものだと 再認識できました。 最終話にも書きましたが、 自分の本当の気持ちを表す「言葉」にして フラグを立てる。 その言葉が目印&原動力になり