自分の人生をメタ認知的視点で振り返ってみる【番外編】
番外編
前回までは人生の流れ的なのをざっと書いてみたのですが、
わたしを作り上げているものの中には、他にも色々あるなぁと思ったので、思いつく範囲で書いてみますね。
・本を読むことが好き
・気になったことを気が済むまで調べ尽くすくせがある
・社交辞令と人間の二面性が分からない
などなどなど、、、
読書は小学生高学年か中学生の頃から習慣的に続けていて、これは芸能事務所で活動をしているときに、「活字を読みなさい」と教育されたことがきっかけでした。
高校生になってからは、授業が退屈すぎて聴くふりしてコソコソ小説を読んでいました。
でも、起きて本を読んでいると、先生に当てられて答えられなくて、周りの生徒に迷惑をかけてしまうなと考えたわたしは、寝たふりをして本を読んでいました。
本当嫌な生徒だったと思います、、、
250ページくらいの小説を、2日で1冊くらいのペースで読んでいました。
当時は月に10〜15冊くらいか、かなりハイペースです。
そのほとんどが小説でした。
自己啓発とかはあまり好きではなくて、「小説に没頭する」という感じです。家もアレな時期だったし、現実逃避したかったんだと思います。
ジャンルはさまざまで、SFやライトノベル、純文学も戦争ものも、幅広く読んできました。
今でもその趣味は変わっていなくて、つい小説を選んでしまいますね。
自分で稼ぐようになってからは、映画化決定した作品を敢えて原作で先に履修しておいて、映画館で映画を観るという遊びをよくしていました。(笑)
原作がある映画はどうしても取りこぼしがあるし、説明不足なことが多いから、一通り読んで答え合わせをする、ということをよくしていました。
本を読む習慣は今でも変わらず残っていて、ペースはかなり遅くなったけれど、常に何かを読み進めるようにはしています。
これは語彙力を保つためや、文章で人に気持ちを伝える上では結構大切なことに感じます。
活字を読む習慣がないと、頭の中の言葉数が減っていってしまう感覚があるんです。
それと、SNSを使って仕事をしている人間として、人に自分の気持ちが伝わりやすい文章を作るスキルは必要不可欠だなと思っているので、それらを保つべく、わたしは本を読み続けています。
あとは単純に小説が好き。
*
気になったことを気が済むまで調べ尽くすくせがある
というのは、知識欲的なところもあるかなっと思うのですが、これは大人になってからかな
例えば、大人になってYouTubeを見始めて、色んなことが気軽に学べたり知れるようになりました。
勉強に関する知識欲も増したし、
経済やお金のことを知りたいって思うようになった。
気になるトピックについて、気が済むまで調べたり、動画を見たり。腑に落ちるまで続きます(笑)
それはモノについても同様で、欲しい物があったときに、類似品を調べ尽くして最適なものを見つけたいという癖がある。
だから一つのものを購入するにも、多方面から検索をするので時間がかかってしまう。
ドコのメーカーはどうで、ドコのメーカーはこうで、、、などと突き詰めてしまうんです。
大きさ、機能面、部屋との相性、使い勝手、、、
わたしの知らないところでもっと良い物があるのではないか、などと考えてしまいます。そのため、リサーチ力は人一倍高いと思う。
これらはもう体質ですね、わたしの性分です。
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あと、わたしを作り上げているものと言えば、
社交辞令と人間の二面性が分からない。
です。
これはね、大人になって少し苦労した部分があるというか、なんというか、、、
わたしは、できないこと、やりたくないことを社交辞令で「良いですね」ということが本当に苦手です。
自分の言葉に責任が持てないことは言いたくないから。言ったことは実現しないといけないんじゃないかと考えてしまいます。
とにかく、思ってないことは言えない、んです。
だから曖昧にでも「良いですね」と言われたら本当に良いんだと思ってしまうし、最近では社交辞令を覚えたので(笑)、「それはどっち?」とそれでも白黒ハッキリさせたくなります。
それと、人の二面性もよく分かりません。
わたしには愛想良く返事しておいて、裏では違う顔があるとか、別の発言をしていたとか。
うーーーーんよく分からない
何のためにそんな面倒なことをするのだろう。
わからない
ここ5年ほど前に、それを明確に実感したできごとがあるのですが、そのエピソードについては割愛。
その出来事があるまで、わたしは人の二面性について悩んだことはありませんでした。
そんなの体験したことなかったから!(笑)
いや、単にわたしが気づいていないだけの鈍感人間というのもあると思います。(笑)
でもこれまでそういうことで悩む環境にはいたことがなかったのです。なんて恵まれていたのでしょうね!!
友だち関係でも、二面性を気にした女子女子した関係の子はほとんどいなくて、気になることはその場で伝えて解決できるような潔い関係だったように思います。(わたしが勝手にそう思ってるだけの可能性もある。)
さらには、家族に関しても、
親の機嫌を伺って裏をかいて(本当はどう思ってるんだろう)などと想像する、という気の使い方は必要ありませんでした。怒っているときは怒っているし、それを引きずることもネチネチ言ってくることもありません。
とてもハッキリした環境で育ってしまったため(笑)、「表ではこう言っていたけど裏では全然違った」という現象が起こることすら考えたことがなかったのです。
これは大人になって弊害も生まれました。
わたしはストレートに言うしか手段を持っていないのです。
きっとそのせいで傷つけてしまった人もいると思います。
でも裏を返せば、この発言がすべてで、それ以上には何もないし、含みも持たせていない。ということ
だから語弊なく伝えられるように、言葉を選ぶ努力はしているつもりです。
回りくどいのが苦手、というよりは、その思考回路を持ち合わせていない、ということなんだと思います(笑)
多分日頃から訓練していないと「回りくどい」を使いこなすのは難しいよ、、、(笑)
ある程度の自己肯定感の高さや探究心、直球思考
幼少期は、本当にのびのび育ったんだなと改めて自覚しました。(笑)
番外編おわり
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