神々の山嶺

夢枕獏著「神々の山嶺」読了。

いや、何年ぶりだろう。
ざく、ざく、と物語の本質に向けて斬り込んでいく文体。
じりっと肌を焼くような男たちの醸し出す匂い立つ熱さ。
本当、久しぶりだよ、獏ちゃん。

再会のきっかけは栗城史多だった。
彼が無謀な試みから死に至った謎が解けずにいたところで、この本の存在が浮かび上がった。
死の直前、栗城が夢中になって読んでいたと。
そこで謎は氷解した。
が、それはまた機会を改めて記したい。
今は、この「神々の山嶺」そのものについてだ。

いや、やはり凄いよ。
心が、震えた。
何がって、天に繋がる頂きに自身の狂気と共に向かおうとする男の、愚直なまでに純粋な闘いにだ。
恐らく男に生まれたら誰もが憧れる「命ぎりぎりの闘い」。
そしてもちろん、読者のほとんどが「物語の世界でのみ体験を共有する」が故に憧れる世界だ。
何故なら、世の中の男のほとんどは「実生活」という世界に囚われ、山の中で生死を賭ける生き方などできはしないのだから。

平凡な生活。
地面を平行移動するのみの生活。

そりゃ辛いこともある。
でもその辛さは、辛さに屈してしまったら物理的に命を失うレベルの物ではない。
だからこそ、主人公深町ともう一人の主人公というべき羽生の生き様は鮮烈なのだ。
少しだけ読者に近い、人間としての雑念をたくさん抱えた深町が体験する、執念が故に研ぎ澄まされた超人と化した羽生とのエベレスト南西壁への挑戦は、地を這う我々にとっては理解不能で恐怖以外の何者でもない経験を疑似体験させてくれる。

物語は登山が始まる直前までは、欲望のままに人を騙し、罠にかけ、行手を阻む「敵」たちとの戦いが、SF小説に出てくる様な異世界感満載の異国の地を舞台に描かれる。
ある時は心折れるかという試練に、主人公たちは心も身体も揺さぶられる。
がしかし、主人公たちの思いは決してぶれる事なく、エベレスト南西壁へと向かって行く。
そして南西壁で行われる登山は、もはや技術ではない精神の世界として展開される。
息苦しく、寒々しく、熱く激しい。
そして圧倒的な孤独と、アイゼンのかかる数ミリを踏み外したら確実に訪れる死への恐怖。
雪や風、低濃度の酸素といった物理的要因はまだしも、最大の敵は自分自身の折れようとする心であるという事実。
登ってきた以上は登り切らねば死ぬ。
登ったからにはきちんと降りなければ死ぬ。
それを乗り越えるための最大の敵は、自分の挫ける意思だ。
それにどう対するか。
そこで不屈の男の不屈の意志が示される。
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足が動かなければ手であるけ。
手が動かなければ指でゆけ。
指が動かなければ歯で雪をかみながら歩け。
歯もだめになったら目で歩け。
本当にだめだったら、
本当にもう動けなくなったら、
思え。
ありったけの心で思え。
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そして我々は見るのだ。
天上の、その地でしか生き、死ねない男の運命を。
物語の凄みを。

羽生の頂はあったのか。
死してなお前を睨むその姿に、私たち地を這う男どもは何を感じるのか。
一般的な俗世間からすれば、ハズレ者の不適格者である男たちの、異常なほどの熱量を、俗人である私達はどう受け取るべきなのか。
心して、読んで欲しい。

傑作である。

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