梅の花言葉

梅の花といえば、春の訪れをつげる花木。

梅の花全般の花言葉は、
「上品」「高潔」「忍耐」「忠実」です。

梅は、紅・白と花の色によって花言葉が異なります。

紅梅の花言葉は「優美」。

赤、ピンク色の花をつける「紅梅」の花言葉は、「あでやかさ」です。
紅花の美しく、華やかな姿からつけられました。紅花は、平安時代の女流作家・清少納言が愛した花とされ、随筆・枕草子には「木の花はこきもうすきも紅梅」という句が残されています。


白梅の花言葉は「気品」。

白色の花をつける「白梅」の花言葉は、「気品」です。
紅花と比べ、その凛とした姿からつけられたとされています。また、白花の幹の断面は、紅花よりも白く、その美しさからも連想されます。

ちなみに西洋では、「Keep your promise(約束を守る)」「fidelity(忠実)」「beauty and longevity(美と長寿)」の花言葉があります。


梅の花言葉の由来は、梅の花の最盛期が2月とまだ寒さが厳しい時期のため、寒風が吹く中、凛と咲きほこる梅の姿からつけられました。

また、「忍耐」もその情景から由来しています。
2月は地域によっては雪が降る季節。
関東でも寒の戻りがあります。
その中でも鮮やかな花をつける梅に、ぴったりの花言葉ですよね。

また、「忠実」の花言葉は、平安時代の貴族・菅原道真に由来しています。

この僕のnoteでも、過去記事で何度も出てくる学問の神様とされる菅原道真は、
その才を疎まれ、九州の太宰府に左遷されます。
この時、道真の元へ大切に育ててきた梅の木が飛んできたという伝説が残されています。
これにちなんで、「忠実」という花言葉がつけられました。

1844年弘化元年から梅と共に生きる酒蔵の話「菅原道真」詳しくはこちらをご覧ください。


「松竹梅」とめでたいお花とされていますが、
松や竹と比べると、価値が下?のようなイメージがあります。

しかし、実はもともと「松竹梅」には優劣がなく、梅も松や竹と同じくらい縁起がよいお花とされてきました。

松、竹、梅は「歳寒の三友(さいかんのさんゆう)」と呼ばれ、寒さに耐える植物とされてきました。
松竹梅は、宋代より始まった中国の文人画で好まれる画題のひとつです。

日本では「松竹梅」と言えば、おめでたいものとして慶事などに使われます。
松・竹・梅の順番ですが、日本ではまず平安時代に常緑樹の松が不老長寿を思わせるおめでたいものとされ、その後室町時代に、節目にそって真っ直ぐ伸びる竹が縁起のいいものとされました。

さらに江戸時代になると、冬に花を咲かす梅が新春を彩るめでたい花として定着しました。
つまり、縁起のいいおめでたいものとして、その時系列が「松竹梅」となったため、本来の意味ではこの3つに序列はありません。
だから、梅が1番下では無いのです。笑顔。

まぁ余談ですが
なぜ、松竹梅が序列を表す言葉になったかというと、その昔、寿司屋で一般的だった「特上・上・並」の料金設定がきっかけです。
一番安い「並」を注文するのは格好が悪い、また一番高い「特上」を頼むのも見栄を張っているようで気が引ける…ということが当時あったそうです。
そこで、お客が注文しやすいように3等級を「松・竹・梅」に置き換えるようになったことが、序列を示す「松竹梅」の始まりだそうです。
鰻屋ではそこを逆手にとり、梅を最上ランクにして、特上を頼みやすくお店もあります。いずれにしても、松竹梅の本来も意味に優劣はなく、おめでたい花に変わりはありません。

梅は大きく2つに分けられます。
花を楽しむ観賞用の「花ウメ」と、
実を楽しむ「実ウメ」があります。
現在、花ウメは約400種、実ウメは100種あります。

サクラとおもむきの異なる
清らかな美しさをもつウメ。
原産地の中国から日本には薬用として渡来しましたが、万葉の時代にはすでに花を楽しむようになり、
万葉集にはウメを詠んだ歌が118首もあるそうです。

