書く力を取り戻す

たまらなく文章が書きたくなってこの文章を書いている。

最近は年に1回ほどまとめて文章を書く程度。自分の文章を誰かに「評価」されるたび心が痛む気がして、キッカケが無ければ自分から書き出すことはなかっただろう。

そんなぼくが文章を書くのは、あるイベントに参加したのがキッカケである。

内臓まで出した文章には解放感がある

先日、友人がスタッフをしていたコルクラボ文化祭というイベントに誘われて、山田ズーニーさんのお話を聞いてきた。著書が大好きで、是非話を聞きたいと思い無理やり席を作ってもらった。

山田ズーニーさんは、「おとなの小論文教室。」というコラムや、著書を通して、文章表現のインストラクターとして活動されている方だ。今回の対談も、文章表現についての話を沢山していただいて、密度がとても深かった。

沢山の話の中で、自分が最も印象に残ったのは「伝わる文章がどんな文章か」という話の中で出できた、こんな話だ。

 自分の”内臓”まで出した文章は、触れられるのすら痛いくらいの文章。自分のイヤ~な経験に基づいた文章だからこそ、世に出すのも本当に嫌だ。でも、そんな文章は、経験に基づく強さがあって、出しきったときに解放感がある。

書くことに自信は無いけれど、触れられたくないことは沢山ある。それを解放してあげたいという気持ちで今この文章を書いている。

書くことの”意味”

書くことは嫌いではなかった。

中学生の頃は、ブログを書いていた。今見ると絶対に恥ずかしい、世の中のニュースについてや学校生活についての話。岡山の遠く田舎町から発信した自分の文章を、北海道の方がずっと見てコメントをくださっていた。あの時自分には書く”意味”があった。

高校生になると、受験勉強もあり、書く機会も自然に少なくなっていった。時間の問題ではなく、偏差値という評価の軸を前にして、自分にとって書く”意味”が無かった。

大学生になり、書くことは、”恐い”という気持ちと紐づくようになった。FacebookやTwitterでの投稿を、誰かが自分に対して評価する。「意識高い」って言われるかもしれないし、いいことを書かないといけないと思うと筆が進まない。投稿の数も減り、下書きのまま何日も考えて、投稿するときも何度も慎重に確認した。

文章だけでなく、日常会話も「聞き役」に徹するようになった。自分を隠して当たり障りのない言葉だけ選んで話す。本音を話さず自分を隠すことが上手になって、次第にクセになった。

クセになるほど、ぼくはいつも「隠している自分の”浅さ”を見透かされるのではないか」とたまらなく怖くなっていった。書くことも、話すことも、自分にとっては、「自分を守るためのテクニック」という意味になっていった。

”浅さ”を見透かされるのがなぜ怖いか

今年の年末は、忘年会にかこつけて色んな人に会った。

2018年のプチ振り返りをしながら気づいたのは、「人のつながりだけは何より誇りを持てる」ということだった。仕事も、シェアハウスのつながりも、昔からの友達も、本当に人のつながりには困らない。ガチガチに隠している自分の内臓の部分を引き出す友人・知人の存在がいた。

自分の”浅さ”を見透かされることの本当の怖さは、自分の周りから、この大切なつながりが消えてなくなってしまう怖さだ。

書く力を取り戻す

これだけの文章に6時間以上かけている。下書き保存を繰り返して、何を伝えるか悩んだ文章。自分の内臓まで出した文章にはまだまだ時間がかかりそうだ。

自分の中の書く力を取り戻す。そして、周りとのつながりの中で、自分の存在の”意味”を取り戻したい。2019年の抱負の一つは、書くことにしようと決めた。

まず、Twitter。元から鍵垢ではやっているのですが、公開アカウントで作ります。本の感想や、Evernoteに書いてた日常の気付きとかを書いていこうかなと思っています。

たによし@kzk_1228です。気軽にフォローしてください。

あと、このnoteを月に1回以上書くことにします。期限を決めて書く方が質は上がると思うので、とりあえず月に1回としました。もっと書くかもしれません。

山田ズーニーさんの著書『伝わる・揺さぶる・文章を書く!』の最後のページで、こんな文章が書かれていました。

 相手という個性に、自分として向き合ったとき、自分の中に湧き起こってくるものがある。その相手だからこそ言いたいこと。自分にしか言えないこと。そういうものに、私たちはもっと忠実になっていいと思う。
 多くの場合、それは自分と相手のギャップによって生じるメッセージだから、ときに相手に歓迎されず、違和感やざらつきを与えるかもしれない。
 それでも違和感という形で、ときに反発という形で、相手の潜在力を揺り動かすことができれば、相手を生かし、自分を相手の中に生かしたことに他ならない。
 自分にしか書けないもので、互いの潜在力が生かされるとき、相手とあなたが出会ったことは意味を持つ。あなたが書くものは、相手にとってかけがえのない意味を持つのである。
 あなたには書く力がある。
       ――エピローグ『あなたと私が出会った意味』p.236

自分の書く力を信じてみようと思う。ずっと求めていた「自分の存在の”意味”」を見つけるために。

毎回絞り出しながら全力で書いております。Twitterも是非フォローを!