「日本酒」と「どぶろく」と「にごり酒 おさらい編と冷蔵の歴史

「日本酒」と「どぶろく」と「にごり酒」について
過去記事で、いろんな話をしてきました。

「ただ美味しい」「旨い」と言う世界は実はシンプルで大事ですが、日本酒を語る上で、政府が未来で「日本酒を世界無形文化遺産」に申請することが決まっていますので「和食」に続いて、世界に誇る「日本酒が世界無形文化遺産」の「醸造技術」についても
元酒屋として遺していきたいと思っています。

過去記事では、「簡単に歴史編」について
書かせていただきました。

「日本酒」と「どぶろく」と「にごり酒」先ずは歴史編❶

「日本酒」と「どぶろく」と「にごり酒」先ずは歴史編❷

日本酒」と「どぶろく」と「にごり酒」先ずは歴史編❸

3回に渡って、書かせていただきました。
知っておくとお酒が美味しい話。笑と思います。

一言でいえば、昔は「日本酒といえば、にごり酒だった。」
「清酒と言う技術ができて、今日の日本酒になった」
と言う事です。
「どぶろく」については、これから話をしていきますが。

今日の日本酒の最大の美味しくなった背景には
「冷蔵庫」を忘れてはいけません。
酒蔵にも冷蔵の技術がありますし、各ご家庭にも
冷蔵庫があります。

「しぼりたてのお酒が劣化しない」
「低温管理ができる事で長熟する」事ができる。
大きくこの2つが、過去の日本酒と大きく変わりました。

もちろん「火入れ」のスタビライザーの技術や
濾過の技術。上槽(醪もろみを酒粕と分ける作業)の
技術などいろんな進化はありますが。

「酒蔵で絞ったお酒が、美味しいまま」と言う
「冷蔵」の技術が先ずあっての話になります。

冷蔵庫の歴史は意外と古く、冷蔵庫の前身となる圧縮式の冷凍機(製氷機)が1834年にアメリカの発明家パーキンスよって発明されます。
それまで氷といえば自然の氷を採氷して利用していましたが、この発明により人工的に氷を作ることができるようになりました。

その後様々な発明家や研究者が冷蔵庫の開発に挑み、1918年にアメリカのケルビネーター社によって現代のような家庭用電気冷蔵庫が開発されます。

日本で初めて人工的な氷が作られたのは1870年のことで、高熱を出した福沢諭吉のために氷を製造したのが始まりです。1923年に三井物産が初めて冷蔵庫を輸入し、1927年には東京電気(現在の東芝)がアメリカGE社製の電気冷蔵庫の輸入販売を初めます。

それと同時に東京電気はGE社の冷蔵庫の研究開発を進め、1933年に初めて国産冷蔵庫の販売を始めました。発売当時の価格は720円で、なんと当時の初任給約1年分に相当する程高価なものでした。

この冷蔵庫の普及が、食のスタイルを変えていきます。

料理研究家 堀江ひろ子さんの話が今回のテーマです。

元記事はこちらから

日本人の食卓「冷蔵庫が家庭にやってきた篇」です。

「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されてから数年が経ちます。
「このままでは衰退する可能性がある食文化」とされた和食は、あれから歩みを前へと進めることができたのでしょうか。
2021年に創業100周年を迎える三菱電機は、日本の暮らしとともに歩み続けてきました。
これからも家電メーカーとして日本の食文化に寄り添っていくために、
この100年間の日本人の食卓、そして家電の歩みを振り返り、次なる100年を考えていきます。
和食シリーズ企画第4弾「日本人の食卓 - 100年の歩みを辿る」。今回のテーマは、冷蔵庫。明治の頃、「氷箱」として日本の家庭に登場した冷蔵庫は食品の保存のあり方を変えました。そして100年前の「氷箱」は数十年後に「電気冷蔵庫」に置き換わり、ますます食卓の風景を変えてきています。「氷箱」から「電気冷蔵庫」へ。食品の保存の変化は食卓にどんな変化を及ぼしたのか。幼少時から「氷箱」も「電気冷蔵庫」も使っていらしたという料理研究家の堀江ひろ子さんにお話を伺いました。