江戸時代以降の花見といえばサクラですが、奈良時代以前に「花」といえばウメのことでした。

和名の「うめ 」の語源は諸説あります。中国語の「梅(メイ)」が転訛したとする説、薬用に燻製にした実が「烏梅(ウメイ)」として伝来して転訛したとする説、花の美しさから「愛目(うめ)」が転じた説などがあります。

英語では「Japanese apricot」などと呼ばれます。ウメの花は一般に「Plum blossom」と呼ばれます。

幸福は自己満足によってではなく、
価値ある目標に忠実であることによって得られる。

ヘレン・ケラー(米国の教育家、社会福祉活動家、著作家 / 1880~1968)

ヘレンケラーの言葉です。
「忠実」という言葉はヘレンケラーが有名にしました。

ヘレン・ケラーは見えない、聞こえない、話せないという三重のハンディを背負いながらも、世界各地を歴訪し、障害者の教育と福祉の発展に尽くされ、今なお世界的に敬愛される方です。ヘレン・ケラーは家庭教師のアン・サリバン女史によって啓発され、生涯をハンディのある人たちのために尽くされた、すばらしい人格者です。


ヘレンケラーは、まさに梅の花のような
素晴らしい人でした。
ヘレンケラーの言葉は「新型コロナ禍の現代」に
まだ、言葉の力を持っています。

もしもこの世が喜びばかりなら、
人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。
We could never learn to be brave and patient, if there were only joy in the world.


- Helen Keller (ヘレン・ケラー) -


世の中はつらいことでいっぱいですが、それに打ち勝つことも満ち溢れています。Although the world is full of suffering, it is full also of the overcoming of it.


- Helen Keller (ヘレン・ケラー) -


最後に。

So long as you can sweeten another’s pain, life is not in vain.


- Helen Keller (ヘレン・ケラー) -


人の苦しみをやわらげてあげられる限り、
生きている意味はある。

僕は「お酒」とは。そういうものであって欲しいし
佐藤酒造店の佐藤麻里子 杜氏が、生涯をかけて
醸す日本酒の意義もそうあって欲しいと思っています。
お酒の保つパワーと自然の保つ治癒の力。
地酒の優しさはまだまだ必要な時代です。

飲食店が全滅。酒屋や卸し問屋が全滅。
酒蔵には厳しい時代ですが、応援して欲しいです。

越生町の越生梅林園の側の酒蔵 佐藤酒造店
弘化元年1844年創業の老舗酒蔵

蔵に自生する梅の木の梅だけを無農薬100%使用し
佐藤麻里子 杜氏の自家醸造の日本酒だけで醸す
越生梅林 梅酒うめさけ

は、「梅の花言葉」に相応しい人生を歩む
素晴らしい女性の方々の未来のために。

梅の花全般の花言葉は、
「上品」「高潔」「忍耐」「忠実」ですが
ヘレンケラーの言葉を贈ります。

Character cannot be developed in ease and quiet. Only through experience of trial and suffering can the soul be strengthened, vision cleared, ambition inspired, and success achieved.


- Helen Keller (ヘレン・ケラー) -


個性は安らぎや静けさの中で生まれるものではありません。試練や苦しみを経験することでのみ、魂が鍛えられ、洞察力が研ぎ澄まされ、野心が鼓舞され、成功が手に入るのです。

梅は厳しい季節に
凛として咲き誇る素晴らしい女性のような佇まい。

いよいよ越生梅林の梅も、満開になります。

朗報です!
佐藤酒造店の越生梅林 梅酒うめさけが
オンラインで買えるように、なりました。
公式HPのサイトです。是非一度お立ち寄り下さい。

追記1

実はヘレンケラーは、越生梅林のある埼玉県に来ています。そこには、意味がありました。

1937年(昭和12年)(56歳) - 岩橋武夫の要請を受け訪日し、3ヶ月半に渡り日本各地を訪問した。
4月15日浅間丸に乗りトンプソンとともに横浜港に到着。

4月16日、新宿御苑で観桜会が開催され、昭和天皇・香淳皇后が行幸。
観桜会に出席したヘレンは、昭和天皇に拝謁した。
(残念ながら、梅の時期には間に合わなかった。)