詳しく知りたい方はリンク先を読んで頂くとして

電気冷蔵庫となると、耐久消費財の統計が取られるようになった1957(昭和32)年の時点でも2.8%という普及率にとどまっていました。

約70年前に3%に満たない電気冷蔵庫の普及率。

まず魚ですよね。当時、冷蔵して保存するものは肉よりも魚だったと記憶しています。鶏などは庭を走り回っているのを捕まえてつぶして、そのまま調理するような時代でしたから

と、堀江ひろ子さん。
実は日本酒の冷蔵の話以前に、料理やオツマミの方が
「冷蔵」で美味しくなっていきます。
「家庭で料理をするきっかけ」は「冷蔵庫」普及です。

国内で家庭用ラップが発売されたのが1960(昭和35)年。

いよいよラップの登場です。

冷蔵庫の普及によって、買い物の仕方や商店との付き合い方が変わりましたよね。それ以前、例えば私の田舎の九州あたりだと魚はその日に食べられるだけ食べて、余った分は強めに塩をしたり、火を通すなどして何日か持たせたりしていましたが、冷蔵庫があれば特に工夫せずとも、何日かは持つようになりました。昔は暑い夏場に生モノを何日も取っておくような習慣はありませんでしたから、冷蔵庫の登場は食スタイルの大きな転換点でしたね。

冷蔵庫の普及前は、「味が濃い」ので
日本酒も濃い味でないと負けてしまう。
だから昔の日本酒は、飲みにくいイメージが未だに残っています。

冷蔵庫の進化は、薄い味付けや、食材そのものの味を
楽しめるようになり、日本酒も、いろんなバリエーションが楽しめるようになった。と言う事です。
もちろん家庭用冷蔵庫だけでなく、割烹や居酒屋や飲食店の業務用冷蔵庫も大きな影響を受けています。
あとはエアコンの普及が、室内の温度を快適にすることも忘れてはいけません。

40℃を越える灼熱の海外の中で、食べる料理とお酒の在り方と和食と日本酒の在り方は違うからです。

1987(昭和62)年には電子レンジの普及率が50%を越え、同じ頃に家庭用の冷凍食品も人気になり始めました。

まだ20年そこそこ前の話です。笑。
電子レンジの普及は、主婦の晩ごはんを変えました。
数分で「温める」事が出来るようになる事で
旦那さんや家族と「一緒に」食事出来るように
なります。昔は、お母さんは、配膳ばかりで
みんなが食べた後に食べるみたいな時代だった。
今は旦那さんと。またカップルでも、一緒に食事ができて、一緒に晩酌出来る時代が来たことは

「お酒業界」では大きい進化になります。

もちろん、日本酒業界も、大きな進化になります。
いろんな味が楽しめる現代。
やはり酒蔵はいろんなお酒に挑戦しています。
季節ごとに美味しい日本酒を用意しています。

だからこそ、「酒蔵で」直接お酒を買って欲しい時代になりましたね。鮮度抜群ですから。


実は、越生梅林の佐藤酒造店も

最新の洗米機に放冷機、
異なる温度と湿度を設定できる二部屋式の麹室。
サーマルタンクがずらりと並ぶ仕込み場も、
酒母場も搾り場もすべて完全空調です。

火入れの工程にも最新の機械が入り、
美酒を造る環境が整っています。

しかも絞ったお酒を瓶詰めした後に保管する倉庫も
温度管理できる事で、飲み手に美味しく提供できます。
実はここまで徹している酒蔵は、実は、結構、少ないのです…

佐藤酒造店も東日本大震災の影響を受けて
長女の佐藤麻里子さんが杜氏になり、弟の、かつやさんが蔵元を継ぐことで、蔵全部を造り直す事で
グングン美酒造りの環境が整っています。

それは劣化しやすい「にごり酒」でも大きな違いがわかります。
佐藤酒造店の梅酒とにごり酒は、先ず清酒の前に呑んで欲しいマストアイテムです。

いよいよ「日本酒」と「どぶろく」と「にごり酒 」
に入っていきます。
違う酒蔵も登場してきますよ。お楽しみに。

朗報です!
佐藤酒造店のお酒が
オンラインで買えるように、なりました。
公式HPのサイトです。是非一度お立ち寄り下さい。
にごり酒も、買えますよ。

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