4月19日には大阪、4月30日には埼玉、そして5月以降も7月半ばまで日本各地を次々と旅して回った。

そんな彼女にとって、塙保己一が障害を克服し、希望をもって生きる、努力することの意義を与え続けてきた、特別な存在であったことはご存じでしょうか。

彼女は、昭和12年(1937年)に初来日した際、渋谷の温故学会を訪れ、母親から『日本の塙保己一先生はあなたの人生の目標となる方ですよ。』と教えられたことに触れ、こう話しています。


『今日、こうして温故学会を訪問して先生の像に触れることができましたのは、日本の訪問の中で最も意義深いものでした。
使い古された質素な机と、優しそうに首をかしげた先生の像に触っていると、先生のお人柄が伝わってきて、心から尊敬の気持ちがいっそう強くなりました。
先生のお名前は、水が流れるように、永遠に後世に伝えられていくに違いありません。』


また、埼玉会館で開かれた講演会では、「私は特別の思いをもって、埼玉にやって参りました。それはつらく苦しい時でも、この埼玉ゆかりのハナワ・ホキイチ先生を目標に頑張ることができ、”今の私”があるからです」

と話しています。

どんな困難な状況の中でも輝いて生きたヘレン・ケラーが、幼くして失明したにもかかわらず努力して偉大な学者になった塙保己一を心の支えに、勇気と希望をもって生きた証の話はあまり有名ではありません。

3/3のひな祭り女性の節句。

梅の花が咲き誇る素晴らしい女性のお祝いの時。

心から、梅を楽しみたいものです。
梅の花言葉を贈ります。

追記2

本庄市には、盲目のハンディを抱えながら、努力して偉大な国学者になった塙保己一(はなわ ほきいち)翁という江戸期の偉人がおられます。ヘレン・ケラーは母親から「日本の塙保己一先生は、あなたの人生の目標となる方ですよ」と教えられました。そしていつしかヘレン・ケラーも、この塙保己一翁こそが自分が尊敬する憧れの人だと考えるようになりました。ヘレン・ケラーは3回の来日の際、塙保己一翁ゆかりの各地を訪ねられ、塙保己一翁の銅像に手を触れている写真も残っています。また、昭和12年には旧埼玉会館で講演をされ、「塙保己一先生のおかげで自分の人生があった」という趣旨のことを話されています。

埼玉県 元知事 上田きよし
2月25日(土曜日)の朝日新聞に県内の酒蔵で活躍する女性の記事が出ていました。県内の酒蔵では多くの女性が活躍し、新たな風を吹き込んでいるようであり、うれしい限りです。

このブログでも何回か取り上げていますが、埼玉県の清酒の出荷量、消費量はともに全国4位です。県内には35の酒蔵がありますが、その中の3つの酒蔵で活躍する女性が紹介されていました。

まずは「越生梅林」の佐藤酒造店(越生町)の杜氏(とうじ)、佐藤麻里子(さとう まりこ)さん。この酒蔵の長女として生まれた佐藤さんは、高校生のときに直売所の手伝いをしていて「おいしい」と言われたのがきっかけで杜氏となったのだそうです。

佐藤さんは大学時代から酒造りを学び杜氏となりました。甘口と辛口でラベルの色を分けたお酒や、自らの名前をつけた純米吟醸酒「まりこのさけ」を出すなど、新たな試みを続けています。

埼玉県 元知事 上田きよし ブログから

埼玉県知事時代 佐藤酒造店に公務で訪れている
上田きよしさん。


佐藤麻里子 杜氏といろんなディスカッションする
素晴らしい元知事でした。

佐藤麻里子 杜氏も、この3月で30歳。
是非応援よろしくお願いします。


その模様は、佐藤酒造店の蔵便りにて
佐藤麻里子 杜氏が、
書かれております。こちらから

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